星も輝く夜
ゆらり──蝋燭が揺れた。
「目覚めないな」
男の声が、暗い室内に響く。若い声ではない。人生の酸いも甘いも噛み分けた――そんな声だ。
「失敗したんじゃないか?」
次いで発せられた声も、男だ。
けれど、最初に発せられた声よりも若い印象を受ける。
「失礼ね。私が失敗なんて有り得ないわ」
もうひとり、今度は女の声だ。女というよりは、少女という表現の方が正しいかもしれない。口調には棘が感じられるが、声そのものは柔らかい。
「もうすぐ目覚めるはずよ。体はうまくいったんだから」
少女が、部屋の中央に置かれた大きなベッドに歩み寄る。
ベッドには天蓋が取り付けられており、大人がふたり寝ても十分な大きさだ。
「だが、もう二日経つ。このままの状態が続けば、どうなる?」
不安と心配を含んだ声が、燭台の蝋燭を揺らす。
「……肉体と魂が離れたままならば、肉体は直に終わりを迎えるわ」
「死ぬ、という訳か」
若い男は、実に落ち着いた様子だ。
三人の視線の先には、少年がいる。ベッドに横たわり、微かに胸が上下する程度しか動いていない。
死んだように眠るとは、正にこの状態を言うのだろう。
「エレオノーラ殿。この計画に、失敗は許されないのだ」
「私に失敗なんて有り得ない。直に目を覚ますわ」
エレオノーラと呼ばれた少女は、言葉とは裏腹に不安げな顔をしていた。親指の爪を噛み、眠る少年を見つめている。
「俺には無謀な計画に思えますけどね」
あくびを噛み殺し、若い男は否定的な言葉を口にする。
「いくら王妃様の後ろ楯があるとはいえ、これは無謀すぎますよ。バートラム卿」
「他に方法がないのだ」
やれやれ、と若い男は呆れたように首を振る。
やはり年を取ると、頑固になるらしい。
ベッドから離れると、テーブルに置かれたワインボトルを手に取る。
「ハロルド! 酒など飲んでいる場合ではないだろうっ」
バートラムの怒声など気にもせず、若い男──ハロルドはボトルを開ける。
「飲まなきゃやってられませんよ。それに、今夜は聖夜ですからね」
グラスに注がれたワインは、血のような赤。上等なワインだというのに、ハロルドは味わう気配さえ見せず、一気に飲み干してしまう。
「あんなのが大佐なんて、この国の軍はどうなってるのかしら」
エレオノーラの言葉に、ハロルドは二杯目を注ぎながら言い返す。
「言っておくが、一番の無謀はお前みたいな女を城に入れたことだ」
エレオノーラの眉間に、シワが寄る。
「口に気をつけなさい。戦うしか脳のない、剣術馬鹿のくせに」
「やる気か……?」
ハロルドの手が、腰の剣に伸びる。見かけこそクールな印象を与えるのに、短気なようだ。
「やれるもんならやってみなさいよ」
挑発的なエレオノーラに、ハロルドが剣を抜こうとした瞬間。
「ふたりとも、いい加減にしなさい!」
バートラムの声で、ハロルドは剣から手を離す。
「……すみません。大人げなかったです」
「なっ……!」
それは卑怯な逃げ方だ。エレオノーラはハロルドに抗議したかったが、バートラムの放つピリピリとした空気に、仕方なく口を閉じる事にした。
「覚えてなさいよ」
「エレオノーラ殿」
「わかってるわ。もう、しないから」
ベッド脇の椅子に腰を下ろし、落ち着きを取り戻す。
ただ黙って待つのは、思いの外疲れる。
それでも、今は待つことしかできない。
「早く目覚めてくれ。お願いだ──!」
「…………」
不意に、エレオノーラが窓の外を見た。
よく晴れている。月だけじゃなく、星も輝く夜だ。
今夜は、聖夜。奇跡が起こる夜。
「…………ぁ」
「────!」
ピクリ──少年の瞼がわずかに動いた。
「エレオノーラ殿!」
すぐさま、ベッドに視線を戻す。
少年を覗き込めば、ゆっくりと瞼が開いていく。
「…………み、見えてる?」
恐る恐る、声をかけてみる。
少年の瞳は、確かにエレオノーラとバートラムの姿を捉えているはずだ。
「気分はどう? 何でもいいから、言ってみて」
バートラムが、固唾を飲んで見守っている。
目覚めただけでは、駄目だ。
きちんと、『完全』でなければ。
「…………き」
「き?」
我関せず、といった様子のハロルドも、グラスを置きベッドへと歩み寄っていた。
三人が、少年の言葉を待っている。
そして──、
「……気持ち、悪い…………」
少年が吐き出したソレは、狙い済ましたかのように、エレオノーラの黒いドレスを見事に汚した。