第8話
「ハハ、ホンマ運がええなぁ、ジュリオ君。アレで生きとるんやなんて」
「レ……レオン、さ……」
レオンさんは岩から軽やかに飛び降りると、黒い銃を口元に寄せ、煙を吹き消した。
炸裂銃とはまた違う、『拳銃』という小振りの銃だ。北の大陸で開発されたばかりの新しい武器で、指先ほどの鉛の弾を撃ちだすのだと聞いたことがある。
「動くな」
今度は首に痛みだ。いつの間に拾ったのだろう、少女が僕の首に鋭い石の先を突きつけていたのだ。
「ちょ、ちょっとちょっと!」
「そっちから来てくれるとはな。武器を捨てよ。こやつを殺されたくなかったらな」
慌てる僕には目もくれない。ドスのきいた声をレオンさんに突きつける。
「おいおい、いきなりかいな。まだ自己紹介もしとらんやないの」
「さっきさんざんしてもらったわい、手痛いのをな」
「それもそやな。ははは」
レオンさんにしてみれば、この少女は全くの初対面のはず。なのにまったく不思議に思う様子もなく、むしろ彼女がニワトリであることを知っているようにも思える。
「要求は一つじゃ。わしの竜魂を返せ」
首筋に触れる石の感触は鋭い。女の子の力でも、柔らかい皮膚をつきやぶるくらい、わけもないだろう。とんでもない子だ、可愛いなんて思うんじゃなかった。
「的外れもええとこやなぁ。人質いうんは、相手の大事な人間をとるもんや。その子殺されても、俺的には別に? ちゅー感じやし」
体の血が冷えるのが分かった。一体この人は、人の命を何だと思っているんだ。
「ほんでもって語るに落ちる、っちゅーヤツやな。『竜魂』を返せ……つまり、それがあらへんと『金剛竜』に戻られへんわけやな?」
「こ……金剛竜?」
まるで話が見えない。が、背後の少女はその言葉に、明らかに息を呑んだ。
「……お主、どこまで知っておる?」
「いんや、俺も大陸の商人から聞きかじっただけやねんけどな……。ずぅーっと南、海を越えた向こうの、まだ大陸の誰も行ったことのない土地に、『ティエロ』いう国がある。そこでは人間は魔法が使えて、火や風を自由に操れる。その魔法を使って、人間と竜をかけ合わせた生き物を作りだした……ジュリオ君も聞いたことないか?」
突然話を振られ、茫然自失の僕はハッとした。
「ま、魔法の国の話だけは……少しは」
『洗礼』の術も、その魔法国家の魔術師が大陸の端に流れつき、めぐりめぐって百五十年ほど前にゾディアに伝わったものだという。
それまで竜は、矢はきかない大砲も当たらない、家の中に閉じこもるか生贄をささげるかぐらいしか取る手のない、恐怖の象徴だった。今のようにどうにか山に追いやることができているのは、大陸からで生まれた銃と『洗礼』のおかげだ。
それでも、魔法国家の存在を信じている人はほとんどいない。炎や風を操るなんて、おとぎ話もいいところだから。
「正直あんまり荒唐無稽すぎて、ついさっきまで忘れとってん。けどこうして実物を見たからには信じんわけにはいかんわな。で、その金剛竜がなんでここにおるんかな?」
「……」
「はは、そこまで教える義理はないか。ともかく、人と竜の合体やっちゅう限り、竜魂をとっただけではダメ。人間の側の魂も俺のモンにせんとアカン、と。そうやろ?」
「それが分かっていながら、なぜつきまとう。あきらめて返せ」
「おっと、認めたな。半分くらい推測やったけど、いや、よかったよかった」
笑うレオンに、少女は舌打ちをした。
「そして、残念……あるんやなぁ、人間を『洗礼』する術っちゅうのが」
新しいオモチャを自慢するような、レオンさんの口調。僕の頭から血の気が引いた。
「それも大陸の商人に金払うて教えてもろたんやけどな。まぁ、自分はちょっと特殊やから分からんけど。とりあえず試してみる価値はあるよなぁ」
「レオンさん!」
思わず叫んでいた。当たり前だ。
『洗礼』は竜だけじゃなく、ほとんどの動物を飼いならすことのできる術だ。必然、「人間に使えないか?」と考える人間は出てくる。
人間は動物より精神が複雑なためか『洗礼』は困難らしい。が、それでも人の道に外れるということで、人間への応用は、実行はおろか研究するだけでも重罪になる。
「大長老会が知ったら、大変なことになりますよ! ヘタをしたら死刑――」
銃声と激痛。今度は右足だった。
「あらー、また外した。心臓狙ったんやけどな。どういう照準やねんコレ」
うめく僕を、レオンさんは見てすらいない。
煙を吐く銃を不思議そうにながめるだけだ。
「ちゅーかや、ジュリオ君。ちょっと黙っとってくれんかいな。今、楽しいお話の途中やねん。そういうのアカンてガッコで教えてくれへんの?」
「レ……レオン、さ……」
「なんせ相手は運命の人や。今の俺はちょっと手段選んでられへんで」
脂汗がにじみ出る。痛みに噛みしめる唇が、血を滴らせる。それでも。
「だから……僕を身捨てたんですか」
ようやく言葉が形になった。怒りと悔しさで、体中の内臓が溶けてしまいそうだった。
「最初から捨てるつもりだったんですか! 僕の面倒を見てくれる、っていうあの言葉はウソだったんですか!」
が、レオンさんは、怒鳴られるなんて思いもしなかったという顔をした。
「いやいや、そうやないって。自分の覚悟にはそれなりに感動したし、狩りを見せたろうっちゅー気持ちもホンマやったよ。あんときは」
「なら、なんで!」
口をひん曲げ、天を見上げて考えること五秒。
「うーん……流れ?」
愕然とした。
どっちでもよかった、っていうのか。利用してやろうとか、そういう考えですらない。僕なんて話の流れ次第でどうとでも使わわれるだけの存在にすぎなかった、って――
「あ、そうそう、アレも一応理由っちゃ理由かな。自分に親がおらんっちゅーところ」
「……?」
「だって、死んでも泣く人おらんのやろ?」
――僕は。
きっと、期待していた。どうして身捨てたんだ――そんな怒りの一方で、ひょっとしたらまだレオンさんの元に帰れるかもしれない。謝ってくれれば、あるいはこっちから歩み寄れば、何事もなかったかのように最強の竜撃士の庇護の元に戻れる。そんな卑屈な計算が、心の中に多分、あった。
ぽたり、と何かが足元に落ちた。地面に小さな水の染みがあった。僕は泣いていた。
なんてバカなんだろう。そんなみっともない期待に、無くなってから気づくなんて。
銃口が再びぎらついた。にじんだ視界の向こうで、レオンさんの指がしっかりと引き金にかかった。死がまっすぐに僕を見つめていた。
僕はぽつりとつぶやいた。
「……右の、内側のポケット」
「何?」
聞こえたのは、背後の少女にだけだ。それでも彼女は、ここで自分に話しかけられたのだとは思わなかったらしい。もう一度、声をかける。
「コートの内側のポケット。それを、地面に投げつけて」
チームに参加したとき、もらった道具は確認してある。それは必ずそこにある。
少女は答えない。僕の言葉をどう受け取ったのか、うつむく僕には見当もつかない。
それは賭けだった。この土壇場で、彼女が僕を信じるか信じないか。こんな情けない僕を、運命がまだ僕を見放していないのなら――
レオンさんの指がぎゅっと引き絞られる。
瞬間、少女は僕を突き放した。左右に分かれる形となった僕らに、レオンさんの銃口が一瞬惑い、それが好機になった。
羽織ったコートの内側に、手を突っ込む少女。そこから出てきたのは、銀色の缶。
叩きつけると同時に、ドッ、と白い煙が爆ぜた。
煙幕だ。左右を岩に挟まれた空間、煙は一瞬にしてあたりを包み、白濁する視界、響く銃声、岩場に弾の当たる音、背後へと続く軽い足音、僕はそれを追いかけ、そして――