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第32話

 ドッ、と滝の水の落ちるような音がした。

 空を往くチェンタウロの背から、白銀の光が弾け出た。

 レオンの命が尽きて、竜魂が解き放たれたのだ。

 光の筋は夜空に放射され、流星のようにこちらへと向かってきた。

 あまりの眩しさに目がくらむ。

 そして――

「あ……」

 開いた視界に、白髪の少女が立っていた。

 石のようだった肌に、瑞々しさを取り戻して。

「ルーチェ……元に……」

「戻れた。お主のおかげじゃ」

 全身の力が抜けた。終わったのだ。全てが。

 安心感と、達成感と、そして――ずっと我慢していた痛みが一気に襲ってきた。

「! ジュリオ!」

 ルーチェが血相を変え、僕の傍らに膝をつく。

 上着の裾をたくし上げると、その顔がぎゅっと強張った。

 腹だ。

 レオンに後ろから飛びかかったとき、すでにもう一発の銃弾が僕を貫いていた。

「くっ……」

 ルーチェはすぐさま傷口に唇を寄せようとしたが――寸前でそれを止めた。

 当然だ。これに比べれば、肩の傷さえ可愛く見える。『治癒』は効かない。

「ジュリオ……お主、こんな体でっ……」

「いいんだ……」

 不思議だ。死んだことなんて一度もないのに、自分が死ぬとはっきり分かる。

 そして、不思議と怖くない。むしろ満ち足りている。彼女を守り切れたのだから。

「ルーチェ……僕は、君のこと……」

 急速に視界が暗くなった。

 そこから先は、もう言葉をつむぐ力もない。

 ルーチェの顔がぼんやりと消えてゆき、永遠の闇がのしかかって――

「Beatius est magis dare quam accipere」

「ん?」

 僕はぱちりと目を開けた。……痛くない。

 見れば、僕の全身を巨大な光の球が包んでいる。

 そして、腹の傷どころか肩や手、つまり全身の傷がものすごい勢いでふさがってゆく。言葉もなかった。

「あの……」

 ルーチェはいい仕事した、みたいな感じで額の汗をぬぐった。

「ふー。間に合ったわい」

「いや……その……なにこれ」

「実はな、命にかかわるケガでも治せる魔法があったのじゃ」

 ほほう。それはなんとも都合のいい。

「それじゃあ……さっきは、なんで使わなかったの……?」

 当然の疑問に、ニワトリ少女は、ぐんと胸を張って答えた。

「忘れておったのじゃ!」

「偉そうに言うことか――!」

 うわああああああああああ何これ、何この恥ずかしさ! 

「別に良いではないか、助かったのじゃから」

「だってだって、カッコつけて逝くつもりだったのに! いっそ死に直したいよ!」

 阿呆、とハタかれ、ばたりと倒れる。

 やがて光球はしぼんで消え、仰向けで見上げる空に月明かりが戻ってきた。

「……『誓約』は解除した。これでお主は自由の身じゃ」

 ルーチェの言葉に、僕は、やっと本当に終わったのだと思った。

 雲はすっかり薄くなり、切れ目からは大きな満月が見えた。あれだけの嵐があったとは信じられないくらいの、静かな夜。

「ねぇ、ルーチェ……これから、どうするの?」

 本当は聞くまでもない。ルーチェが戦った理由の一つは、ナワバリを取り戻すためだ。だから、目的が果たされた今、山に帰るに決まっている。

 けど……今、僕の気持ちはあの頃とは違う。

「あの……あのさ。もし、ルーチェさえよかったら……僕と……」 

 と、そこで違和感に気がついた。

 最初は目の錯覚だと思った。

 貧血のせいか、あるいは月光がまぶしすぎるせいか、と。

 だが、寝そべる僕のかたわら、ルーチェの体は確かにうっすらと光っていた。

 ちょうど全身に青い膜を張ったように。

 そして、彼女の体そのものが、うっすらと透けていっている。

「ルーチェ!」

 ルーチェは微笑んでいた。見たこともないくらい、幸せそうに。

「『誓約』の術は対等じゃ。借り受けた魂を返すときには、術者は一切の傷をも対象に残してはならん。すなわち……お主の受けた傷は、わしの魂へと移る」

 僕はなんてバカなんだ。

 さっきのは、命を救う術なんかじゃなかった。『誓約』の解除の呪文だったんだ。

「ダメだ、ルーチェ! 今すぐ解除をやめろ!」

 僕はすがるようにルーチェの体をつかんだ。その手は空を切った。ルーチェの肉体は、すでにこの世になかった。

「ルーチェ! っ……やめろ……! こんなことされて、僕が喜ぶと思ってるのか!」

「阿呆。さっき同じことをしようとしたのは、どこのどいつじゃ」

 それが許せなかった。その気持ちが分かるから、なおさらに怒りがこみ上げてきた。

「ウソだ、こんなの! 家に帰るって言ってたじゃないか。ご飯を食べて、スカートを履いて、アルダさんとケンカするんだって……そう言ったじゃないか! ルーチェ!」

 青い光が、ルーチェの全身を埋めつくす。いや、ルーチェ自身が光になってゆく。

「……お主になら、死に顔を見られてもよい。怒った顔も泣いた顔も笑った顔も、みんなみんな、見てほしい……最期に気分になれたのは、お主のおかげじゃ」

 神様。もうルーチェをしゃべらせないでください。どうか、これ以上。

 彼女が何を言おうとしているのか、僕には分かるから。

「やめて……やめてよ、ルーチェ……!」

 そんな言葉なんて聞きたくない。そんなために、教えたんじゃないんだ。あれは。

 なのに、彼女は口を開くのだ。幸せそうに、笑って――

「ありがとう」

 光が弾けた。

 ルーチェの体は無数の光の粒となり、渦を巻いて夜をさかのぼっていった。

「ルーチェ―――――――――――――――――――――――――――――――――!」

 僕の叫びは空へと吸いこまれた。腕を伸ばしても声を上げても、届きはしない。

 風は止んでいた。雲も去っていた。漆黒の彼方へ、光の渦が消えてゆく。

 泣き叫ぶ僕のはるか上、きらめく星くずだけが――

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