第2話
南風がルーノ川を波立たせれば、ゾディアの国にも短い夏がやってくる。
天秤樹区の中心、ソルシアの街は夕映えの只中だった。
穏やかなルーノの流れも、それに寄り添う赤屋根の家々も、とっぷりと朱に染まっている。もちろん、街を一望するコリーナ・ヴェッキオの丘と、そこに建つ竜撃学校の校舎も。
ゾディア十二地区の中でも古い歴史を持つ天秤樹区の、そのまた古いソルシアの街で、この学校の新しさは目を引く。白壁の校舎に灰色の三角屋根。市街地とは明らかに違う、今十年前に開校したばかりなので、当たり前といえば当たり前なのだけれど。
そして、その校舎の東側。高い外壁の間にはさまれた、陽の当たらない狭い場所。
そこが……僕の『指定席』だ。
「どーしてくれんだよ、ジュリオ。恥かいちまったじゃねーかよ、おめーのせいでよォ」
校舎の壁に僕を押しつけながら、フェデリコはイヤミったらしく語尾を伸ばした。
同い年だが、僕より頭一つも背が高い。刈り上げた頭はド派手な緑。眉毛を薄く剃っているせいで、すごむ顔が余計に怖い。
「ご、ごめん……」
「ごめんで済むかよォ。先公がドえらい興奮してよォ。『ああも簡単に竜の接近を許すとは、ちゃんと哨戒していたんですかッ?』とかぬかしてよォ、もう顔面焼けて死にそうだったよ、俺ァよォ」
どすっ。どすっ。と、ゆっくりとした間隔で僕の腹にヒザを入れてくる。痛めつける強さでなく、責め立てるようなその力加減が、ひどく胃に悪い。
「あーあ、こうなったらしつけーからなァ、フェデリコは」「ジュリオちゃん、カワイソー。ぶっちゃけタダの八つ当たりだけど」「泣くなよ、今日は泣くなよー?」
周りでニヤニヤとしている数人は、フェデリコの取り巻きだ。いつもの面子、いつもの時間、いつもの儀式。
「あっ」
蹴られた拍子に、ポケットから、木の実が転げ落ちた。フェデリコはおや、とそれを拾い上げ、
「なんだこりゃ? ……クルミの実、か?」
まとめて片手におさまる大きさの、堅い実が三つ。それをカリカリとこすり合わせつつ、フェデリコは首をかしげる。
「なんでこんなの持ってんの、お前? まさか非常食じゃあねぇよな?」
「……」
「おーい、耳あっか? 聞いてんだろーがよォ」
「あ、そ……その……」
「あん?」
「あ、握力、を……」
フェデリコたちはしばしキョトンとし、次いで、大爆笑を放った。僕はうつむいた。
手綱で竜を操る竜撃士にとって、握力はかかせない。それを鍛えるには、クルミの実を手の中で繰り返しこすり合わせること――と、竜撃科のリベラ先生が言っていた。だからヒマを見つけて、少しでも鍛えようとしている……のだけど。
「な、なるほどなるほど。それでクルミをな、く、くくっ」
腹をよじり、涙をぬぐうフェデリコ。長い時間を置いて、ようやく「ふ~」と息をつく。
「ま、アレだ。努力は認めてやんよ。おめーはがんばってる。うん、エラいエラい。授業はマジメに受けてるし、ポカはすっけど後衛の仕事もそれなりだ。……けどなァ」
「うっ?」
頭に鋭い痛み。フェデリコが髪を引っ張り上げたのだ。
「おめェみてェな腰抜けのビビリが、どうやって竜を倒すってんだ? 竜の牙見ただけでチビッちまうおめェがよォ。どうせこう思ってんだろ? 『今はちっぽけな後衛見習いだけど、最初は誰だってそうなんだ。いつかは僕も、竜撃士になってみせる』……この際だから教えといてやんよ、ジュリオ。頑張りたい気持ちがあるのはいいけどな、実力の伴わない気持ちなんて、クソ程度の価値しかねェんだ。いくら『ボクだってがんばってるんですぅ』みたいなフリしてもな、才能のなさからは逃げらんねェんだよ。分かっか、あ?」
けなす。見下す。決めつける。
フェデリコのギョロ目には、僕は同じ人間として映っちゃいない。この世で一番つまらなくて情けない生き物。そして何より情けないことは、そう言われることで、僕まで「本当にそうじゃないか」って思えてきてしまうことだ。
そうだ。きっとフェデリコの言うことは、正しい。
僕に才能なんてものはない。勇気もなければ根性もない。竜撃士からはほど遠い存在だ。
でも、それでも――
「そこで、だ」
フェデリコは表情を緩め、僕の肩に手を回した。
その目に浮かぶのは不穏な企みの光だ。
「喜べ、腰抜け。俺らがお前に度胸つけてやっからよォ」