第16話
ゾディアの伝説――
かつて大地は竜の支配する場所だった。空を切り裂く翼。強靭な爪。人間たちはその脅威になすすべなく、ただおびえるばかりだった。
大神アネロはそれを哀れに思い、天の星を落とした。大地に刺さった十二個の星は、むくむくと芽を出し、たちまちのうちに天を覆う巨木・アネルカとなった。
人間はアネルカの幹の中に移り住み、竜の爪から逃れることができた。
やがて力をつけた人間たちは、十二本のアネルカを中心として街を作っていった。それがこの国、ゾディアの十二樹区の成り立ちである――
「情けなか! ほんなこつ情けなか!」
「えー、ピッツァー、ピッツァー、トマトのピッツァはいかがっすかぁー」
「ワシぁ、かれこれ六十二年、全部の樹区の予選をこの目で見てきた! ばってん、ここんとこのレベルの低さときたら目にあまるったい! 昔はジオストラち言うたら命のやりとりで、やる側も見る側も目がギラギラしとったとよ! それが何ね、今は竜の数だけ増やして、おまんら、ジオストラをお祭りと勘違いしとるんじゃなかね!」
「さぁ、張った張ったァ! 現在一番人気はフェデリコ=ドナドーニの二・六倍、続いてマルコ=リッピで四・〇倍! 一口五百ドゥカから、どーんと張ったァ!」
「じーさん! それよっか、今年の優勝者は誰だべか?」
「それァ、断じてレオナルド=ネスタばい! ワシぁ、かれこれ六十二年、全部の樹区の予選をこの目で見てきた! そン中でも、ありゃあ、とびきりの天才くさ! 手綱さばきが違う、銃の腕が違う、何より面構えが違う! だから今年もワシぁ本選は見に行かん! ワシぁ、かれこれ六十二年、全部の樹区の予選をこの目で見てきたが、本選は見に行ったことぁなか! 予選さえ見らぁ、結果は分かるけんな!」
三日ぶりの故郷は、まさにお祭り騒ぎだった。
コリーナ・ヴェッキオの丘は、押すな押すなの人だかり。そこかしこに各参加者を応援するのぼりがはためき、人々は優勝予想に花を咲かせる。やたら血走った目の集団がいるかと思うとそれはもちろん賭けをしている人たちで、急ごしらえのテントの中、胴元たちが張った張ったと声を張る。そこへジュースやピッツァを捧げつつ売り子たちがいらんかねと通りがかり、通路に観戦場所を確保しようとする客たちが警備員との小競り合いを起こす。毎年のこととはいえ、この活気には本当に圧倒される。
「ほあーっ! たいそうな賑わいじゃのーっ!」
うごめく人波に、ルーチェは子供のような声を上げた。
身につけている麻の服は、ここまで飛んでくる途中で拾った……というか小さな村に干してあった子供の服を拝借したものだ。ごめんなさい。僕は止めたんです。
「ルーチェ、ウロウロしないで! はぐれちゃうよ!」
売り子の背中にくっついていこうとするルーチェを引き戻す。こんなところで手を離したら、あっという間に生き別れだ。
予選とはいえ、数十頭もの竜が一斉に戦う様はそれだけで十分な娯楽になる。各樹区の予選は日をずらして開催されるので、他の樹区からも見物にやってくる人が多いのだ。
もちろん本選では、これよりさらに多くの見物人が集まる。彼らの落とす金は半分がゾディア十二樹区を統率する大長老会、半分が開催樹区の長老会に分配される。その額は船を何隻作れるかという莫大なもの。そして、本戦開催地は前年度の覇者が所属する樹区になる――というわけで、各樹区の長老会はジオストラの優勝獲得に必死なのだ。
もちろん本戦優勝者にも、ビックリするくらいの賞金が出る。そしてそれ以上に、竜撃士たちを奮い立たせるのは、ゾディア一の竜撃士という名誉。
ジオストラは、この国に住むもの全ての欲と情熱を懸けた、大イベントなのだ。
「ねぇ、ホントにやるの? やっちゃうの? やめようよ、怒られちゃうよ」
「何をいまさら。他に方法があるなら教えてみい、このお尻ペンペン丸」
「ペンペン丸? いや、で、でもでも、殴りこみなんて……」
そう。僕たちは、これから始まる天秤樹区代表予選に乱入するつもりなのだ。
予選に参加するには、最低でも一頭以上の撃墜・捕獲実績がないといけない。そんなものが無い僕らが出場するには、たしかにこれしか手段はない……のだけども。
「いや、ルーチェ……問題はそれだけじゃなくてね」
「ほーっ! 下から見ると、またでっかいのう! アネルカは!」
僕の言葉なんか聞いちゃいない。ルーチェは折れそうなくらいに体を逸らし、群衆たちの中心にある樹を見上げた。
コリーナ・ヴェッキオの頂上にそびえ立つ神樹、アネルカ。
天を覆う樹という伝説を、外国から訪れる人はまず「大げさ」だと笑う。そして、実物を目にして立ちつくす。
樹というより、細長い山だ。高さは実に千メード。幹の外周は四百メードで、歩けば五分はかかる太さだ。大きく横に張り出す枝は、端から端まで七百メード以上。それが緑の葉をびっしり生やしているのだから、空中に森ができたのと同じことだ。
ジオストラの戦闘フィールドは、この枝の下だけに限られる。どこまでも飛んでいっていいよ、としてしまうと、他の竜が戦っている間に身を隠し、頃合いを見ておいしいとこ取りをする輩が出てしまうからだ。
「む? あんなところにまで人がおるではないか。あやつらどうやって登った?」
枝の上にも、見物客がいる。この樹の枝ときたら、太さが三メード以上もあるから、人が乗っても何の問題もない。むしろ、柵を張ったそこは毎年大事な観戦場所なのだ。
しかしそこは八百メードもの高さがある。樹の外側にはしごのようなものはないし、竜を使うには人が多すぎる。詳しく知らないルーチェの疑問は、当然だろう。
「中を登っていくんだよ」
「なか?」
「ほら、あそこ」
僕はアネルカのふもとを指さした。縦横に五メード以上も開いた巨大な亀裂がある。
説明するより見せたほうが早い。僕らは人波に続いて、その亀裂へともぐっていった。
木の中はまるごと空洞だ。見上げればはるか上空、千メードの高みまでぽっかりと穴が通っている。その直径、実に百メード以上。
天井は閉じているものの、内部は決して暗くない。ところどころに見える爪痕のような亀裂から、外の光が入ってくるおかげだ。木全体の大きさから比べれば、亀裂の大きさはちっぽけだが、降りる光は意外なくらい大きく広がって降りてくる。
内壁に一筋とぐろを巻くのは、壁を削って作った螺旋階段。幅二メード、何百年もの歴史ですり減った階段・五千五百五十五段を、見物客たちは額に汗して登ってゆく。
「おおっ、見ろ見ろ! 樹の中なのに町があるぞ!」
ルーチェが夢中で指差す先には、内壁をぐるりと一周する溝のようなものがあった。溝と言ってもその深さ、高さは三・四メードもあって、歩いて通る人も見える。
ルーチェが町と言ったのは、その通りの奥に、家がびっしりと立ち並んでいるからだ。
いや、立ち並ぶというのは正確じゃない。内壁をくり抜いたところに家屋があるというべきか。ほとんどが訪れた旅人に食事を出したり土産を売ったりする店だが、上層階は聖職者たちの住居になっている。そもそもこの樹は、大神アネロを祭る神殿なのだ。
「ねぇ、それより聞いてよ。君、やけに予選を軽く見てるけどさ……」
「ほー、壁の緑色はアカリゴケじゃな。夜はあれで中を照らすわけか」
「ねぇ、ルーチェってば。ねぇ……」
「なんじゃ、あの空中にかかった板は。おお、渡り廊下か」
「ねぇ……」
「おお、おお、上のほうは洗濯物やら花瓶やら、まるで」
「聞けよ」
思わず口調が変わってしまった。
「う、うむ……言うてみよ」
意表を突かれた様子のルーチェ。僕は、重々しくうなずいた。
「さっきから勝つこと前提にしてるけど……そう簡単に勝てないんだよ。予選に参加するのはね、三十二組もいるんだから。分かる? 三十二だよ三十二!」
「なんじゃ、そんなことか。わしらはレオンサンノを倒そうとしとるのじゃぞ。ここの連中はヤツより強いのか? 違うじゃろう。こんなところで手こずってどうする」
「いや、でも三十……」
「三十も三百でも持ってこい。ものの数ではないわ」
自信があるのはいいけれど、この人の自信、何の根拠もないからなぁ……