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第17話

「おいっ、ホントだよ! マジでジュリオだよ!」

 突然のドラ声が、樹の中に響き渡った。僕は飛び上がった。

「ホントに生きてたよ、ははっ!」「幽霊じゃねぇよな? 触ってみろよ、おい!」

 バタバタと革靴を鳴らして、階段を昇ってくる男たち。こぞって僕を指差す、彼らのその先頭を切ってやってくるのは、見忘れるはずもない――

「フェ、フェデリコ……」

 緑に染めた刈り上げ頭。薄い眉にぎょろりとした目。そして、予選参加者の証である、青のジャケット。フェデリコは、凍りつく僕の肩をバンバンと叩いて笑った。

「ひっさしぶりだなァ、おい! パオロのやつがよォ、ジュリオが樹のふもとにいたっつーから、ぜってーウソだって、生きてるわけねーって言ってよ、探してたらホントに生きてたんでやんの! おい、ホントにジュリオ=ユリアーノか? ニセモノじゃねェよな?」

「あ、う、うん……い、一応……」

「うわ、このしゃべり方、ジュリオだ!」「マジだよおい! 今やっと確信したわ!」

 大爆笑が僕を取り囲む。人々が何事かとこっちを見る。胃が縮む。

「……え、あれ? 僕が死んだって……?」

「そりゃおめェ、レオンから聞いたに決まってんだろ。いや、俺が直接じゃねぇけどな。ニワトリを追って山の方へ行って、帰ってきたのはレオン一人でよ。話を聞いたら、お前がニワトリと相打ちになったって」

「それだけっ? レ、レオンさんはっ、レオンさんは他に何も言ってたなかったの?」

「知らねぇよ。俺だってまた聞きなんだし。とりあえずニワトリ狩りは失敗ってことで、参加メンバーはてめーんとこの樹区に帰っちまったぜ」

「……」

「なんだよ、なんか違うのか? つか、お前よく生きてたよな。ニワトリはどうなったんだ? 三日もどこにいたんだよ?」

 フェデリコの矢継ぎ早の質問に、僕は答えられない。それどころじゃなかった。

 し、死んだ扱いにされてたなんて……。そりゃあ、レオンさんがありのまま話すわけはないけれど、でも、そんな、あんまりじゃないだろうか。

「ま、いいや。とにかく生きててよかった。心配したんだぜ」

「……へ? しん、ぱい……? フェデリコが、僕を?」

 聞き違えか? あぜんとする僕に、フェデリコは心外そうな顔で、

「なんだよ、悪いかよ。同じ学校の人間だぜ、心配くらいすらぁな。なァ?」

 そうそう、とうなずく取り巻きたち。よく帰ってきたな、ケガねぇか、校長に報告に行っとけよ、などと口々に話しかけてくる。まるで久しぶりにあった親友のように。

 これは……アレだろうか。当たり前のようにそばにいた人が、突然いなくなって、初めて大事さに気付いた……みたいな感じなのだろうか。

 なら死にそうな目にあったことも、決して無駄じゃなかったのかもかもしれない。

「おっ。戻ってんじゃねぇかよ、ほっぺた」

 フェデリコは僕の右頬を指さした。歯を抜いたせいで腫れあがっていた頬は、ようやくマシになってきていた。僕は笑顔を作った。

「う、うんっ。おかげさまで、なんとか。まだご飯を食べると痛みがあるけど」

「そっかぁ。そりゃよかった」

 ごん。

 という音に続き、右頬に爆ぜるような痛み。フェデリコが拳で殴りつけたのだ。

「~~~~~~っ!」

 まだふさがりきっていない傷口に激痛が走り、たまらずうずくまる。涙がにじむ。

「ダハハハハ! いやーっ、いいなァ、やっぱいいなオイ、この感触! その反応! やっぱお前じゃないとダメだわ! おかえり、ジュリオ!」

「おかえり!」「よく帰ってきたなぁ、ジュリオ!」「なんだっていいって、帰ってきてくれたら!」「これからもトモダチでいてくれよ! ぎゃははは!」

 全身に降り注ぐ暴力と笑い声。懐かしささえ感じる、冷たい痛み。

 ――僕はバカだ。

 そうだ、忘れていた。僕がここに帰ってくるというのは『そういうこと』なのだ。

 いなくなって気づく大事さ。そんなものがあるとすれば、失くしたオモチャが箱の底から出てきた、ぐらいの感覚に違いない。フェデリコたちにとって、僕はあくまで――

「おい、このミドリ髪も竜に乗るのか?」

 きょとん、とした顔で、フェデリコはその声の主を見た。今まで気付かなかった……というより、この綺麗な少女と僕が連れだとは思いもしなかったらしい。

「おいおい、なんだぁ? お前の連れか? どこで拾ってきたよ?」

「あ……いや、その……」

 僕の返事を待たず、フェデリコはにんまりと笑って、ルーチェの肩に手をかける。

「なぁ、お嬢さん。特等席の券があるんだがよ、よかったらそこで俺の……」

「失せろ」

 そのまま硬直した。

 ルーチェの手が、フェデリコのそれを叩き落としていた。

「このわしに触るな、ミドリムシ。駆除されたいか? ん?」

「な……」

 雲の上から見下ろすような物言いに、たちまちフェデリコの顔が紅潮してゆく。そこへさらに追い打ちで、ルーチェの「べー」が炸裂する。な、なんてことを!

 仲間の前で女に恥をかかされたのだ。フェデリコはあっけなく激昂し、そのままルーチェの胸ぐらをつかもうとし――そのときだ。

「その子に触るな!」

 そう叫んだのは、一体誰か。しばらくの間、分からなかった。

 な、なんだ? フェデリコに向かってなんてこと言うんだ。そんな命知らずは一体、

「今、なんつったぁ、ジュリオ……?」

 ぼ……僕、か? 僕が言ったのか、今のは?

 フェデリコが獰猛な笑みをこっちに向けている。使いなれたオモチャをいじる前の、楽しみでしょうがないという表情。

「聞き違いかぁ? 聞き違いだよなぁ、ジュリオ? 腰抜けのお前が、ま・さ・か、そんな大それた口ィきけるわけねぇもんなぁ?」

 謝れ。今すぐ謝るんだ。地面に頭をすりつけて、涙を流して謝れば、きっと許してくれる。それで全ては丸く収まる。

 そう、分かっているのに。

「……何度でも言ってやる。ルーチェから離れろ。今すぐに」

 口は勝手に、命知らずな言葉を発し続けるのだ。

 いや、僕はもうとっくに、自分の行動を自覚していた。

 僕なら殴られたっていい。どうされたってかまわない。

 けど、ルーチェは。僕を救ってくれた彼女だけは、守らなきゃいけない。

 フェデリコの顔はすでに笑いを手放していた。額に凶暴な青筋が浮き立つのが、はっきりと見える。もう取り返しはつかない。

 僕は震えながら、一歩を踏み出した。あのはやにえに比べれば、こんなもの。

「僕はもう今までの僕じゃない」

 頭のてっぺんから足の爪先まで、全ての勇気を振り絞り、フェデリコを指差した。

「見てろ! 今日から僕は、この樹の一番になる!」


 大太鼓の音が聞こえる。ジオストラ天秤樹区予選が、とうとう始まる。指定された枝から三十二組の人竜が飛び立ち、千人以上の大歓声とともに枝葉を揺らす。頂上近くのこの枝まで、大波のような声の塊がせり上がってくる。

「おーおー、有象無象がブンブンと……火にむらがる羽虫のようじゃのー」

 枝の端から頭を出して、ルーチェはせせら笑った。眼下では、予選参加者たちがお互いの様子を見ながら、幹の周囲をめぐり飛んでいる。

 観客たちは、観戦しやすい下のほうの枝に集中する。頂上近くのこの枝は、一人も人がおらず、身を隠すには絶好の場所だ。

「ん? なんじゃあれは? 下のほうにでっかい網を持った竜使いどもが……」

「救助係……戦いの中で落ちた人とか竜を、網で拾うんだよ。そのまま地面に叩きつけられたら死んじゃうから……うああああああ~!」

 うめき声の僕に、ルーチェはうっとおしそうな視線。

「うっさいの、もー。いつまでうじうじしとるんじゃい」

「冗談じゃないよ、どうするんだよぉ、あんな大口叩いちゃって!」

「どーするもこーするも、自分でやったことじゃろうが」

 あの後、フェデリコは不気味な沈黙だけを残して去っていった。もし予選まで五分時間があって、あそこが人通りの多い場所でなかったなら、僕は間違いなくミンチにされていた。いわば処刑が延期されただけのこと。その証拠に、フェデリコの顔には好物を最後にとっておくような、暗い悦びが貼り付いていた。

「ま、お主にしてはよくやった。あと一秒遅れておったら、わしがミドリムシの股ぐらを潰しておったところじゃからの。一度に二人助けるとは恐れ入ったわ。チャハハハハ」

「やめてよもう。さっきはどうかしてたんだよ僕。なんか頭がカーッとなって、いつもの自分じゃなかったんだ、きっと! お願い、時間、戻って! お願い!」

 やらずに後悔よりやって後悔と言うけれど、あんなの絶対ウソだと思う。やってしまったことは取り返しがつかないんだから。

 ため息とともに、ルーチェが近づいてくる。座りこむ僕の目線に合わせてしゃがみ、次いでぎょっとするようなことが起こった。

 ルーチェが、僕の胸に頬をこすりつけてきたのだ。まるで甘える猫のように。

「なっ! なななななっ、ナニナニナニ?」

「うーごーくーな。やりにくいじゃろうが」

 慌てて離れようとする僕を、つかんで止める。さらに服をたくしあげ、むき出しの胸やら腹に、むにむにとその柔らかいほっぺをこすりつけはじめた!

「にょにょにょ、にょが――! あばばー!」

「うるさいっちゅうとるじゃろーが。だまらんと小便ひっかけるぞ」

「いッ?」

「そっちのほうが手っ取り早い。そうしてやろうか?」

「て、手っ取り早いって、だ、だから何が」

「匂いつけじゃ」

「匂いつけ……? って、うははー?」

 もう言葉にならない。バカ丸出しで奇声を上げ続けるしかない僕に、ルーチェは肌をすりつけ続け、やがて「よし」と身を離し、

「これで、名実ともにお主はわしの物じゃ」

「は、はひっ……? も、物、って……」

「わしの匂いをつけたのじゃから、わしの物に決まっておろう。お主はこの世でただ一人、わしに触れて良い人間じゃ。ミドリムシなどおよびもつかぬわ」

「……ええと。それって……ひょっとして、励ましてくれてるの?」

「目の前でウジウジされたら、うっとおしくてかなわんからの」

 呆けた状態の僕に、ルーチェは笑いかけてくる。不敵に、だけど、どこか優しく。

「お主はまだ、自分で何も成し遂げたことがない。自信がなくて当たり前じゃ。実績もないのに自信を持つヤツがおれば、それはただの物知らずではないか。ん?」

 ルーチェは僕の手を包み込んだ。

 少し冷たい手の平の感触に、どうしてだろう、不思議なくらいに不安がおさまってゆく。これこそが彼女の一番の魔法じゃないだろうか、と僕は思った。

「余計なことは考えるな。今は、わしが言ったことをひたすらに守れ。覚えておるな?」

「う、うん」

 この樹に来る途中に、ルーチェが僕に言ったこと。

 それは、戦いの間、ひたすら彼女の背中にしがみつく、ということだ。

 『誓約』は二人の体が触れ合っている間だけ有効な魔法だ。つまり、一瞬でも手が離れれば、ルーチェは人の姿に戻る。そうなれば二人もろとも地上へ真っ逆さまだ。

 しがみつくだけ、と言っても、ことはそう簡単じゃない。なにしろ神速といってもいい、ルーチェのスピードについていかなくてはいけないのだから。しかも今度はただ飛ぶだけじゃなく、三十三組と人竜との大混戦の中で――。

「できるかな、僕に……」

「できるか否かではない。やるのじゃ」

 枝の下では、歓声が響き続けている。ルーチェがそっと顔を近付けてくる。手は、まだ僕とつないだままで。

 一度おさまった鼓動がまた高鳴ってゆく。

 けれどそれは、不安から来るものじゃなくて。

「この手にかかっておるのは、もはやお主一人の命ではないぞ。わしらは二つで一つの魂じゃ。すなわち――」

 口元に触れるのは、魔法のような唇の感触だ。

「一心同体、じゃ」

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