第6話
竜撃士たちが一斉に飛び出し、入れ替わりに砂金採りの工夫たちが家の奥へと転がりこむ。怒号に足音、武器防具をつける音。一気に動き出す状況の中で、僕は見た。
上空だ。太陽を背負った巨大な影が、こちらめがけて急降下してくる。逆光の中、少しずつその姿が明らかになってゆく。
(あれが、ニワトリ……!)
最初に思ったのは、聞いたよりも竜っぽい、ということだ。全身がくすんだ白で、皮膚は岩石のようにごつごつとした感じ。突き出たアゴも頑丈そうな脚もやはり竜っぽくて、どこがニワトリなのか分からない。
いや、考えている場合じゃない。ニワトリはそのまま一気の降下で僕の頭上に迫り、
墜落した。
「え? え?」
轟音に続いて炎がまき散った。落ちたのは僕のすぐ脇、焚き火の上だ。火をまとった木片がめちゃくちゃに散らばって、視界が歪むほどの熱波とともに無数の火の子が爆ぜる。真っ赤な炭が顔面に飛んでくるのを、慌ててよける。
何がなんだかわからない。見れば、バウンドしたニワトリは地面の上で体を丸めてぐったりとしていた。というか気絶していた。
そしてその竜の背中、同じく白目をむいた人間が――
「どこ見とんねん! それ、味方や!」
そうだ、これは見張りに出ていた双魚宮のジラルディさんとその真珠竜……って、え? もう落とされたの?
なんて思っている間に、今度は黒曜竜が落ちてきた。建物と他の竜たちを巻き添えにしてゴロゴロ転がる人と竜、悲鳴と絶叫と炎が巻き上がり、あっという間に大混乱に陥るチーム。悪夢のような光景の中、宿屋の柱にすがりつき――そして、今度こそ僕は見た。
ほんの数十メートル上空。白い翼を雄々しく広げた竜、いや、まさに鳥だ。
鋭い瞳に尖ったクチバシ。翼はレオンさんの言った通りの、羽毛が重なったそれだ。体は普通の竜より一回り小さいが、翼を広げた端から端までは十メードはある。そして、純白の羽毛に包まれた全身の、額の部分の一房だけが赤い……だけど、これはニワトリなんて可愛いもんじゃない。言うならば、巨大なタカだ。
「ひるむな! 火銃隊、撃て撃て撃てェ!」
後衛たちが銃を構え、一斉に引き金を引いた。幾重もの銃声と硝煙の中、弾丸が飛ぶ。
が、ダメだ。物が散らばったせいで隊列が整わず、弾はてんでバラバラに飛んでゆくばかり。しかも、各チームが我も我もと手柄を求めて撃ちまくるせいで、まるで統制がとれず、ニワトリにはかすりもしない。
(い、いや……)
それ以前に。
(速い!)
ケタ外れの速さだ。白亜の竜はその姿がブレるほどのスピードで右に左に軌道を変え、弾丸の雨を抜けてゆく。まるで踊るように。
「うわああああ! き、来た!」「退避ィ――――!」
背中を見せて逃げ出す兵たち。燃えるような風切り音とともに急接近するニワトリ。
「うわわわわわわわ!」
こっちに来た! 白い翼で風を切りながら、一気の降下、僕の眼前に迫り、
銃声。
ニワトリが、僕の頭をかすめるように空へ戻ってゆく。
いや、逃げてゆく。羽毛が舞う。
「レオンさん!」
背後で硝煙を吐き出す銃を構えていたのは、レオンさんだった。
この混乱の中で、さすが――と紡ごうとした僕の言葉は途中で切れた。
「さぁ行くで!」
どこへ? と聞くヒマもない。腕を引っ張られて連れていかれた先は、チェンタウロの背中。鞍の上に乗っかったレオンさん、その後ろに乗せられ、次の瞬間、
「どえええっ!」
飛んだ! 一気に地面が離れ、火事場のような戦場が小さく遠くなってゆく。
「とりあえずこっから離れるで!」
事態に頭がついていかない。幼児のようにレオンさんの腰にしがみつきながら、噛みあわない歯の隙間から声を漏らす。
「な、なん、で」
「アホか、よう考え! 他のヤツにニワトリ殺されてもたらかなわんやろ!」
そうじゃなくて、なんで僕が一緒に? いや、確かに竜に乗せてくれると言われたけど、何もよりによってこんなときにじゃなくたって、あああああああ。
今になってやっと、これが自分の初飛行であるこに気がついた。もちろん余韻も感動もクソもない。すさまじい揺れに吹きつける烈風、眼下をブッ飛んでゆく家屋と川、そして背後に不穏な風切り音。振り返れば、そこに翼を広げた白竜が――
「き、き、来た! 追ってきましたよ、ニワトリ!」
「ハハ、思った通り、撃たれて怒ったな。プライドの高いやっちゃで!」
名前とは裏腹の、猛禽類そのものの鋭い爪が魔物の口のように襲いかかってくる。
いきなり視界がぐるんと回った。耳の真横でガチン! と鋭い音が鳴り、それがニワトリの爪音だと分かったときには、相手は上空に身を躍らせていた。
レオンさんがチェンタウロの身をひねらせ、攻撃をかわしたのだ。
けど、あくまでかわしただけだ。しかも紙一重。次に来られたら――
「捕まえたで」「え?」
何のことかと首を戻す。見れば、レオンさんの手に一本のロープが握られていた。
ちょっとやそっとで切れそうにない、ぶっとい荒縄だ。手から伸びるゆるやかな曲線は、十五メードほど上、ニワトリの肢につながっていた。
「い、いつの間にそんなの……っていうか、今の間に結んだんですか?」
「おうよ。あんなすばしっこいヤツ、まともに撃っても当たらん。けどこれやったら!」
ビン、とロープが張りつめる。ニワトリの上昇ががくんと止まる。ここではじめて自分が捕えられたことを理解したらしい、ニワトリは左右に激しく身を振り始めた。
「! 逃げる気ですよ!」
「おう、逃がしなや!」
「はい! …………はい?」
見返す僕の目の前。レオンさんの満面の笑みと、ズイと差し出された縄があった。
「あの……何ですか?」
「持っとってくれ! 死んでも放しなや!」
「え……ええええ――っ? 無理ですよぉ、そんなの!」
張り詰めたロープは、いかにも苦しげに身震いしている。こんなの抑えられない!
「アホ! 何のためについてきたんや! ええトコ見せえ! 変わりたいんやろ!」
ぐっ、と喉が詰まった。
そうだ。これじゃ、ただの傍観人――今までと同じじゃないか。
僕だって何かしなきゃダメだ。レオンさんの役に立つんだ。
今までの自分を超えるんだ。
意を決して振動するロープをつかむ。というか、しがみつく。
レオンさんが手を放し、瞬間、荒縄が獰猛に暴れ出した。いだだだ、手が、手の皮が!
「ダメです、やっぱりダメー! 手首ちぎれる!」
「早いなオイ! 腰に巻け! 死ぬほどしっかり強く!」
もう言われるがままだった。僕は無我夢中でロープを胴に巻きつけ、固く結んだ。
そうこうしている間に、レオンさんは炸裂銃を撃ちまくる。直撃こそしてないものの、翼や胴を弾が捕え、そのたびニワトリがぐらつくのが確認できた。
これなら行ける――そう思ったとき、不意にレオンさんの顔色が変わった。
「アカン」「え?」
つられて前を見る。目の前に巨大な壁が現れた。
グランデ山の南壁だ。飛んでいるうち、山ふともまで来てしまったのだ。
切り立った岩壁が迫る。ニワトリは壁を越えたがこっちは高度が足りない、ぶつかる!
「チェン! 上昇!」
かけ声とともに、チェンタウロは上昇した。自分の体重が何倍にもなったような感覚に、声も出せない。垂直の壁を、腹がこすれそうなくらいのギリギリでやり過ごし、見上げる先には岩壁の頂点。もう少し、あと少し粘れば――
岩が消えた。
――抜けた!
その瞬間だった。空を見るはずの僕の目の前に、二本の爪が出現した。
ニワトリだ。僕らがこうすることを見越して待ち伏せていたのだ。
「これを――」
レオンさんが。
「待っとったんや!」
神業としかいいようがない。レオンさんはチェンタウロの体を横に倒して相手の爪の間を抜けた。一瞬遅れて白い羽根が舞う。チェンタウロの翼が、刃のようにニワトリの腹を斬ったのだ。かすめただけのようだが、この芸当、すごい! これなら勝てる!
すれ違う二頭の竜。ニワトリはそのまま下へ落ちるように降りてゆく。
……下へ?
青ざめたときにはもう遅い。ヘソをハンマーで殴られたような衝撃とともに、僕の体はチェンタウロから引き剥がされた。
「ぎゃ―――――――――――――!」
めちゃくちゃな勢いでレオンさんの後ろ姿が、空が雲が遠ざかってゆく。
縛ったロープはがっちり食い込んでほどけない……って、ほどけても困るんだけど!
「お、落ちっ、落ちる、おちるぅぅぅぅ!」
と思った瞬間、再びの衝撃。またもや空へと急上昇する僕の体。
もう声も出ない。体も動かない。かろうじて分かったのは、ニワトリが急旋回で上へ行き、それに振り回された自分が振り子のように宙を舞っているということだけだ。
どすん、と尻に衝撃が来た。遅れて上下の感覚が戻り、僕は足元に地面を感じた。
……空に地面? いや、違う。この柔らかい感触は、まさか……
「おお! 運のええやっちゃな!」
「は……? レ、レオンさん?」
レオンさんが横にいた。ここは、ウソみたいだ、ニワトリの背だ。
「ちょうどええトコや! 今から『洗礼』するから、よう見ときや!」
言いながら、レオンさんは目にも止まらぬ速さで洗礼紋を刻んだ。
鱗で覆われていない背中をナイフで切られ、ニワトリが悲鳴を上げる。レオンさんは構わず紋を完成させる。
ぐるぐる回る頭で、それでも僕はどうにか、状況を把握することができた。
レオンさんの勝ちだ。最強の竜撃士が、最強の竜を手に入れる瞬間――僕はそれに立ち会うのだ。体が震えた。
「我が名を聞け! 我が血を受けよ! 我が名は、レオナルド・ネスタ!」
ド、と光があふれ、刻んだ紋から見たこともないような白銀の煙が噴き出した。レオンさんの左腕に新たな紋ができ、竜魂の煙はそこへと吸い込まれてゆく。そして。
「……?」
何も起こらない。
本来なら、ニワトリが何かしら恭順のポーズをとるはずだ。なのに今までと同じようにまっすぐ飛び続けている。レオンさんもわけが分からないという表情でいる。
そこでいきなり、ニワトリが急降下した。いや、これは降下じゃなく……落ちてる!
レオンさんの判断は早かった。俊敏な動きでニワトリの背から、並び飛んでいたチェンタウロに乗り移ったのだ。
「レ、レオンさん! 僕も……うわっ?」
慌てて続こうとした途端、がくんと後ろから引っ張られた。
腰のロープだ。ぐちゃぐちゃにからまって二メードほどの短さになったそれは、落ちてゆくニワトリに僕をがっちりとつなぎとめていた。
慌てて結び目に手を伸ばす。が、それは石のようにギチギチに固まって、ちょっとやそっとじゃほどけそうにない。一体誰だ、こんな固く結んだのは!
「レ、レオンさん! 助け……」
言いかけて、僕は固まった。レオンさんは――苦笑いを浮かべていた。
「あー……ゴメンな、ジュリオ君」
「な……。え……?」
「ムリ。あきらめて」
何を言っているんだろう、この人は。
「……だって、そ、その、銃でロープを切れば」
「そんなんしたら、ニワトリに当たってまうやん。殺したら元も子もないし」
ますます意味が分からない。受け入れられない。
だって、僕のことを面倒見てくれるって。ニワトリに一番最初に乗せてくれるって。
「ま、ええ『重し』になってくれたわ。そっちもええ夢見れたことやし、十分やろ?」
そろえた二本指で下から上に線を描く。それは「安らかに死んでくれ」の意味だ。
とうとう僕は、分かってしまった。
僕は、見捨てられたのだ。
ド、と絶望的な風の音がした。ニワトリが頭から落ち始める。足場を失った僕はロープに引っ張られるまま、岩山へと落ちてゆく。あがいてももがいても逃げられない。
「うっ…………うわあああああああああああああああああああああああああああああ!」
あとはただ、地の底まで続くような絶望が――
――やっぱりダメだったんだ。
そんなうまい話、あるわけがない。誰かが僕を変えてくれる、導いてくれる。
そんなふうに考えていた僕が、甘すぎた。
僕は変われない。救いの手なんてありはしない。このまま、きっとこのまま――
「……生きてる」
気がつくと、宙に浮いていた。
岩の狭間にぶら下がっている。仰向けになって、背中を反らした状態で。
あたりは暗かった。顔を起こして、ようやく自分の置かれている状況が分かった。
ほんの二メードほど上に、ニワトリの巨体があった。
巨大な岩を巨人がナイフで真っ二つにしたような、左右から岩壁が押しせまる地形。僕はちょうどその隙間に落ちたのだ。
ニワトリは体が大きい分つっかえ、ロープでつながった僕は僕は落下をまぬがれた。地面は手の届くような近さにある。ちょっと間違っていれば墜落死していたところだ。
ニワトリは死んだかと思ったが、違ったようだ。身じろぎするたびにカラカラと小石が落ちてくるのが、その証拠――
「え……?」
次々と石が降ってくる。ニワトリの巨体が、ずず、と少しずつずり落ちているのだ。
普通の竜より一回り小さいとはいえ、それでも大きさは四メード近く。こんなのが落ちてきたら潰されて死ぬ! この何分かで十回くらい死んでるけど今度こそ確実に死ぬ!
僕は慌てて身をよじった。が、ロープはやはりからみにからんで外せない。
とうとうガケの端が崩れた。一瞬遅れて、ニワトリの体が容赦なく降ってくる。
「わ――――――――――――――ッ!」
どすん!
…………。
「あ……あれ?」
生きている。
衝撃はあったが、思ったほどじゃない。
そろそろと目を開け、体の上に横たわるものを見る。
そこにいたのは白い竜じゃなかった。
女の子だった。
素っ裸だった。
言葉が出なかった。呼吸すら忘れた。ぱくぱくと口を開け閉めすることしかできない僕の脚の上、少女はぐったりと四肢を投げ出してわずかに身じろぐだけ。
僕と同じ年頃の少女。小さな唇が細く息をつむぎ、長い睫毛がぴくんと揺れる。
雪のように白い脚を目でなぞれば、足首にちょっとやそっとじゃ切れそうにない頑丈そうなロープが巻かれていた。それがつながった先は……僕の腰だ。
乾いた風が吹いた。ささくれた縄の感触を手の平に感じながら――どうしてだろう。
僕の胸には、さっきのレオンさんの言葉がよみがえっていた。
――運命の糸って、信じるか?