灰の離宮・リベルタ Ⅲ
その部屋は、とても物が多かった。
壁一面の本棚には、乱雑に本が詰め込まれ、良く見れば本じゃないものも入っている。
絨毯が敷き詰められた床にも、積み重なった大量の本。インクがこぼれて、染みになっている箇所もある。
リツカが眠っていた部屋よりも狭いが、それでも十分な広さだ。
部屋の中央には、大きなテーブル。
その奥には、執務机がある。
そこに座るのは、温厚そうな、けれども威厳を併せ持った年配の男性――バートラム。
傍らには、眼光の鋭い男性――ハロルドが立っている。
「この部屋、随分と寒いわね」
外套を脱ぎ、エレオノーラは壁際の燭台に歩み寄る。
「あら、効果が切れてる」
そう言うと、蝋燭に向かってフッと息を吹きかけた。
「あ……」
リツカの口から、小さな声が漏れた。
蝋燭の火は、微かに揺れた後、その勢いを増したように見えたのだ。
それは、とても不思議な光景だった。
「便利な力だな」
「珍しいこともあるのね。大佐が私を褒めるなんて」
「お前を褒めたんじゃない。魔術の方を褒めたんだ」
ふたりとも笑顔を浮かべているが、和やかとは言い難い雰囲気だ。
(……剣持ってるし)
ハロルドの腰には、およそ玩具には見えないものがその存在を主張している。
今更ながら、緊張してきた。
自分は、どうなってしまうのだろうか……。
「本当に、よく似ている」
バートラムが、リツカを見つめていた。
目と目は合っている。
合っているはずなのに、どうしてか。
(誰を見てるんだろ……)
リツカ越しに、別の誰かを見ているようだ。
「確かに、似てますね。動くと尚更」
「…………っ」
威圧感がある。
それは、腰の剣だけが理由じゃない。
鍛え上げられた肉体と、眼光の鋭さが、本能的に怖いと叫んでいる。
「ハロルド。彼が怯えている」
バートラムに嗜められ、ハロルドは部屋の隅に下がる。
「すまないな。見た目はアレだが、頼りになる男なんだ」
バートラムは立ち上がると、前へ出て深くお辞儀をした。
「私の名前は、パトリック・バートラム。まずは座って、話をしよう」
「…………はい」
リツカは迷いながらも、その提案を受け入れることにした。
今は、この状況について知らなければならない。
「ハロルド。君もだ」
「…………はぁ」
面倒だと言いたげに、ハロルドが姿勢を正す。
「レーヴェ国陸軍大佐――ハロルド・エヴァンスだ」
(軍人、なのか……)
ある意味、納得はした。剣を持つ理由も、その威圧感にも。
とすると、身につけているのは軍服、ということになる。
「貴公の名を、聞いても?」
「立夏、です」
「リツカ――不思議な響きだ」
噛み締めるように、バートラムはリツカの名前を繰り返す。
(ヨーロッパ、みたいな世界なのかな?)
海外旅行の経験はないが、テレビや雑誌なんかで見たヨーロッパ辺りに酷似していると思う。
エレオノーラとか、パトリックとか、名前もヨーロッパ圏のようだし。
「あの、バートラム、さん? ここは、本当に、その……」
「バートラムで結構ですよ。ここは、獅子の国レーヴェ。リツカ殿からすれば、異世界――と呼べる場所です」
無意識のうちに、視線がエレオノーラへと向けられていた。
「ご存知のようですね。彼女――エレオノーラ殿が、貴公をこの地へと召喚してくれたのです」
「召喚……」
そう言われても、記憶がないのだ。
いわゆる、光に包まれたわけでも、命の危機にさらされて死にかけていたわけでもない。
(確か、普通に寝てたはず)
一番最後の記憶を辿ってみるが、何ら特別なことはなかったはずだ。
いつも通りに自分の部屋、自分のベッドで横になり、スマホのアラームと目覚まし時計をセットした。
明日も学校だから、と。
「…………」
「まだ、本調子ではありませんか?」
急に落ち込んだ様子のリツカに、バートラムが心配そうに声をかける。
「いえ、大丈夫です……」
これは、夢じゃない。現実だ。
それを実感してしまうと、無性に吐きそうにはなった。
「そうですか。――リツカ殿、聞きたいことがあれば、何でも答えます」
「聞きたいこと……」
それは、たくさんある。
何故、自分を呼んだのか、その理由。
何故、自分だったのか、その理由。
けれども、何よりも気になることがある。
「俺は、元の世界に帰れますか?」
「…………」
リツカの問いに、バートラムは少しばかり表情を曇らせる。
「それは……」
「無理だな」
答えたのは、ハロルドだった。
腕組をし、壁に背を預けていたハロルドは、相変わらず、リツカを睨むように見ている。
「無謀な計画だが、一番の難所を越えたんだ。ここで諦めるなんて、無理な話じゃないですか?」
「…………そうだな」
バートラムは幾度か頷くと、リツカに向き直る。
「リツカ殿、故あって、貴公をこの世界へと呼び出した。それには理由がある」
その先を、言わないでほしい。
聞きたくないんだ。
耳を塞ぎたくなった。
「我々の目的が達成されない以上は、貴公を元の世界へ帰すわけにはいかない」
「そんなの……っ」
憤りを感じ、リツカはその場から立ち上がる。
「俺は、帰りたいんです! 帰してください!」
感情が、爆発してしまった。
今まで、自分でも驚く程に落ち着いてはいた。
それは、心のどこかで期待していたからだ。
帰れる。
そう、帰れるはずだ――と。
でも、その願いは叶わない。
まるで、死刑宣告を受けた気分だ。
「いいから座れ。帰さないんじゃない。今は、というだけだ」
苛立ったようなハロルド声も、今は気にならない。恐怖とかよりも、自分の意思が完全に無視されている理不尽さへの怒り。
それだけだ。
「そんなの、あんた達の勝手な都合だろっ? 俺を巻き込まないでくれ!」
吐きそうだ。
怒りで泣きたくなる。
「あ、おい!」
耐えきれなくなり、リツカは部屋を飛び出した。
廊下は寒い。
走って、走って、気づいた。
どこへ行けばいいんだろう……?