第7話
とりあえず、服だ。
縄を解いて、コートを着せて岩陰に運んだ。布ごしの少女の体は暖かくてやわらかくて、まるっきり人間の女の子のそれと同じだった。
……いや、実際さわったことないけど。
コートの前がはだけないよう、そぉぉっと砂地に横たえる。浅く息をする少女の顔を、そっとのぞきこんでみる。
……めちゃくちゃ可愛い。
卵型の輪郭に、ちょこんと突き出た鼻、小さな口。ちょっと幼いけれど、人形みたいに整った顔だ。生まれてから今まで、見たことのないくらいに。
腰までの長さの髪は、ちょっと縮れたクセがある。が、それより目を引くのはその白さだ。おじいさんの白髪じゃなくて、たとえるなら山の頂上にかかる、淀みない雪。そして真っ白な頭の前髪の部分、ほんの一房だけまじった赤い髪――ニワトリのトサカのような。
信じられないことだけど、彼女がどうやらあのニワトリ、であるらしい。
けど、人間に変身する竜なんて聞いたことないぞ? おとぎ話に出てくる、竜と人の間に生まれた子とか、呪いで竜にされた人間とか……そのあたりだろうか。
どちらにしろ。
「これから、どうしよう……」
灰色の岩壁に挟まれて、あたりは不気味に薄暗い。曲がりくねった道が前後に伸びているが、果ては見えず、どこまで続いているのやら。グランデ山は竜と獣の住処だから、一刻も早く逃げ出したい……のだけど、この子を置いていくのも気が引ける。
「そうだ。レオンさんに……」
助けてもらおう――そう思いかけて、僕は肩を落とした。
あの人に、何をしてもらおうって言うんだ。僕は、見捨てられたんだぞ。
助けてくれる人なんて誰もいない。いよいよ一人ぼっちになってしまった。
鳥の鳴き声が岩山にこだました。どうしようもない孤独感が襲ってきた。ふもとまでは歩いてどれくらいかかるだろう。ひょっとしたら僕はもうここで朽ち果てるしか――
「おい、人間」
振り返る前に、背中を蹴られた。
顔面から砂地に突っ込み、しこたま砂を食う。
何だ何が起こったと仰向けになった瞬間、
「ギャアッ!」
思わず目を閉じた。
真っ暗な視界の外から、鈴のような、だけど妙に迫力ある声が降ってきた。
「もう一人は、どこじゃ」
「は、はいっ? も、もう一人っ? い、いやそれよりっ」
「……なぜ目を閉じておる。わしのほうを見ぬか」
「み、見れない見れない! 見れませんッ!」
少女の声はイラだっていた。
だけど何をどうされたって、目を開けるわけにはいかない。
だって、だって……彼女は僕の顔をまたいで立ってるから! コートの下はハダカだから!見たら、見えちゃうから!
「わあああっ! み、見てない見てない! 断じて見てません僕!」
ホントはチラッと見えたけど、詳細には見てない! というか理解を超えてます!
「いいかげんにせい! 無礼じゃろうが!」
怒鳴り声に、僕はビクリと目を開けた。幸いというべきか、少女は鼻先まで顔を近づけてきていて、秘密空間は僕の視界から消えていた。
少女の瞳が、間近に見える。気の強そうに吊りあがった目尻。敵意むき出しなのに、吸い込まれてしまいそうな薄い青色。まるで、青空をそのまま閉じ込めたような――
「もう一人の人間はどこにおる。お主と一緒に紫の竜に乗っておったヤツじゃ」
「え……え? れ、レオンさんのこと……?」
「レオンサンノ? 妙な名前じゃの」
「いや、『さんの』までが名前じゃないんだけど……」
ここにきて、ようやく思考が落ち着いてきた。
上に乗られている。手と胸を踏みつけられている。立場は完全に向こうのほうが上だ。
けど。なんだろう、この弱さは。踏みつけられているのに、ちっとも痛くない。
ものすごく体重が軽いのだ。よく見れば、威嚇するようなその顔も、かっと開く小さな口も、実は妙に可愛らしい。
ひょっとしてだけど。ちょっと体を起こせば簡単にどけられるんじゃないだろうか。
――いやいやでも、待て。
そんな簡単にいくわけない。弱いと見せかけて少しでもおかしな真似をしたら、頭からバクリというワナなのかもしれない。というか、もしそうでなかったにしても、これだけ上手に出ている相手に対して、簡単に反撃するのは悪いというかなんというか。
そこで少女が上体を起こした。
必然、コートの隙間からささやかな膨らみとその先端が、
「わーっ!」
はね起きた。頭からバクン。……なんてことはもちろんなく、彼女はゴロンと一回転、そのままの勢いで後ろのでっかい岩に、
「みゃぐっ?」
後頭部、モロ。ものすごい音に、僕はぎょっと立ちあがり、
「ご、ごめんっ! だだ大丈夫っ?」
慌てて駆け寄ると、少女はぺたんと座りこんで頭をかかえ、「うぅっ~」と声にならない声を出して苦しんでいた。
「あ、うっわ~、コブになってる」
「ひきっ? いたたっ、やめんか、つっつくな!」
見事なコブに思わずつっついてしまった僕の手を払い、少女は立ちあがった。
次いで「ええい、もういい!」と吐き捨て、とっとと歩み去ってしまう。
「え、ちょ、ちょっと、どこ行くの!」
こんなところに一人に置いていかれたらたまらない。ひるがえるコートに慌ててついてゆく。さっきまでこの子のために留まってたのに、なんでこんなことになってるんだ。
「ねぇ、君、何者なの? あのニワトリ……なんだよね?」
「……」
「いや、僕は別に君を捕まえようってわけじゃなくてね。ただ、どういう素性なのかな、ぐらいは知っておきたいっていうか……」
「……」
「やっぱり呪いとか何かなの? それとも竜と人の子供、とかで……」
少女はむっつり押し黙って答えない。歩調はゆるまず、ざんざか砂を踏みつけながら、奥へ奥へと進んでゆくばかり。僕という存在に興味をなくしたかのようだ。
と思った瞬間、いきなり少女がこっちに向き直り、僕の腕を取った。
「え、なに、ちょっ?」
そのままぐっと引き寄せられる。背中に胸が当たり、そのやわらかさに脳髄が焼け、
「がっ?」
左肩に激痛が走った。
何が起こったか分からなかった。骨までえぐる痛みに、頭が赤い光で焼き尽くされる。たまらずヒザをついたその上から、忘れもしない声が降ってきた。
「あっちゃー、外してもうた」
十分に当たっているのだが、激痛に言い返せるはずもない。
岩壁の上に腰かけて見下ろしてくるのは、金髪碧眼の竜撃士だった。