プロローグ 1 「彼女の名」
超能力ものを書いてみます。
王道の中に自分なりのオリジナリティを絡めていきたいと思っていますので宜しくお願いします。
ここまで生きてきて思う。私の人生は永遠に変わり続けるのだと。
第一部 黒塊戒告部隊編
プロローグ
玄冬藤秋ノ葉は女では無い。男である。
動物学で言う所の霊長目真猿亜目ヒト科ヒト属ヒト、その二つある性別、男と女――もしくはオスとメス――の内の男の方である。
細見で長身、芯の細そうな所を見るにあまり男らしいとは言えないが、女らしい趣味が多い、いわゆる乙男ではあるが、ひ弱で脆弱で女々しくはあるが、それでも彼は男である。
顔立ちは女の子、というより美形だが、すなわちニアリーイコール男の娘だが、それでも彼は男である。
玄冬藤秋ノ葉は心優しい人間である。
土砂降りの中、びしょ濡れの猫は助けるし、みかん箱に入っていても助けるし、横断歩道で躊躇っているお婆さんも助ける。
忘れ物をした友達は助けるし、迷子になった子供は助けるし、つまり知り合いであろうと他人であろうと助ける。
玄冬藤秋ノ葉は臆病な人間である。
土砂降りの中、猫は助けても雨宿りをしながらびしょ濡れで震える女子高生は助けないし、みかんの箱に、拾って下さいと書いていなければ拾わないし、子供の近くに大人が居たら声をかけない。
玄冬藤秋ノ葉は温厚で冷酷、大胆で慎重、勇敢で臆病、活発で怠惰的な人間である。
つまり、ただの人間である。
コンクリートは蹴るものなのか、踏むものなのか。それともただそこにあるだけのものなのか。
玄冬藤秋ノ葉は考える。
炎天下、舗装された道を歩きながら考える。
走っている時なら、コンクリートを蹴る、という表現は間違ってはいない、寧ろ正しいと思う。が、大通りを歩く人間を見渡す限り走っている者はほとんど居らず、故にコンクリートを一般に、蹴るものとして扱うのはいささか不十分である。
では歩いている時ならどうか。歩いている時なら勿論、蹴るなんて言葉は似合わないが、踏むという表現ならこれまた問題は無い様に思われる。よく考えてみると蹴るという行為自体踏むという行為の一部であり、また、歩くという行為と走るという行為に明確な基準が無い事から、より範囲の広い、抽象的な言葉の方が適するのではないだろうか。
ここでは走るという行為は歩くという行為に含まれていて、蹴るという行為は踏むという行為に含まれているので、表現として正しいのはどちらかと言えば、コンクリートは踏むもの、という方になる。
では、踏みしめる、とするとどのような印象を受けるだろうか。
秋ノ葉はフラフラ歩きながら考える。学校を目指して歩き続けながら考える。
踏みしめるというと何故だか前に進む意志を感じる。
それはただ自分の存在する位置を前に動かす、物理的な前進では無く、自分が決心したことを胸に新しい一歩を踏み出す、といった精神的な意味での前進である。
踏む、を踏みしめる、に変えるだけで素っ気ない感じから躍動感のある雰囲気へと変わる。
とは言え、毎朝登校や通勤で歩くコンクリートの道をそんな希望に満ち溢れて踏みしめるはずが無い。
よって、やはり普遍的に考えればコンクリートは踏むもの、とした方がしっくり来る。
しかしこれはあくまでも我々人間、踏む立場にある側の主張である。その立場に居るために踏んでいると言っても良い。
コンクリートの立場(踏まれているが)になって考えてみると、コンクリートの存在意義とはどのようにして示されるのだろうか。
それはやはりただそこにあるだけのものなのかもしれない。コンクリートの立場になってはみたものの、コンクリートという存在自体、人間が生み出したものであるのでコンクリートを主体として考えるのはおかしいと思うこともできる。ただその場合、我々人間は、では何の為に誰が創ったものなのだということになり人間の主体性を否定しかねないのであまり適切では無い。
しかしここで秋ノ葉はあることに気づく。単純なことである。
コンクリートというのは糊状のもので砂や砂利、水などを凝固させたものであるから、何も地面にだけ存在するわけでは無い。周りを見渡せばセメントコンクリートで作られた建物がまるで体育の集団行動の時のように並んでいる。
故にコンクリート、というよりはコンクリートの道、と最初に考えるべきであったと反省する。彼の頭の中ではコンクリート=アスファルトであったのだ。
そこで秋ノ葉はまたどうでもいいことに気がつく。(そもそもこの思考自体がどうでも良いのだが)
コンクリートと言えば一般にはセメントコンクリートの事を指す。セメントコンクリートは建物に使われているが、地面、つまりはアスファルトに使われているコンクリートは言葉の通り土瀝青で結合されているアスファルトコンクリートなのである。
これで今まで彼が考えてきた無駄なことがさらに無駄になってしまった。
無駄にはなったが、元々彼はこの思考によって何らかの人生的教訓を得ようとしていた訳では無かったためこれと言った問題点は見受けられない。
汗は光ってもTシャツはびしょ濡れの秋ノ葉はアスファルトを踏むではなく撫でるようにゆっくりと非常に気怠そうに歩いている。
アスファルトの出自や存在意義などどうでもよくなった彼は、今度はその存在による影響について考え始めた。
現在彼の首筋からは汗が――滝の様にとは言わないが――ダラダラと流れている。それはなぜか、という問いに彼はいくつかの答えを用意した。
まずは勿論、太陽である。太陽光によって彼の体が熱せられているのは確かだ。けれどだからと言って太陽を責める訳にもいかない。何故なら太陽はこの地球を今の姿にしたもの、さらに言えば今彼を生かしているものだからだ。この時期の昼間だけ酷く照り付ける太陽を責めるというのは何とも酷い話だと彼は深く納得した。
他の原因として考えられるのは湿度である。これも大元を辿っていけば太陽が原因なのだろうが、そんなことを言い始めたらこの世のあらゆる事が、「地球が誕生した事」とか、「宇宙が誕生した事」とか、はたまた「自分がここに居る事」なんていう事を原因にしかねない。
だとしても湿度を悪の根源とするにはあまりにも抽象的すぎる。
彼の頭ではそもそも何が原因で湿度が上昇するのかという事が分からない。よって湿度のせいでは無い。
では、何が玄冬藤秋ノ葉をこんなにも暑さで苦しめているのか。
そう、アスファルトである。
アスファルトは土とは違い熱を長時間溜め込む性質を持つため、太陽光を吸収しそのエネルギーを保存しているのだ。またアスファルトだけでなくセメントで固められたコンクリートの建物もまた熱を逃しにくいためそのような建物だらけのこの街では熱の逃げる場所がより少ない。さらに、都会には電車や地下鉄が沢山通っておりそのエネルギーや工場の廃棄ガスなども彼を苦しめるのに一役買っているという事になる。
上の人間はもっと緑化運動に励むべきだ、と私的理由で愚痴をこぼしながらたどたどしく歩いている彼の目の前に学校の門があった。前なんてろくに見ずに歩いていたため、反射的に立ち止まる。急に止まったので今まで重々しく動かしていた足が鈍い悲鳴を上げた。
「おはよう」
立ち止まった彼の後ろから小柄な少女が表れた。小柄、と言うだけに彼との慎重差は二十センチ以上ある。短く切りそろえられた前髪は肌に張り付くことは無くサラサラと風に乗っている。秋ノ葉は全く暑苦しそうにしていない彼女が少し羨ましかった。彼とは違い彼女は汗をかいているようには見えない。
そうは言ってもその程度の羨ましさはこの際どうでも良かった。朝一番に話しかけてきた人間がショートヘアの女の子ともなれば彼の憂いは晴れたも同然である。
秋ノ葉は色々と彼女のことについて考察している内に、まだ挨拶の返事をしていないことに気がつき慌てて返事を返した。
「お、おはよう」
慌てていたのは事実だが、これだとまるで、彼が同級生の女の子に話しかけられて挙動不審な状態になっているようである。少なくとも周りにはそう見えたはずだ。
彼の返事を聞くとその少女は優しく微笑み彼の横に立った。門の傍で門の方向を向いて立っている二人は中々にシュールである。
少女の方は話しかけこそしたもののその仕草を見る限りあまり明るい性格では無いようだ。彼女の姿を最初に見た者は第一印象として、大人しそうな子、と答えるだろう。
声もあまり高い方では無いためスポーツ系女子という感じはしないし、実際にそうでは無い。
「何で門の前で止まったの?」
少女は話題提供の常套手段である、質問を投げかけた。確かに登校する人間が門の前まで来て立ち止まるのは不審である。その質問は尤もと言えよう。
秋ノ葉は右隣に居る少女を横目で見ながら急に顔を赤くして答えた。
「前見てなかったからいきなり門が表れたような気がしてビックリしたんだ」
顔を赤くしたのは先程から見られていた事に対する羞恥心か、少女に話しかけられた事に照れているのか、もしくはアスファルトの熱気のせいなのか。よく分からないが、急に赤くした、という点からアスファルトのせいという事はないだろう。
その言葉を聞いた少女は気づかれないように笑うが足を前に進める気配はない。
「そっか。その内、車にでも轢かれるかもね」
心配する様子も無く、少女は素っ気なく言った。心配していないのなら、からかっているのだろうとの憶測は立つが、彼女の平坦な口調からするにただ口から出た言葉であったように聞こえる。その口から出た言葉が真にならないことを秋ノ葉は祈った。と同時に少しショックを受けた。少し、というのは外側から見た彼の様子のことで、内面彼は相当ショックを受けた。やはり心配されないというのは精神的に辛いものがある。
秋ノ葉は気づかなかったが、よく見れば彼女の方も少し顔を赤くしていた。素っ気なく言ったのは彼女なりの照れ隠しだったようである。
「ひ、酷いなぁ。僕だってその位は気をつけてるよ。それより、車に轢かれるなんてそんな現実味を帯びた物騒な事を言わないでよ」
現実味を帯びた、と秋ノ葉は言ったが、普通は交通事故を日常的なものとして扱うことは無い。無論、事故は毎日のように起こっているが大抵の人間はまさか自分が事故に遭うなんて思っていない。それでも彼が交通事故を現実味がある、と言ったのはまさしく彼がその経験者だからである。
「でも一年前に事故に遭ったじゃない」
彼らは都内の高等学校の二年生であるので一年前と言うと一年生の夏、という事になる。
どんどん不機嫌になっていく少女を見て秋ノ葉は焦ったが、実際は不機嫌になっている訳では無い。
秋ノ葉は自分に非が無いことを証明するために一歩前へ踏み出した。
「それは君が悪いんじゃないか」
少しいじけた様子で彼は言った。いじけていたのは彼女が訳も分からず不機嫌になったように見えたからである。ただ、それだけでは無く女子と話す時は少しどころか非常に緊張してしまう彼の性格も原因の一端にある。
「まるで私があの時ボーっとしていたのが悪いみたいな言い方じゃない」
相変わらず口調は平坦だが、その言葉には随分と重みがあった、ように秋ノ葉は感じた。
考えてみれば今の言い方は、自分が怪我をしたのは君のせいだ、と言っているようなものであった。意地の悪いこと甚だしい。そんなつもりは全く無かった彼にとっては少し意地になっていただけでその様な失言をしてしまった自分に失望する他ない。
「ご、ごめん。そんなつもりじゃ……」
意気地無しの言う言葉がするっと自分の口から出てきてしまった。その事が彼は残念でならなかった。
それでも、戸惑う彼の様子を見て少女は一応納得したようだ。が、実際はボーっとしていた方が悪いに決まっている。
「でも、あの時は助かったよ。あれからもう一年以上経つんだね。と言うことは私たちは知り合ってもう一年以上になるんだね」
秋ノ葉と少女は同じクラスでは無かったし、今も違う。それなのにこのように親しくしているのはその事故のお陰ということになる。秋ノ葉は今になって実感した。あの時事故に遭っておいて良かった、と。しかし未だに納得出来ない事もある。
「その割には僕はまだ君の名前も知らないんだけど」
秋ノ葉は目の前の少女の名前を知らない。一年以上も付き合いがあったのにも関わらず彼は、彼女の多くを未だに知らない。
そしてそれは彼女の方も同じであった。
「私もまだ君の名前を知らないよ」
お互いに名前を知らない。普通なら出会った時に自己紹介する筈だが、つまり彼らはそれをしていないということである。知り合いの名前を知らないというのは何とも不自然な感じだ。
知り合っているのなら名前くらい知っていて当然、というか知らないようにする方が難しい。それでも未だにお互いの名前を知らないという事はそこに何らかの意図があることは間違いない。
「それは君がそうしろって言うからじゃないか」
彼らの間には約束がある。内容自体はどうでもいいことである。むしろ守る事に意味が無い様にも思われる。だが少女は言った。意味はある、と。
初めて出会った時からずっと守ってきた約束には今でも意味があるのだろうか。秋ノ葉は気になったがだからと言って口に出すような事でもないと思い至る。
「だって、お互いの名前を知らないって、ロマンチックじゃない? いつ知ることになるのか分からない、だからワクワクする。そんな感じがするでしょ?」
歩みを再開させた二人はそのまま敷地内へ入って行く。
「でもそれってクラスが一緒になったら終わりだよね」
約束通りお互いの名前は極力知らないようにしている。だがクラスが一緒になってしまっては隠しようが無い。
だからこそ二年連続で違うクラスになってしまったことは残念極まりないことであった。
「その時はその時よ。これがいつまで続くかが楽しいの。あ、そう言えばあの時は危なかったよね!去年のクリスマスで一緒にプリクラ撮った時、私、うっかり自分の名前を書いちゃいそうになってさ」
クールな面持ちの彼女が少し笑った気がした。気づかない内に秋ノ葉の頬も緩んでいる。
秋ノ葉はその時の事を思い出してみた。別に彼らは付き合っている訳では無い。付き合いはあるが付き合っている訳では無い。
カップルならクリスマスにどこか二人で出かけるのは全く不思議ではないが、付き合っていない男女二人が出かけるのは何とも不自然である。
「そうだったね。他にも二人でレストランに行った時、予約の欄になんて名字を書くか考えた事もあったよね」
秋ノ葉は近くのファミレスへ言って学校生活に対する不満を二人で語り合った時の事を思い出した。女子と二人で食事なんて事をするのにファミレスなんかでいいのかとあの時は酷く悩んだ秋ノ葉だが結局その時は少女の、「ファミレスがいい!」の一言ですんなりと決まったものであった。
「あの時は何て書いたんだっけ」
明らかに覚えている風である。その顔には先程とは違い楽しそうな笑みを浮かべられている。
「佐藤って書いた」
最もポピュラーな名字である佐藤を選んだのは適格な判断だったと言えるだろう。別にどの名字にしても構わなかったとは思うが変にマイナーな名字を選ぶと何となく怪しいと思われてしまう訳だ。それに万が一そのマイナーな名字が相手の名字だったとしたら確実に疑われる。それに対して佐藤ならば選んだ理由として、一番多いから、というもので通るし、それがもし相手の名字だったとしても一番多いからという事で問題にならない。寧ろ佐藤という名字を受け入れた事で二人の名字が佐藤では無いという事がほぼ確定したとも言える。
他には何か無かったかと秋ノ葉が考えていると、
「……ねえ、何でさ、あの時助けてくれたの?」
玄関に差し掛かる所で少女は急に立ち止まり彼に問いかけた。口調は大して変わっていないが言葉が言葉なだけに少し息詰まる。
けれど、少女がこのように訊いてくるのは今回が初めてでは無かった。出会った時に加えて、それから数回、全く同じ質問をしてくるのだった。
だからそんな時は必ず同じ答えを返す。
「助けたい、って思ったからだよ」
格好つけているつもりは彼には無い。他の人に同じ質問をされたらきっと、何となく、と答えるだろう。こればかりは本当にどうとも言えない。考えていたら間に合わなかったのだから、何とも言えないという言葉には信憑性がある。
強いて言うのなら彼がそういう性格をしていたから、と言えるかもしれない。
そこでふと思った。
あの時彼女を助けていなかったらどうなっていただろう、と。
自分は現在この世にいるため彼女が車に轢かれても死ぬことは無かったかもしれない。だが、彼が死ななかったのは横から飛び込んだからで、その場に居た彼女が轢かれていたらもしかすると死んでいたかもしれない。死んでいなくとも、入院するのは彼では無く彼女になっていた事は間違いない。
様々な仮定をしてみても、やはりあの時彼女を助けて本当に良かったと秋ノ葉は実感した。
「そっか。ありがとね」
一拍置いて彼女は言った。
「……あのさ、今度の日曜に、一緒に映画見に行かない?」
何度目の誘いかは覚えていないが秋ノ葉は今、お誘いを受けた。何度しても緊張はするのか少女は顔を下に向けている。
この前一緒に出かけたのは二か月前の事だったと彼は記憶している。あの時は自分から誘ったのだという事も。その時も異常に緊張したものだった。あれほど緊張する事なんて他に無いのではないか、と思うほどに緊張した。
だが、今までの誘いで断られたことも断ったことも一度も無い。その理由は簡単である。ただ、お互いに嫌われたくなかったというだけの事なのだ。だから用があってもその用をキャンセルしてまで承諾した。
今回は幸い彼のスケジュールは空いていたので何も気負わずに誘いを受ける事ができた。
「うん! 是非行こう! 楽しみにしてる!」
異常に喜んでいる自分に焦りを感じ、秋ノ葉は下駄箱へと走った。下駄箱付近にはお互いに近寄らないと決めているので少女は追う事が出来ない。
今日一日が薔薇色になる予感がして秋ノ葉は急いで上履きを取り出すと階段を目指した。
そして勇気を振り絞って言う。
「ねえ、今度の日曜日、伝えたい事があるんだ」
返事は聞かずに階段を登り始めた。
そして何度目になるだろうか分からない、自分の中の感情を呼び起こす。
――僕は、彼女が好きだ。
今の彼女に会う事はもう二度と無い。