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第25話

 大きな雨粒が窓を叩いている。外はひどい嵐だ。

 特別室から少し下った客室――ルーチェに部屋を明け渡した僕が新たにもらった部屋――で、僕はぼんやりとガラス戸のむこうをながめている。

 どうしてあのとき、彼女を抱きしめてやれなかったのだろう。

 震える背中に、ただ両腕を回してやるだけでよかった。慰めになるかどうか分からないけれど、泣きじゃくる彼女にできる、それがきっと唯一のことだった。

 なのに、僕の体は固まってしまった。ルーチェの体が、ひどく遠くに見えた。

 恥ずかしかったのか? それとも別の理由があったのか?

 分からない。情けない。

 理由すらも分からない自分が、あまりにもみっともない。

「入るぜ」

 フェデリコが入ってきた。彼は僕との訓練のため、学校の寮から竜に乗って通っている。今日は嵐のせいで、この部屋に泊まることになっていた。

「姐さんの部屋の扉は、俺が直しといた。他のヤツには見せてねェよ」

 見せてないとは、もちろんルーチェの顔のことだ。僕は「ありがとう」と言った。

 ルーチェのことについて、フェデリコは何も聞かないし何も言わない。それがありがたくて、同時に申し訳なかった。

「ねぇ、フェデ……」

「レオンは、化けモンだ」

 出し抜けにそう言われて、僕は驚いた。壁を見つめたまま、フェデリコは続ける。

「去年のジオストラで負けたこと、知ってんだろ。あんとき、俺ァ自信満々だったよ。レオンだろうが誰だろうが敵じゃねェって。けど、何にもできなかった。ヘビににらまれたカエルっつーのかな……対峙した瞬間、頭より先に体のほうが理解したんだ。『絶対勝てねェ』って」

「……」

「竜の操縦とか銃の扱いとか……レオンは確かにすげぇよ。けど、そんなところじゃねェ。それよりもっと別のレベルで、あいつは『俺たち』とは決定的に違う。実弾は使わねェって言っても、ジオストラは一歩間違えば人死にが出るから、参加者の間にゃ多かれ少なかれ、相手に対する遠慮ってのがある。けどレオンは、その一線を簡単に踏み越えちまうんだ。実際手を合わせたヤツならきっと分かるぜ」

 フェデリコの顔は、話すだけで青ざめているように見えた。

「……白状するとよ、俺、今回のジオストラはサボるつもりだったんだ。予選で負けたら立場がねぇから、そこだきゃあ勝って、本戦の直前で仮病かますつもりだった。それくらいレオンとは戦いたくねェんだ」

「……なんでそんな話を、僕に?」

 あのフェデリコが、自分の弱みを他人に見せるなんて思わなかった。

「……予選でお前が飛ぶのを見たとき、な。正直、見とれた」

「え……」

「こんなに綺麗に空を飛べるもんなのかよって。そんで、思ったんだ。こいつしかいねェ。あのレオンに勝てるのは、こいつだけだって」

「そんな、僕なんて……」

「バカヤロウ。自分じゃ気づいてないかもしれねェけどな、姐さんのあのスピードについてくってのはとんでもねェことなんだよ。俺には絶対マネできねェ」

 褒められている。なのに、どうしてだろう。背筋が寒くなってきたのは。

「俺には姐さんの顔のことは分からねェし、何に苦しんでんのかも知らねェ。けどレオンに勝たなきゃいけねェんだろ。なら、お前しかいねェんだ」

 フェデリコは僕の肩をつかんだ。泣きそうな顔で。

「俺が頼めた義理じゃねェのは分かってる。けど……頼むよ、ジュリオ。俺じゃどうにもならねェんだ。姐さんを助けてやってくれよ。頼むっ……!」

 そのままずるずるとへたりこむフェデリコ。僕は――戦慄した。

 分かってしまったのだ。さっき、どうしてルーチェを抱きしめてやれなかったのか。

 怖かったんだ。ルーチェの痛みを丸ごと支えることが。その重みを背負うことが。

 フェデリコも、そしてアルダさんも同じだ。

 僕に期待して、僕に想いを託そうとしてる。

 それがこんなにも恐ろしいことだと初めて知った。重みに潰されてしまいそうだった。

 今まで僕は誰にも期待されることがなくて、それが悲しくて、だけど、それはとても楽なことだったんだ。

 「僕なんかが」「僕なんて」「ただルーチェの背に乗っていただけで」。

 何度も繰り返してきたその言葉は、本当に謙遜だったのか? それを言い訳にして、僕は、自分でも気づかないままその重みから逃れようとしていたんじゃないのか? 弱い自分を憎みながら、本当はすがっていたんじゃないのか。自分の弱さに。

「僕は……」

 ふと。

 窓の外に目をやって、気がついた。暗闇の中でも分かる、無数の針が飛び交うような暴風雨の中を、何がが飛んでいる。目をこらして見れば、それは。

 ――チェンタウロ……?

 レオンさんの紫晶竜だ。背中の鞍には、レオンさんの姿もある。この風の中、ふらつきもせず樹の上のほうへと昇ってゆく。

 どうしたんだろう。獅子樹区に帰ったんじゃないのだろうか。こんな嵐の中、夜遅く、しかもあんな黒づくめの服でまるで人目をしのぶように――

 悪寒が駆け抜けた。頭の隅にイヤな予感が沸き出る。心臓が早鳴る。

 待て。落ちつけ。そんなはずはない。

 まだ、本番まで二週間もあるじゃないか。

 レオンさんだってついさっき、そう言ったばかりじゃないか。

 大体、レオンさんはルーチェの居場所を知らない。それなのにどうやって、

 ――てっぺんの部屋もろたんか。

 ――あのニワトリの子も一緒なん?

「……!」

 飛び出した。

「あ、おい? ジュリオ!」

 フェデリコの声を置き去りに、扉をブチ開け、螺旋階段を駆け上る。

 どうか、どうか勘違いであってくれ。心配のしすぎだと、そうであってくれ――と。

 そんな僕の願いを、爆音が吹き飛ばした。

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