絶望の指揮者 8 「休養の旅行」
「静岡」
バスの中で神崎が言った。
静岡、とは当然静岡県の事であり、それ以上でもそれ以下でも無い。
ただ、現状においてその県名が何を意味するのかと言うと、
「静岡の旅館に行く事になった」
という訳である。
今言うのかよ! と秋ノ葉は思ったがそれも当然だろう。
まさかバスに乗ってから行先を告げるとは、新手のブラック企業がやる手法に似ている気がして少し身震いした。
だが今回はただ静岡に行く、すなわち旅行の行先を教えられただけなので実害は一切無い。
「へぇ、何で静岡にしたんですか?」
誰かが訊くだろうと思っていた質問をしたのは三氷だった。
発言に対する根拠、理由を求めるのは至極普通である。故にこの類の質問は一般化しつつある。
だが神崎の返答は一般的では無かった。
「ああ、それはよくあるあれだよ」
「あれ」というワードを用いる事によりさり気なく(は無いが)答える事を回避したのだ。
別に理由くらい教えてもいいものだと思うが、別に神崎は嫌だから教えない、という訳では無いようである。
「あれって何ですか?」
三氷が訊き返すと、
「当ててごらん」
神崎が薄ら笑いで答えた。一応は退屈なバス内での話題提供の為なのだろう。そのチョイスは若干不思議な所ではあるが年長者としての余裕のある采配にも見える。
神崎は席の右端、学校行事ではしばしば先生が座る様な所に座っている為、自然と神崎が後ろを向く形で会話が始まる。
神崎の後ろには右から折木谷、三氷、四五六の順に座っており、その左側にはナオ、秋ノ葉、タダの順で腰を下ろしている。
秋ノ葉が真ん中になったのは「窓際がいいけど兄上と隣がいい」という多少強引な要求によるものである。
内気なナオの方はタダと少しでも離れる事を恐れているのかあまり具合が良さそうにない。秋ノ葉は何度か「代わろうか?」と声を掛けたのだがナオは首を振るだけでそれ以上は答えなかった。兄が大事なのか何なのか、理由は分からないが隣のタダは大分秋ノ葉にべったりなので秋ノ葉も半ば諦め気味である。
そのような配置の中、三氷達が座る席から二つ程後ろ、そこに御吉野がいた。
その席取りそのものが御吉野のキャラクターを示していると言っても良い。
バスに乗る時みんな(主に三氷)がもっと近くに座ろうと誘ったのだが「一人がいい」の一言でそのまま座ってしまったのであった。
故に、距離的に考えて神崎の質問に答えられるのは御吉野意外という事になる。
「はい!」
三氷が勢い良く手を挙げた。明るい事は大変良い事なのだがクイズを出されて最初に元気一杯に手を挙げるのは十九歳としてどうなのだろうか。それも個性として片づけてしまっていいのだろうか、と秋ノ葉は両サイドの救井兄妹に気を使いながら考えている。
「明日静岡で野球の試合があるから!」
「うん、それよくないよね」
神崎がしれっと言う。
よくないし、良くない。つまり答えでは無いという事だ。それ以前に、秋ノ葉には三氷が野球の情報を知っている方が意外だった。(女子は野球に興味が無いと思っていた秋ノ葉だが別に彼も野球に興味がある訳では無い)
「野球、見に行きたいんですか?」
話を繋げるために秋ノ葉は三氷に訊いてみた。
「いや? 別に興味は無いけど」
「そ、そうなんですか……」
じゃあ何で知ってたんだ、と思うのは当然の事だろう。
「他に何か意見のある人は?」
神崎が楽しそうなのかどうかも分からない表情で司会役を進める。
神崎の振りに対応するのは誰かと思って見ているとタダが手を挙げた。
「空いてたから!」
大分シンプルな考え方であるが、神崎が首を横に振る辺り正解では無いようだ。
確かに空いていた方がいいのだろうが、
「それ程大きな旅館では無いが貸し切りにしてあるから混み具合はあまり関係ないね」
「じゃあお金!」
続けてタダが答えるが、
「お金も政府のだからそこまで困らないよ」
いや、それは国民の血税では? との疑問が浮かび上がったが自重する事にした。
というよりバスの運転手がいる中でこんな話をして大丈夫なのだろうかとの疑問も浮かんだが、その疑問は神崎も察したらしく、
「ああ、彼女は満野ドライバー、黒塊戒告部隊の研究員だ」
「いやどっちですか」
ドライバーなのか研究員なのかはっきりしないのは少し不安である。
「ちゃんと免許は持っていますから安心して下さい、玄冬藤秋ノ葉君」
前の方から明るい声がした。乗車の際には顔を見られなかったが、声から判断する辺り相当若いようだ。
しかし女性に歳を訊くのは失礼に当たるのでそれ以上は深く追求しない事にする。
「彼女は偶々都内にいたのでね、頼んでおいた。まあ都内にいなくとも誰かしら黒塊戒告部隊の人間を使うのだが」
「私は使い魔ではありませんよ」
少し折木谷とキャラが被っているのでは、と一瞬だけ思ったが声のトーンが大分違うので混同する事は無いだろう。
「それで、結局の所、静岡にしたのは何故なのですか?」
ナチュラルに話を戻したのは折木谷だ。
こうして比べてみてもやはりドライバーと折木谷はあまり似ていない、と秋ノ葉は思った。
「理由かい? だから今それをクイズにしている所なのではないか。ほら、心里君なんかはとても楽しそうにしているし」
「べ、別にそんなに子供じゃないですっ!」
とは言うものの秋ノ葉を始め、三氷の両隣の女性二人は苦笑いを浮かべており、タダまでもが妙な笑顔である。
「そうですね、三氷さんに当てられる訳にはいきませんから。えっと……神崎さんの気まぐれ、とか」
「いや、別に私の気まぐれという訳では無いね」
「では、近くて便利だったから」
「セブンイレブンではないよ」
「避暑に適していたから」
「尤もな理由だが、そうではないね」
「最初に見つけた宿だったから」
「それは気まぐれと大して変わらないのでは」
「最も簡単に手配できる場所だったから」
「うーん、はずれではないのだが……」
「海があるから」
「近くに海は無いけれどね」
「…………」
間髪入れずに折木谷が答えるが中々当たらない。というより絶え間無く答えを連発できる事の方が凄いと思った。
しかし秋ノ葉は思うのである。
物語上で旅行へ行く時によくある理由と言えば一つしか無い、と。
これだけ答えを出しているのにそれが出てこないのは何だか不自然だった。
「おや、ネタ切れかな、折木谷君。では、秋ノ葉君、答えをどうぞ」
急に名指しされて秋ノ葉は驚いたがそれよりも何故自分が答えを知っている事が前提となっているのか、という事の方が驚きである。それほど顔に出ていたという事だろうか。そんなに分かりやすい顔をしていただろうか。
秋ノ葉の場合、答えが分かって優越感に浸っている顔というより、彼の思考通り、簡単な事なのに何故皆は分からないのだろうという疑問の顔を読み取られたのかも知れない。もしそうなら神崎は大した洞察力だが。
「え、えっと、普通に知り合いがやっている宿だから、とか」
皆揃って「あ」という感じの顔をしていた。
「そう、その通り。実は私の昔のクラスメイトが女将をやっているところなんだ」
「あー、そういう事だったんですね~」
何か腑に落ちたような顔で三氷が言う。
それに対して折木谷は少し不満そうな顔である。不満そう、と言っても彼女は顔に表情が出ないタイプなのであくまでも、そう見えた、というだけの事なのだが。
「さ、さすが兄上! 思考力のレベルが違いますね!」
「え、いや、それほどの事ではないような……」
「照れなくてもいいんじゃない?」
照れているつもりはなかったのだが四五六に指摘されて何となく「そうなのかな」と思ったりした。どんな小さな事でも褒められるという事は良い事のようである。
「まだあと一時間以上あるけれど大丈夫かな?」
向こうにいる時間は長い方が楽しいだろうという事で朝早くに出てきた為向こうに到着するのは大体九時位になると予測される。
大丈夫かな、と訊かれると、何が大丈夫なのかと思うだろうがこの問い方にはちゃんとした理由がある。大丈夫か、と抽象的に言う事で言った側の予測に含まれないような事も考慮しているという事を示す事ができるのだ。例えば、トイレに行きたくないか、とか、お腹は空いてないか、とか、具合は悪くないか、とか。その他諸々、問題点は無いか、という意味を込めて神崎は言ったのである。
皆特に問題は無いようで黙っている。
「そうか、では到着までの間、秋ノ葉君に何か面白い話でもしてもらおうか」
「え?」
ヒヤッとした。文字通りである。
「おっ、それいいねぇ!」
「私も聞いてみたいです」
「私も、かな」
どうやらまだ新人いじめのノリは続いているらしい。
「兄上! 俺も聞きたいです!」
「えぇ……?」
呆れるというよりは諦めという方が強かった。
仕方なく話を考えてみる訳だがそうそう物語なんて思いつく筈も無い。
暫くの沈黙が生まれる事になる。
それは当然プレッシャーとなり秋ノ葉を追い詰める。
どうしようかと迷った秋ノ葉は取り敢えず適当に話を始める事にした。
「え、えっと、じゃあお話というか、僕からもクイズを出したいと思います」
やっぱり思いつかない! そう思った秋ノ葉はその場の機転で問題を出す事にしたのだが残念な事にクイズの内容が出てこない。
「おお! いいね! クイズ!」
三氷が場を明るくしてくれるお陰で少しは頭の回転が速くなってきたようだ。
秋ノ葉は今までの経験から必死に問題を考えた。
「……では、問題で――」
一生懸命考えて思いついた問題を鈍く揺れるような振動が遮った。
山道の上り、どこにでもある何の変哲も無い崖の一部が、急に崩れ出した。
最近雨が降っていたという訳でも無い。
老朽化という言葉は崖には合わないだろうし、崖に張られた網は見る限り新しいものだ。
だが実際、一部が破れている。破れているというよりは切られていると言った方が適切かも知れない。
原因不明の崩れ方をした崖の一部は運悪く、というより見事なタイミングでバスに衝突する角度だ。
「満野さん! ブレーキを!」
いち早く(秋ノ葉の方が若干早かったが)気づいた神崎はすぐさま満野に停止を命じた。
「皆、どこかに捕まって!」
意外にも三氷がそう指示し、秋ノ葉達はそれぞれ手すりに掴まる。
両脇の救井兄妹が秋ノ葉にしがみついてきたのは当人としてもびっくりだったがそんな事を考えている暇では無い。急ブレーキをかけてもあの巨大な塊が道中に落下してただで済む筈が無い。
神崎はそれ程取り乱した様子では無く、まだ激しく揺れ動く車内で立ち上がり崖側の窓を一部開けるとそこから野球ボール大程の黒い球体を落下物目がけて放り投げた。
その球体は見事に欠片の中枢部分に命中する。
落下する物体に当たるように投げるとは大した命中力である。
こんな状況下ではあるが、もしかすると神崎の副次能力は腕力か命中精度なのかも知れない、と思ったりした。
ただそれよりも更に不思議な事が目の前で起きる。
高く投げられた球体が落下物に当たったその瞬間爆発が起きたのだが、問題なのはそこでは無い。
その爆発の仕方が異常なのだ。
その球体を中心として――半径何メートルかは分からないが――その領域にだけ爆風がおよび、その外側には何ら影響を及ぼしていないのである。
パンチで穴を空けたような、そんな虚無的穴がそこにはあるだけだ。
爆発に巻き込まれた巨大な欠片は見事に粉砕されむしろ粉すら残っていなかった。
「……な、なん、だ……?」
本当に助かったのだろうか。
目の前の爆発はあまりにも物理的で非現実的だった。
だが周囲を見回すとそれ程困惑した様子は見られない。
未だに右腕と左腕には救井兄妹がしがみついているが年長者は比較的落ち着いているようだ。
車体が完全に停止し何人かの息が漏れるとその場に一件落着の文字が浮かんだ。
崖が前触れも無く崩れるなどという急激な現象の原因が気になったが、今はそれより神崎が投げたあの爆弾の方が気になった。
「い、今のは……?」
誰にでも無く出てきたその言葉は正に秋ノ葉の驚嘆を示している。
あんなものを見せられれば誰でも驚く。それは神崎も理解していて、その事について説明するのかと思ったが、
「皆、大丈夫……だね。ふぅ、危なかった」
とひとまず息を吐いた。
そして秋ノ葉の顔を見て、
「ああ、今のはね。うーん、折木谷君、説明してくれるかな」
自分では説明できない、といった風に両手を挙げて説明責任を放棄した。秋ノ葉としては誰に説明されようと問題は無いのだが。
「今のは<活火激発>という『TM』の一つです。範囲指定爆弾という名もありますが爆弾と言うよりは、名前の通り激しい炎と言った方が良いかも知れませんね。ほら、爆発の様な音がしなかったでしょう?」
言われてみれば確かに、爆弾のような球体が爆発した時には轟音を伴わなかった。それ故に余計奇妙さが際立ったのかも知れない。
それとは別に、『TM』に四字熟語以外の名前があった事は意外だった。
「範囲と対象物を指定して投げるとその範囲分だけを球状に激しい炎が包みます。ただの炎ならあの大きな崖の欠片が完全に消滅する事は無かったのでしょうが、さらに厳密に言うと発生するのは炎では無く炎に似た何か、という事になります。そこはまあ、超越した機械ですから」
超越している、で済ませられれば便利だよなぁ、と思いつつ自分も相当理解できない刀を持っているので理解はできる。
「この<活火激発>の最大の利点は指定した範囲以外には全く影響を及ぼさないという点ですね」
衝撃的な内容を口にしているが今正にその瞬間を目撃してしまったため信じるしかない。
「かなり使いやすいアイテムで、それほどレアでもないので秋ノ葉君もいつか拾うでしょう。それにしても神崎さん、よく持っていましたね」
「まあ、自己保身としてね。皆だって色々隠し持っているだろう?」
「隠し持っているとは中々人聞きが悪いですよ」
折木谷と神崎の話を聞いている限り、どうやら隊のメンバーは自己防衛の為の『TM』をもっているらしい。と思ったら秋ノ葉もちゃっかり持っていた。
「あ、だから神崎さんは僕に<一刀両断>をくれたんですね」
「まあ、そうだね。ああ、そう言えば、<活火激発>についてもう一つ言っておくべき事がある」
そう言うと神崎はバッグからもう一つの<活火激発>を取り出した。
「秋ノ葉君も使う機会があるだろうから一応言っておくが、この<活火激発>は人間には効果が無い」
効果が、無い?
人間にだけ?
あまりにも奇妙な発言に、秋ノ葉は目を丸くした(元々丸いが)
あれ程の高エネルギーを見せられて、それが人間に利かないとはにわかに信じがたい事だった。
「より正確に言えば、生き物には利かない、だがね。あの炎らしきものは生き物には全く影響を与えない。だから普通の爆弾のように人の命を奪う事は出来ない」
「そ、そうなんですか……」
いまいち納得できないままに秋ノ葉は返事をした。いや、実際は神崎達にも分かっていないのだろう。超越した機械がどのようなシステムで発動しているかなど。
それにしても、それほど驚異的な力を持った『TM』なのにも関わらず何故これほどに中途半端な能力しか持っていないのだろうか。まるで誰かが意図的に力を制限、または設定しているような、そんな印象を受けた。
あまりにも効果内容がピンポイント過ぎるのだ。
だが当然、神崎達がわざとやっている筈は無い。彼らでも『TM』が何なのか分かっていないのだから。
であるのなら、神崎が言った事が真実だとは限らない。
神崎は勿論嘘はついていないのだろうが、嘘を言うのと嘘をつくのは違う。
事実とは違う事を言うのが「嘘を言う」であり、事実を偽るのが「嘘をつく」である。
そういう意味で、神崎は『TM』が何なのか理解していないのだから結果的に嘘を言ってしまっている可能性は十分にある。
使い方が間違っているだけで実は生物にも利くのかも知れない。
『TM』の能力が言葉にするとかなり複雑で限定的になるのは機械の能力に問題があるのでは無く扱う側の能力不足に問題があるのではないだろうか。
そう思うと何だか妙に納得できた。
「まあとにかく、誰も怪我をせずに済んで良かった。満野さんも、大丈夫ですよね?」
神崎が語り掛けると、満野ドライバーはフフッと笑った。
「ええ、大丈夫です。自分で運転して自分が怪我をしていればそんな情けない事はありませんよ」
「よし、取り敢えず大事には至らなかった訳だが……何故あれが崩れたのかが分からないね」
「神崎さん、何か最近物騒な事多くないですか?」
神崎が問題提起をすると、すかさず三氷が疑問点を挙げた。
「確かに、最近危ない思いをする事がよくありますね」
「……私も」
折木谷に続けて言った四五六は少し苦しそうな顔をしていた。
四五六の現状を教えられた秋ノ葉としてはどうにも放っておけない。
「ほら、この間双六ちゃんとドライブしに行った時事故っちゃったじゃない? ホント怪我しなくてよかったけどさ」
「私も、台所で包丁を落としてしまって。四五六さんが気づいてくれなかったら大怪我をしている所でした」
台所で包丁を落とす、という表現は何だか微妙である。
包丁を使うのは殆どの場合台所であるためわざわざ言う必要は無い。それ以前に、秋ノ葉には折木谷が台所にいるという事自体が疑問だった。料理は苦手では無かったのだろうか。
だがそれについては誰一人として口を挟まないので秋ノ葉も無言を貫いた。
「そう言えばこの間周りに不審者が出たね。ほら、心里君と八百万君が外で見た、と私に報告してきたじゃないか」
「ああ、ありましたね。結構怖かった」
「そこまで怯える必要は無いと思うがね」
確かに、この隊にいるという事はそれなりに戦闘能力があるという事なのでその辺の不審者に負ける事は無いだろう。だが、不審者は不審というだけで怖いものである。
皆の恐怖体験を聞いて秋ノ葉は一つ思い出した。いや、思い出したというほどのものでもない。そもそも忘れていなかったのだから。
「僕もありましたね。帰り道に無人の車が僕に突っ込んで来ました。四五六が助けてくれなかったら――」
そこまで口にして秋ノ葉は自分の背筋に冷たいものを感じた。
四五六が助けてくれなかったら――
心里君と八百万君が外で――
四五六さんが気づいてくれなかったら――
双六ちゃんとドライブしに行った時――
「神崎さん」
秋ノ葉は目で訴えかけた。
気づいた事と、それを言っていいのかという事を。
神崎は暫く四五六と秋ノ葉を見やっていたが、軽く溜息をつくとまたいつもの表情に戻った。
「……秋ノ葉君は鋭いね。おそらく今回は私と秋ノ葉君、それに本人にしか分からない問題点なのだろう。いや、悪いね八百万君。相談内容を絶対的に口止めされていた訳では無かったからつい秋ノ葉君にだけ話してしまってね」
四五六は一瞬驚いた顔をしたが大して気にしてはいないようだ。
「いいですよ別に。隊の問題ともなれば隠さない方がよほど有効的でしょうし」
「では本人からの了承が得られた所で、秋ノ葉君、どうぞ」
この流れではこのまま神崎が説明するのではないかと思っていたがどうやら神崎は物事を説明する事が苦手らしい。当然の如く秋ノ葉に発言権が回ってきた。
「えっと、四五六、ごめんね。四五六が少し前から幻聴に悩まされているというのを神崎さんから聞いてさ。今も幻聴が聞こえたんだよね?」
四五六は少し虚ろな表情で頷いた。
「最近物騒な事が多い。最近と言っても僕はまだ入ったばかりなので殆ど知りませんが、今聞いた話だけでも十分予測がつきます。四五六は幻聴に悩まされ、心里さんは事故に遭いそうになり、折木谷さんは怪我をしそうになり、神崎さんは不審者の話を聞いて、僕は車に撥ねられそうになった。そして今の崖崩れ」
ここまで言っても神崎と四五六以外はあまりピンと来ないようで未だに秋ノ葉の話に耳を傾けている。
「一見すると被害に遭っているのはバラバラですが、どの件も、共通して嫌な思いをしているんですよ、四五六が」
場の皆が驚愕したのがよく分かった。
秋ノ葉加入前の事をさらに思い出しても必ず厄介な事には四五六が関係していたのだろう、その驚きが衰える事は無い。
「確かに、双六ちゃんいた!」
「ええ、確かに」
「だから恐らく、ここまで集中的に四五六が狙われるのは……と言っても狙えるようなものではない、よね……」
幻聴は原因不明だし、事故には誰だって遭いたくないし、包丁の落下を見るなんて偶然だし、不審者が現れるのもたまたまで、無人の車が動くなんて事はそうそう無い。
増してや晴天の日に崖崩れに遭遇するなど普通はあり得ない。
「今はよく分からないが皆八百万君には気を使ってあげてほしい。絶対に一人にしないように。原因が分かるまでは皆でフォローしていこう」
「そうだね! 双六ちゃん、大丈夫だって! ほら、今は旅行を楽しもう!」
「……うん、そうだね。皆ありがとう」
少し元気になったのが見て取れる。
そう簡単に割り切れる事では無いが、四五六が今を楽しもうとしているのは疑いようの無い事だ。
そしてそれを阻害しようとする者がいる事も。
目的地に到着する頃には不穏な空気もすっかり去り、皆の気分は観光モードとなっていた。
だが秋ノ葉は残念ながらそうでは無かった。
「……っ」
バスに座っている時はまだ我慢できる程度だったが旅館へ歩いて行くまでの間、秋ノ葉は足の痛みに耐えていた。
痛みと言っても切り傷や打撲的なものではない。例えるなら、筋肉痛。
筋肉痛でも十分痛いのだが秋ノ葉の痛みはより鋭く力強いものだった。
皆で歩いている為歩調はそれほど速くないがそれでも秋ノ葉は最後尾についていくので精一杯である。
原因は分からない。もしかするとこれも四五六に関係する何かなのかも知れないがその関係性が全く見えない以上考えても仕方が無い。
「ようこそおいで下さいました」
旅館に着くと着物を着た若い女性が出迎えてくれた。彼女が恐らく神崎の元クラスメイトだろう。
「あら。たっくん久しぶり。お友達沢山いるのね……って少し若すぎない?」
「ああ、久しぶり。まあ、彼らは私の仕事の関係者だ。人数は予め言っておいただろう?」
「ええ、大丈夫よ。皆さんこんにちは。たっくんの同級生の金元と申します。仲良くしてあげてね? こう見えてもたっくんは寂しがり屋なんだから」
軽くウインクすると金元は秋ノ葉達を部屋へ案内しようとした。
「ああ、もうすぐ出るから、部屋番号だけ教えてもらえれば大丈夫だ。せっかく観光に来たのだから色々見回らないと損だろう?」
「あらそうなの。部屋はどこをどう使ってもらっても結構よ。鍵は言ってくれれば渡すから」
「ありがとう」
確かに貸し切りなのだからどこを使っても問題は無いよなと思いつつ、秋ノ葉は足の痛みについて言うか迷った。
恐らく言わなくてもいつか気づかれるだろう。いや、もしかするともうばれているのかも知れない。秋ノ葉が言うのを待っている可能性だってある。それでも限界を超えればきっと声を掛けられる。そうなれば迷惑がかかるのは明白だった。
ならば今言ってしまったほうがいい。
金元が一礼して奥へ戻って行ったのを見計らって秋ノ葉は口を開いた。
「神崎さん、あの、せっかく観光にきて何なんですが、足を痛めてしまったみたいなので僕は宿で待っている事にします」
「おや、大丈夫かい? 少し歩いただけなのだが……」
「えぇ!? 秋ノ葉君行かないの!? ダメだぞ、そんな貧弱な足じゃ!」
「す、すいません……実はバスに乗った時から既に痛くて……座っていればまだましだと思うんですが……」
「まあ、無理に歩く必要も無い。この旅館にも楽しめるものは沢山あるだろうから体を優先に考えた方がいいと思うよ。ああそう、金元から昔の私について訊き出す事はやめるように。恥ずかしいからね」
皆が軽く笑うと一度入った玄関をもう一度出た。
秋ノ葉も見送りくらいはしようと思い、外に出る。
「あ、でも秋ノ葉君一人だと寂しくないかな。私も残ろうか?」
三氷が心配そうに訊いてきた。その姿はやけにお姉さんな感じがして少したじろいでしまう。
「い、いえ、大丈夫です。せっかくなので皆さん楽しんできて下さい」
「そう? 何かあったら私に電話してね? あ、電話番号とアドレス教えてない!」
そう言うとバッグからペンとメモを取り出しささっと何かを書いた。
「はい! 何かあったら連絡してね!」
「……三氷さんは中々自然に秋ノ葉君と連絡先を交換していますね」
「いや実際交換はしていないがね」
命綱(?)を渡された所で観光に行く準備が整ったのだが、まだ三氷は心配そうな顔をしている。
「……俺は部屋にいるから、少年、何かあったら来い」
御吉野がすっと宿の中へ入って行った。
「ええ!? よしのん行かないの!? 一緒に行こうよー」
とねだるがその声はどうやら聞こえていないようだ。
御吉野はきっと秋ノ葉を心配して、残ると言ってくれたのだろう。
だが「部屋にいる」と言われても、この広い旅館のどの部屋にいるのかは分からない。その辺りの行き過ぎない配慮が彼なりの優しさなのかも知れない。
「では私達も行こうか」
「秋ノ葉君、良い子にしてるんだよ!」
「お大事に、秋ノ葉君」
「行ってきます! 兄上!」
「何かお土産買って来るね」
「…………」
それぞれ一言(?)言い残すと特段急ぐ事も無くその場を後にした。
どこへ行くのかは聞いていないが、一緒に行けなかった事は結構残念である。
しかしこの足の痛みは何かただならぬものを感じさせるため、残って正解だったとも思っている。
秋ノ葉は皆の姿が完全に見えなくなると近くの和風ベンチに腰を下ろした。
この辺りでは蝉の音は聞こえず夏にしては涼しい風が時折頬を撫でるような穏やかな気候である。
そんな中座っていると少し足の痛みが引いたような気がした。
「おい」
空気を感じて愉悦に浸っていると後ろから透き通った声が聞こえ、
「あ、はい。何でしょうか」
そこには部屋に戻ったはずの御吉野がいた。
部屋番号を告げに来たのだろうかと思っていると、
「お前は心里三氷についてどう思う」
と、的外れな質問が飛んできた。
「どう思う、とは?」
質問の意義が分からなかった為もう一度訊き直すと御吉野は秋ノ葉隣に腰かけてから答えた。
「あいつの事をお前がどう思っているのか、という事だ」
頭の中で質問を反芻してみて秋ノ葉は質問の意味を何となく悟った。
――もしかしてこれは心里さんに気があるとかそういう事なのかな?
一人で勝手に予測を立てた秋ノ葉は取り敢えず当たり障りの無いセリフを選ぶ。
「とっても明るくていい人だと思いますよ」
その答えに御吉野は暫く黙っていたが、考えがまとまったのかどうなのか落ち着かない様子でまた席を立った。
「少年――秋ノ葉と言ったか――秋ノ葉はあれに気に入られているようだから言っておくが」
釘を刺されるのかなと思って聞いていると、さらに思いがけない言葉が飛んできた。
「あれは俺の実妹だ」
暫くの後、
「え、ええええええぇぇぇ!?」
「少し静かにしろ」
「い、いやでも、妹、さん? あれ、でも、名字違うし……」
自分でもここまで驚くとは思っていなかったのでその事についてもさらに驚いてしまう。
「神崎も言っていただろう。俺は訳ありだと。詳しくはまだ言えないが色々あってあれは俺の事を覚えていない。名字も名前も、両方とも勝手に作ったものだ、ある人がな。……厳密に言えば完全に俺の妹という訳では無いのだが、ほぼ完全に俺の妹、だな」
随分と意味の分からない表現をする事に違和感を覚えつつも、それも恐らくは「色々あって」が原因なのだろうと思い追及しない事にした。
「な、何故僕にそんな話を?」
「お前があれを好意的に見ているのなら聞いておいて欲しい事がある」
好意的、という言葉の解釈はどこからどこまでを含むのかが明白では無かったが「いい人」と言った手前、その頼みを断る訳にもいかない。
「何でしょうか」
御吉野は少し躊躇った後、
「あれが俺の事をどう思っているかを訊いておいて欲しい。絶対にあり得ないとは思うが、万が一、男として意識しているなんて事になったら大変だからな」
と、平然と言った。
いや、躊躇ってはいたのだがあくまでも言う時は平然と、という事である。
「あ、ああ、なるほど、確かにそれは気まずいですよね……心里さんは人懐っこい性格ですし」
「頼んだぞ」
「はい、分かりまし――」
――うううぅぅ……
了承しようとした所、どこかで子供の呻く声が聞こえた。
とても小さな声ではあったがはっきりと聞こえた。
「御吉野さん、今の聞こえました?」
「今の? 何がだ」
「今の子供の声です」
「いや、聞いてないな」
聞こえていない。小さな声だが今もはっきりと聞こえるのに、御吉野には聞こえていない。
秋ノ葉は少しゾクッとしたが同時にその声の所に行くべきだとも思った。
「御吉野さん、僕ちょっと声の所に行ってみます」
「……よく分からないが、俺は部屋に戻っている」
痛む足を動かして秋ノ葉は静かに呻く声の在処を探し始めた。