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第29話

「考えろ、考えろ、考えろ、考えろっ……!」

 銃も撃てない僕に、今できるのはそれだけ――だけど、どうしたらいい?

 遠距離では向こうが圧倒的に有利。

 スピードも封じられている。

 よしば接近できたとしてあの身のこなし――さっきも、もしナイフじゃなく銃を使われていれば終わっていた。

「……待てよ」

 そう言えば、どうしてレオンは銃を使わなかったんだ? あの距離でわざわざナイフを持ちだす方が手間だろうに。何か使わない理由でも……。

 ――そうか。

『! ジュリオ! 何をしておる!』

 ルーチェが叫んだのも無理はない。僕は、彼女の背の上で立ち上がり、後ろ、つまりレオンのほうを向いて両腕を広げていたのだから。

『やめんか、落ちるぞ!』

「落ちないように飛んで!」

『あ、阿呆! とっとと座れ! そうでなくとも、的を大きくすれば狙い撃たれるぞ!』

「それが狙いなんだよ!」

 ルーチェがあぜんとするのがハッキリ分かった。

 狂ったのかとでも言いたそうな空気が背中から伝わってくる。

 しかし、効果はすぐさまハッキリとあらわれた。

 レオンが撃ってこない。

 向こうとこっちは四十メードほど。

 レオンの腕前ならルーチェに当てるのはわけもないはずなのに、当のレオンは舌打ちの形に唇をゆがめるだけ。

『……撃ってこん。なぜじゃ? 弾切れか?』

「違う。最初から撃てないんだ」

『じゃから、なぜ? 分かるように説明せい』

「簡単だよ。レオンは、ルーチェを殺せない」

 あ、とルーチェが声を上げた。考えてみれば当たり前のことだ。

 レオンはルーチェを殺したいわけじゃなく、生け捕りにしたいんだから。

「さっきの交錯だって、あれだけ近づいたならナイフじゃなくて撃てばいい。それをしなかったのは、あのスピードの中じゃ、急所に当たってしまうかもしれないからだ」

「あらら、バレてもうたか」

 気がつくと、二十メードも離れていない高さに、レオンが接近していた。

「せやけど、それがどないした? 相手を弱らせてから捕える、なんちゅうのは狩りの定石やで。急所撃てんだかて、ナンボでもやりようはあるがな」

 それは強がりじゃないと思う。実際、一度はチェンタウロがルーチェを捕えたんだ。同じように捕獲して、乗り移る自信はあるのだろう。

 笑うレオンに、しかし、僕は強く言葉を投げ返した。

「でも、野性の竜は、こんなもの持ってないでしょう」

 後ろを向いたまま腰を下ろし、ルーチェの背中をまたぐように座る。伸ばした両腕の先にあるのは、炸裂銃だ。

「ハ。素人の銃が当たると思うんか? さっきで実証済みやろ」

「やってみないと分かりませんよ。なにしろ成長してますから」

 レオンの笑みと僕の睨みが激突する。一瞬の間を置いて、

「やってみぃや!」

 急降下。一気にこちらへと迫る紫の疾風。

「ルーチェ、下へ!」

 僕の声を受けて、ルーチェはぐんと下降する。レオンは細かく手綱を操り、ジグザグに飛行しながら突っ込んでくる。

 ――来い。

 最初から当たるとは思ってない。当てるつもりもない。目的は引きつけることだ。

 そうだ、僕は素人だ。動く相手に当てるなんてできやしない。だけど――

「これなら……どうだ!」

 引き金を引いた。狙った先はレオン――じゃなく、真下の水面だ。

 ルーノ川――街中を貫く川の水面ギリギリまで下がっていた。

 鼓膜が破けるかと思うような破裂音。水面から巨大な水柱が上がり、僕らの体はレオンの視界から消えた。

 百戦錬磨のレオンだ、見失った時間は一秒もなかったはず。

 だけど、それだけで十分だ。

「ルーチェ!」

 声をかけなくとも分かっていた。ルーチェはすでに水柱の上空へと身を躍らせていた。

 これしかない、ここしかないというタイミング。

 全ての計算と全ての運を味方につけて、

『ここじゃッ!』

 急降下したルーチェの爪が、チェンタウロの翼に食い込んだ!

 すぐさま銃を向けようとするレオン、だがそれよりも、

「そこまでだ!」

 こっちの銃のほうが早い。レオンは上げかけた銃を、胸の高さで止める。

「動いたら撃つ! 銃を捨てて降参しろ!」

 精一杯の声を腹からしぼり出す。渾身の力で睨みつける。

 対峙――自分に言い聞かせる。

 攻めろ。歯をくいしばれ。震えていることを悟られるな。

 この距離からなら、いくら僕でも絶対当たる。そして当たれば……間違いなく、死ぬ。

「聞こえないのか! すぐにその銃を捨てるんだ!」

 レオンは武器を離さない。中途半端な高さに持ったまま、どこを狙うでもない銃をぶらりと下げるように持ち続ける。

 やがて、その顔に浮かんだのは、不敵な笑みだった。

「竜のクソって、どんな味か知っとるか?」

 僕は眉をひそめた。

「ウチの樹区は昔っから鉄やら武器やらを扱う商人がハバきかせとってな。お抱えの竜撃士を何人も持っとるねん。言うたら私設の軍隊みたいなもんや。何人何頭、竜撃士と竜をかかえとる、配下の竜撃士がジオストラの代表になった……それが仲間内で自慢になる」

「な、何を……」

「金持ちの見栄の張り合いっちゅうのは、救いようがないわなァ。自慢の種を大きくしようとなった連中はな、なりふりかまわんようになってくる。たとえば、見所のある子供をさらって、竜撃士に育てよう……とかな」

 レオンが何を言おうとしているのか、僕には分かりかけてきた。

「もちろん全員が全員竜に乗れるわけやない。素質がなかったらゴミ同然に捨てられるのは当たり前。生き延びるためなら何でもしたで。『竜に乗りたけりゃクソを食え』って言われて、ホンマにそうしたこともあった。何やったら味も教えたろか?」

『ジュリオ! 耳を貸すな! 撃て!』

 ルーチェが絶叫する。僕の指は固まったまま動かない。レオンは笑い続ける。

「強がるなや、ジュリオ君。ビビってんのやろ……? 俺より腕のええヤツはナンボでもおった。けど、そいつらが俺に負けた理由、分かるか? ビビったんや。人殺しになることを怖がって、最後の最後で手が止まった。今の自分の目は、そいつらと一緒や」

『そやつはお主の心を乱すつもりじゃ! 惑わされるな! 撃て!』

「捨てても捨てんでも一緒やろ。この近さや、引き金引いたら終わりやで?」

『呑み込まれるな! 引き金を引け!』

「す……捨てろと言ってるんだ!」

 頭がぐちゃぐちゃだった。引き金にかかる指は、もう自分のものではなくなっていた。

 と――そのときだ。ひょい、と、あまりにあっけなく、レオンは銃を放り投げた。

 炸裂銃は銀色のきらめきを残して、荒波の中に消えた。

「あ……」

 胸の中の硬い空気が、ふっ、と抜けるのを感じた。

 そして聞こえる、レオンのつぶやき。

「間に合ったで」『ジュリオ、つかまれ!』

 ルーチェの叫びとともに足場が傾き、僕は前のめりにバランスを崩した。

 橋だ。水面に近づきすぎたせいで、川にかかる石橋にぶつかりそうになったのだ。

 足場が持ちあがったのは、ルーチェがとっさの急上昇で激突を回避したからで、しかし、それが分かったときには、レオンはもう一丁の銃――拳銃を取り出していた。

 倒れかかった僕に防ぐ術はなかった。

 至近距離の銃声、胸元に巨大な熱が生まれるとともに激痛が走り、凶暴な闇が意識を奪い去っていった。

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