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第23話

「はっはー、そうか! てっぺんの部屋もろたんか! 大出世やなぁ! おめでと!」

「……どうも」

「ちゅうことは、アレよ、あのニワトリの子も一緒なん?」

「……そうです」

「男女同室かー。アカンで、手ェ出したら。お、それはそうとイケるな、このリンゴ」

 果物屋で買ったリンゴに呑気にかぶりつきながら、レオンさんはひっきりなしにしゃべりまくる。通りの壁にもたれかかる様子に、まるで緊張の色は見られない。僕は身構えながらそれを聞く。もちろんレオンさんの手の届かない間合いで。

「ほんで、なるほどな。ジオストラで優勝したらナワバリに戻れる。負けたらおしまい、か。ええやん、分かりやすうて。乗ったで、それ」

「……」

「ところでコレどない? ちょいヒゲ生やしてみたんやけど。最近、こういうワイルドっぽいんが流行りでなぁ、獅子樹区は」

「……」

「あ、そうそう本題や。あの尻のでかい先生、どないしとる? あんときの続きしたくなってなぁ、今日は会いに来たんやけど、やっぱ学校に」

「どうして」

 投げつけるように、一言。レオンさんがキョトンと目を開く。僕は続ける。

「どうして……そんなに普通なんですか。レオンさん、僕のことを殺そうとしましたよね。僕のこと、使い捨てたんですよね。その相手に、こんなっ……僕、殺されそうになって、なのに、もっと……な、なにかっ……!」

 言葉がまとまらない。怒りと混乱と焦りがごっちゃになって、頭をかき乱している。

 会えば、きっと尻込みしてしまうだろうと思った。

 ジオストラに出るということは、レオンさんに刃向うということ。

 この俺に盾突く気か――そう言われると思っていたから。

 だけど今、この人には何の緊張感もない。気負いも感じられない。まるで久々にあった後輩に接するような態度。その呑気っぷりに、逆に怒りが沸いてきた。

 なぜ普通でいられるんだ。僕らは殺し殺されかけた関係だっていうのに。

 謝れ、とまでは言わない。そこまで期待しちゃいない。けど、その軽さは一体何なんだ。もっと後ろめたさとか、そうでなくとも、敵対心とかがあっていいんじゃないのか。あのとき自分がしたことの意味を、どう思っているんだ、この人は。

 焼けるような思いは何一つ形にならなかず、僕は拳を握りしめた。

 そして、レオンさんは驚くべきことを言った。

「なんで怒ってんの?」

 一瞬意味が分からなかった。

「なっ……? な、なんでって」

「ええやん。生きとったんやから」

 愕然とした。生きてたから、いい? 人にあれだけのことをしておいて、この態度……

「ひ、開き直らないでください! これでも怒ってるんですよ、僕は!」

「へっ? 開き直り、て……いや、別にそんなつもりやなくて。え、え?」

 変なことを言ったか、と眉を寄せる。その顔に浮かぶのは、まぎれもない困惑だ。

 ゾッとした。この人は本当に分かっていない。どうして僕が怒っているのか。自分のしたことの、一体何が悪いのか、まったく分かっていないのだ。

「も、もし僕が全部話したら、どうするつもりだったんですか。人間の『洗礼』をしようとしていること、僕は知ってるんですよ。大長老会が知ったら……」

「そらあ……皆殺し?」

 言葉が出なかった。

「いや、なんでビックリすんねん。そら俺のジャマするんやから当たり前やろ。ちゅうか自分、そう言いながら誰にも話してへんっぽいやん。なんで?」

 レオンさんの口ぶりは、本当に不思議そうだった。

 僕があの件を誰にも言わなかったのは、ルーチェに止められたからだ。あくまでジオストラで決着をつけなければナワバリが取り戻せないし、何よりレオンさんを叩きのめさなければ気がすまん、と。

 彼女がナワバリに戻れないと僕も困るので、そこは渋々納得した。

 何よりレオンさんのことだから、僕の告発を見越して大長老会のほうに根回ししているだろうと思ったのだ。

 けど、違った。そもそもこの人は長老会を敵を回すことなんてどうとも思っていない。

 皆殺しなんて、できるわけがない。大長老会の直下には千人単位から成る国家憲兵隊カラビニエリがいて、いくら『雷』でも一人じゃどうしようもない。そのはず……なのに。

「なんで……そんなにルーチェにこだわるんですか」

 疑問は、自然と口から滑り出ていた。

「あなたは僕と違うじゃないですか。『雷』で、たくさんお金も持ってて、誰からもうらやましがられて……十分じゃないですか。これ以上何を望むっていうんですか」

 返ってきた答えは、意外なものだった。

「俺は、自分のほうがうらやましいよ」

「え」

「ニワトリに乗ったんやろ。あの速さを知っとんやろ。ええな、どんな気分なんやろな」

 夢想するように上を見るレオンさん。しゃぐっ、とリンゴにかじりつく音がする。

「自分が帰ってきた、って人づてに聞いたときな。ニワトリが死んでなくて安心するのと一緒に……嫉妬したわ。あの、ろくに声も出せんガキんちょが、百段跳びくらいで俺の上に行きよった、そんな感じや。悔しいて悔しいて、最近夜も寝られへんねん」

 言いながら、レオンさんはリンゴを貪り食ってゆく。すでに実の部分は食いつくし、固い芯しか残っていない。なのにまだそれを噛み砕いてゆくのだ。

「名誉に金? ハ、それがナンボのもんよ。もっと速く、もっと高く、もっと遠くへ。それが竜撃士の本能ちゃうか?」

 理解、できなくも、ない。空へのあこがれは僕だって同じだ。けど。

「僕は……他の人を傷つけてまで、飛びたくないです」

「ヌルいこと言いっこなしにしようや、ジュリオ君。これはな……リンゴの奪い合いや。一コしかないリンゴ巡っての取っ組み合い。噛みつくんも引っ掻くんもアリアリやで」

 最後の一口で、リンゴは跡形もなく消え去った。ごぐん、と喉が大きく蠢く。

「ニワトリの子にも言うといてくれ。ジオストラでもしそっちが勝ったら、竜魂は返したる。俺が勝ったら、今度こそ俺のモンになってもらう。二週間大事に預かっとってや」

 ぽんと僕の肩を叩いて、レオンさんは階段を下りていった。

 突然。どうしようもないくらいの身震いが襲ってきた。

 苦労と無縁のエリート。あるいは冷酷な悪人。そういう脆弱なイメージを、僕はきっとどこかに持っていた。レオンさんをそう見ていた。

 でも、それはとてつもない間違いだった。

 僕が戦おうとしている相手は――化物だ。

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