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第18話

 ドッと歓声が沸いた。いや、どちらかというと、どよめきだ。

 当たり前だ。伝統あるジオストラ予選の場をぶち壊す、前代未聞の大乱入だ。

「うおー、飛び入りかっ?」「なんだありゃ、鳥か?」「いや、竜だ、白い竜だ!」「いや、違う、やっぱ鳥だ!」「ニワトリだぁ!」

『誰がニワトリかぁ――!』

 ごちゃ混ぜの声にしっかり反応を返しつつ、戦場に身を躍らせるルーチェ。ヴァ、と両翼を広げると、空気のカベに下から突き上げられる感覚と、一挙の浮遊感が背中の僕にも伝わった。

 いきなりの乱入に、それまで互いの様子を見ていた騎竜たちがかき混ぜられて散り散りになる。まるで、宙の埃を払ったようだ。

 そこへルーチェは何の迷いもなく飛び込んでゆく。ォン! と翼同士がこすれるような距離を、とんでもないスピードですれ違う。相手の顔なんて見えやしない。認識できるのはブレた残像と切られそうな突風、食われてしまいそうな轟音だけだ。これから始まるのが、空中散歩でも何でもない、まぎれもない戦いだということが骨身に染みる。

『さぁ行くぞ! 羽虫退治じゃ!』

 それを楽しむような声さえ出して、ルーチェは空を切り進む。身を傾けて弧を描き、狙いを定めたのは斜め下、緑の鱗の翠玉竜ズメラールドだ。

 野太い尻尾を、ニワトリの翼が追う。あっという間に、相手の背中が迫ってくる。ケタ違いの速度差だ。矢のようなスピードで一気に間合いを詰め、

『まずは一匹!』

 スカッ!

「……スカッ?」

 振り返れば背後、宙返りをうった翠玉竜はピンピンしていた。

「って、空振りィ! 思いっきりよけられてんじゃん!」

『むぅ、なかなかすばしっこいヤツじゃの』

 呑気なこと言ってる場合じゃない。一転ピンチだ。無傷の翠玉竜は身をひるがえしてこちらの背後につけてきた。その背にまたがった長髪の騎手が、ピュゥ、と口笛を吹かす。

「フゥォー! 誰かと思ったら、泣き虫ジュリオじゃねーノ! どったのォ? 死んだんじゃなかったノ? ってーか、飛び入り参加は禁止だっつーノ!」

 五つ年上のジーノさんだ。去年学校を卒業した人で、僕とは一年だけの付き合いだったが、たまに顔を合わせればイヤミの連発で、あまりいい印象がない。

「そらそらァ!」「うわわわわっ!」

 炸裂銃のみだれ撃ち。もちろん実弾じゃなく、ゴム製の弾だが、当たりどころが悪ければ大ケガになる。ルーチェも右に左に体を振って引き剥がそうとする――が、

「フゥォー! お尻フリフリってかァ? 全然嬉しくないって、ッハー!」

 まるでダメだ。翠玉竜は糸で結んだようにこちらの動きについてくる。スピードならこっちが勝っているはずなのに。

『翼の違いじゃな』

「翼?」

『こやつらの翼は、コウモリとよく似た、皮一枚張っただけの膜じゃ。速さは出ぬが小回りが利く。じゃがわしの翼は鳥と同じ羽毛の集まりで、速度に優れるものの、機敏な動きはできん。空間が広く使えぬここでは、向こうのほうが有利じゃ』

「な、なるほど……って、冷静に分析してる場合じゃないよ! どうすんの!」

 こっちは銃なんて持ってない。後ろをとられたのは致命的だ。

「ジュリオちゃん、ジュリオちゃ~ん。ジオストラに乱入する意味、分かってんだろねェ? ここにいる全員敵に回して、こ~りゃ殺されても文句言えないっつーノぉ?」

 ジーノさんの言葉通り、気がつけば、ほとんど全員から狙われている。

 そして翠玉竜はもう後方五メード、外しようのない距離だ。振り返れば、ジーノさんが遊びは終わりだとばかりに、銃の照準を合わせてくるのが見えた。

「うわああああああああもうダメだ!」

 そのときだ。ルーチェが「くん」と鼻をひくつかせた。続けて笑み混じりの声で、

『安心せい。もう捕まえた』 

 何を? と聞こうとした僕の真下――奇妙な気配が生まれた。

 何かが来る。「ォォォオオ……」と獣の唸るように、巨大な音が迫ってくる。

 次の瞬間、

『風をじゃ!』

 ドン! 

 下から突き上げる衝撃とともに、僕の体は上空にブッ飛んでいた。

「どわああああああああああああ!」

 世界が落ちる。めちゃくちゃな速度で空が近づいてくる。

 上昇気流――ルーチェはこれを待っていたのだ。

 数倍する自重に内臓が潰れる。声も出せずにルーチェの羽毛に顔をうずめながら視界の端、ものすごい勢いでアネルカの樹が落ちてゆく。

 そこへ、頭の上からジーノさんが降ってきた。いや、視界がひっくり返っているから、正しくは下から追ってきたのだ。

 いや、それも違う。追ってきたんじゃない。それどころか人竜ともに大パニックだ。気流を読み切れず、平衡を失ったのは明らかだった。 

「うええええええええっ、つーノォッ?」

 風に翻弄される木の葉のごとく無防備に舞い上がるジーノさん。それを風の頂点で待ちうけるのは、白亜の竜。

『風も読めずに竜使いを名乗るとは――』

 ぐるん、と後方宙返り、

『恥を知れ!』

 蹴りつけた。肉の弾ける音と絶叫を曳いて、墜落するジーノさん。巻き起こる悲鳴、湧きあがる喚声。ネットを持った救助係が、大慌てで拾いに行く。

『ボアッとするな! しがみつけ!』

 ハッと体を縮めた瞬間、烈風がこめかみをかすめた。

 背後から体当たりをかましてきたのは、全身をギザギザの黄色い鱗でおおった黄玉竜トパーツィオだ。一瞬でも遅れていたら、モロに喰らっていた。

「あ、あぶなかった……!」

 じゃない、まだ危機は去っていない。黄玉竜はそこから鋭く反転し、その背中の上、騎手が炸裂銃を構え、

「どわわわわっ!」

 吠える銃口、迫る弾丸、かわしざま急降下するルーチェ。一転して上向きの重力に首根っこが引き抜かれそうになり、斜めに滑り落ちる視界を、赤い光弾がぶった斬ってゆく。

「あぢぢぢっ! 鼻ケズれた、鼻!」

『チャハハッ、かえって男前じゃぞ!』

 突然視界が暗くなった。枝の連なりの中に突っ込んだのだ。落っこちるスピードのルーチェに、しかし、黄玉竜はぴたりとついてくる。

 さっきの攻防を見てこちらの実力を認めたのだろう、その顔に油断の色はない。

 そして実力もホンモノだ。一瞬でも手綱を誤れば枝に激突するっていうのに、まるで苦にせず体を振ってかわしてみせる。

「ダメだ、やっぱり小回りは向こうのほうが上だよ!」

 叫ぶ僕に、しかし、ルーチェはまたも不敵に笑ってみせる。

『わしがなぜ誰よりも速いのか、教えてやろう』

 こんなときに何言い出すの、とツッコむヒマもあらばこそ、ルーチェの体は枝を抜けた。タテの動きからヨコの動きへ、樹の丸みに沿うように軌道を変える。

 が、威勢のいい言葉とうらはらに、やることは変わらない。ひたすらスピードを上げて飛ぶばかりだ。どうにか相手の姿が見えないようにはなったが、反撃の糸口は見えない。

「って、逃げてるばっかじゃん! これじゃいつまでたっても……」

 と言いかけた僕の目は、次の瞬間、皿になった。

 黄玉竜が「前」にいた。

(なんでッ?)

 さっきまで後ろにいた相手が、どうして、どういう魔法で今、前に?

 ――まさか。

 木を一周して、追いついたのか。

 こちらを振り向いた相手の顔が、僕以上の驚愕に歪む。ルーチェが爆進する。避けるも防ぐもできるわけのない速度で突っ込みながら、彼女の発した答えは誇らしげだった。

『風と一つだからじゃ!』

 蹴った。当たった。ブッ飛んだ。歓声が爆ぜる。大気が震える。

 そこから先は、独壇場だった。

 飛び回る白い翼に、もう誰もついてこれない。向かってくる者も逃げる者も、ルーチェにとってはすべて同じ、動かない的でしかありえなかった。天秤樹区を代表する人竜たちが次から次へ、ハエのように叩き落とされてゆく。

く、疾く、疾く、疾く、疾く疾く疾く疾く疾く疾く疾く疾く疾く疾く疾く!』

 雄々しく広げた翼で風を拾い、ルーチェはなおも加速する。世界が歪む。風が燃える。アネルカの枝も葉も観客たちも、全てが視界の後ろへブッ飛んでゆき、ボボボ、と激しく炎の燃え立つような音が鼓膜を打つ。顔面の皮膚が波打っているのが、髪の毛が根こそぎ引っ張られているのが分かる。顔に当たるチリの一粒すら針の痛みだ。

 一瞬でも気を抜けば、風の彼方へ吹き飛ばされる。恐怖なんてとっくの昔にマヒしていた。際限なく加速するルーチェの背中、腹ばいになって風圧に耐えつつ、僕はただひたすら一つの言葉だけを繰り返していた。

「しがみつけ、しがみつけ、しがみつけ、しがみつけ、しがみつけえええっ……!」

 上空に逃げる竜たちを追って、爆発的な勢いで天に弧が伸びる。激しく揺れるルーチェの背中で、羽毛をつかみ、体を縮め、ただただ必死に重力に逆らう。

 白刃一閃、突き抜けた。一瞬遅れて、背後で三頭がまとめて弾け飛ぶのが見えた。

『最後ッ!』

 ルーチェの声で気づいた。三十二組もいた人竜が、なんともう残り一頭だ。

 その一頭はといえば、はるか眼下、こちらに背を向けて完全に逃げの体勢。

 もちろん、それを許すルーチェじゃない。ぶわ、と天頂で身をひるがえし、槍を構える戦士のごとく羽の角度をキメたら、後はもう一本道だ。天を貫く流星そのままに、獲物めがけてカッ飛んでゆく。

 空気の壁と大歓声を切り裂いて急接近、そのままの勢いで蹴りつける。

「……えっ?」

 と思いきや、相手の竜はまるで無傷。そしてルーチェはそのまま急上昇。一体なんのつもりか、と思ったそのとき、

「はっ、放せぇぇぇ!」

 下から響く絶叫。ぎょっとして覗き込み、僕は仰天した。

 ルーチェがその両肢でつかんでいたのは、他でもない、フェデリコだ。ルーチェが鞍から彼だけを引き剥がしたのだ。

『チャハハハ、いい声で鳴くのォ、ミドリムシ! 最後まで残しておいた甲斐があったわ!』

 高笑いのルーチェ。だが、その言葉はもちろんフェデリコには聞こえておらず、その代わりに割れるような声が返ってくる。

「ジュリオォォォ! てめぇ、自分が何やってんのか分かってんだろうな!」

 彼から見れば、『ニワトリ』を操っているのはあくまで僕だ。恫喝そのものの声に、僕はほとんど反射的に縮みあがる――が。

『お主こそ、これから何をされるのか分かっておるのか?』

 ルーチェはフェデリコをひっつかんだまま、高度を上げた。もう勝負はついてるのに、一体何をするつもりなのか。

 木の上に達したかと思うと、今度は一転、宙返りを打って降下してゆく。急角度の弧が空に描かれ、下降線の向かう先は、アネルカの樹――堅固きわまるその幹だ。

 ルーチェが何をしようとしているのか僕は理解した。そして、フェデリコも。

「おっ……おい。ウソだろ……」

 みるみる声から覇気が消えてゆく。代わりに浮かんだのは、明らかな恐怖の色だ。

「やめっ……やめろ、やめろぉぉぉ!」

 必死の叫びにも、ルーチェは止まらない。羽を広げ、重力にまかせて一直線に降りてゆく。容赦のカケラもない速度で壁面が迫ってくる。

 叩きつける気だ。

「わ――ッ! ごめんなさいごめんなさい! かみさまごめんなさい! 死にたくない、死にたくない! たすけてかみさまたすけてごめんなさいたすけて、たすけて――ッ!」

 ぐちゃぐちゃに涙と鼻水をまきちらすフェデリコ。普段の強気もどこへやら、泣いて叫んで身をよじって、それでもルーチェは放さない。

『安心せい! 飛び出た内臓は残さずおいしく喰ろうてやるわ!』

 まさか、いくらなんでも冗談……いや、違う。この声は本気だ。

「ダメだ、ルーチェ! 止まれ!」

 このスピードで固い樹壁にぶつけたら、間違いなく死ぬ。いくら僕をいじめてた相手だからって、そこまでやっていいはずがない。

「ルーチェ! やめるんだ! 止まって、ルーチェ!」

『チャハハハハ! 死ね死ね死ね死ね死ね死ね――――――――――ッ!』

 スピードと狩りの快感に酔って、ルーチェはもう歯止めが利かなくなっている。

 そして樹はもう目の前だ。かわすのも止まるのも間に合わない!

 勢いを止めずに突進するルーチェ。死の壁まで五十メード、

「ルーチェ! 止まれェ!」

 三十メード、

「こ……のっ……」

 十メード、壁めがけてフェデリコの体が突き出され、

「やめろ、バカ――――――――――――――――――――――――――――――ッ!」

 激突。 

 前のめりの衝撃に続いて、真っ白な静寂が来た。

 ――遅かった。

 ぎゅっと閉じたまぶたを、ゆっくりと開く。

「あ、ああっ……」

 ルーチェの肢は、根元まで樹にめりこんでしまっていた。

 ……ただし、片方だけ。

「か……かみ、しゃま…………」

 ギリギリ樹皮の直前で止まったもう片方の肢。フェデリコは、半開きの口からヨダレを垂らし、失神していた。

 不機嫌そのものの、ルーチェの舌打ち。

『このわしをバカ呼ばわりとは、いい度胸じゃの』

 僕はドッと安堵の息をついた。よ、よかった……

「……ありがとう、止まってくれて」

『はじめから脅しだけのつもりじゃったわい。……ってああっ! このミドリムシ、小便漏らしとる! くわーっ、やっぱり殺す!』

 フェデリコを振り落とそうとするルーチェ、それを僕が慌てて止めようとして――そのときだった。ふわり、と何かが顔のそばに落ちてきた。

 楕円形の、薄っぺらい緑のもの。一つ、二つ、三つ……見る間に次々、たくさんと。

 それがアネルカの樹の葉であると気づくのに、しばらく時間がかかった。ルーチェが激突した拍子に落ちてきたのだ。まだら模様の陽光が、僕の眼にちらちらと映り込んだ。

 パチ、パチ、パチ、パチ。

「……?」

 木の葉が拍手をしているのかと思った。だけど、仰ぎ見れば、そんなわけはなくて。

「ブラヴォ――――――――――――――――――ッ!」

「いいぞぉ、ジュリオ―――――――――――――ッ!」

 小降りの拍手は、たちまち豪雨のような歓声に変わった。

「やべえよ鳥肌立ったよ俺!」「風だ、風! 風みたいな竜だ!」「ジュリオ=ユリアーノ?知らねぇぞ! あんなすげえ竜撃士、今までどこにいたんだよ!」

 本来なら乱入をとがめる立場の長老会の人たちまでが、立ち上がって拍手をしている。

「おいじーさん! どうなんだ、あれでもレオンにゃ勝てねぇって言うのかよ、なぁ!」

 周りの人間にゆさぶられて、予選じーさんは、唇を震わせながら、小さくつぶやいた。

「ワシぁ、かれこれ六十二年、全部の樹区の予選をこの目で見てきた……本戦なんぞ見んでも結果は分かっちょった。……ばってん」

 その目がカッ! と閃き、

「今年のジオストラは、カカアを質に入れても見にゃならん!」

 歓声は一気の地鳴りとなって、天秤樹を揺らした。

『どうじゃ。気分は』

「ど、どうって……?」

『ここにおる全員がお主を王と認めたのじゃぞ。痛快じゃろうが、うりうり』

「そんな……僕は何もしてないよ。とにかく必死にしがみついてただけで……」

『じゃからわしも全力を出せた。ミドリムシなら、とっくに振り落とされとるわ』

 ルーチェは『見よ』とクチバシで上を指し示した。広がるのは、今まで見たこともないほど、高く果てなく澄んだ空――

『胸を張れ。お主が勝ち取った、お主のナワバリじゃ』

 降り続く喝采と木の葉の雨をぼんやり受け止めながら、僕は考えた。

 どうやら僕は、本当にレオンさんと戦うことになってしまったらしい。

 正直、実感が沸かない。戦う姿を想像できないし、勝てる自信なんてあるはずもない。

 ただ、一つだけ言えることがある。

 今の僕には、ルーチェがいる。空飛ぶニワトリがついている。

 ワガママで傲慢でぐうたらで自分勝手で、どうしようもない困り者だけど。

 だけど、どうしてだろう。彼女といると、顔が自然と前を向く。できないことなんか無いんじゃないかって思えてくる。心に――光が射してくる。

 僕たちは、きっとどこまでだって飛べる。

『ところで』

 ルーチェは、深く埋め込まれた自分の肢を見て、言った。

『どーやって抜けばいいのかの? これ』

 ……飛べる、と……思う。

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