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全てを忘れて

 しばらく進んだところで、人形たちは早苗を降ろした。


「このドアの先にある宝箱が、この世界の出口よ」


 人形たちは早苗がドアを開けるように促した。しかし早苗は静かに首を横に振る。

 早苗の表情は、悲愴感ひそうかんに満ちていて今にも泣き出しそうだ。


「優雨くんを置いて行けないよ。お願い、優雨くんを助けさせて」


 早苗は膝をついて人形にすがる。


「お願い、手を貸して」


 早苗の声が震えている。今にも泣き出しそうだ。


「ごめんなさい。私たちにはどうにもできない」


 人形たちも膝をついて早苗に言った。


「この世界を作り出した朱音に、私たちは何もできないの」


 人形の一人がドアを開ける。


「お兄さんの勇気ある行動を無駄にしないであげて」


 早苗は黙ってドアの先へ進んだ。

 ドアの先には大きな宝箱が一つ置いてある。豪華な装飾が施された宝箱だ。

 早苗は人形たちに連れられて宝箱へ近づいていく。


 その時、早苗は自分が通ったドアを見ていた。ドアは閉まりかけていて、隙間から黒い霧のようなものが漏れ出している。


 人形が早苗の前に立って、手を差し出した。


「お姉さん、ペンライトを貸してくれる?」


 早苗はペンライトを人形に渡す。

 人形はペンライトにそっとキスをした。そして早苗に渡す。


「ペンライトにおまじないをかけたよ」


 人形は早苗はペンライトを受け取ったのを確認して、話を続ける。


「この宝箱に入ると元の世界へ帰れるよ。でもね、この世界で起きたこと、体験したこと、この世界のものは全部忘れちゃうの」


 人形がうつむく。


「そして、この世界に残るお兄さんのことも忘れる」


 その言葉を聞いた時、早苗の口から少し声が漏れた。言葉にはなっていなかったが、それは早苗が絶望したことを周囲に理解させた。


 早苗の顔から表情が消える。

 人形は話を続ける。


「でもね、もしもお姉さんがこの世界のことを思い出すことができたら、お兄さんを助けられるかもしれない」


 早苗の目に少し光が差した。


「私はペンライトに、本当の力を呼び覚ますようにおまじないをかけたの」


 早苗の表情に希望が戻り始める。


「元の世界でこの世界で見た景色と同じものを見ることができれば、全てを思い出す」


 早苗の表情が引き締まった。


「私たちは何も手助けはできない。お姉さん、頑張って」


 その言葉と同時に、人形たちは早苗を宝箱の中へ突き落とした。早苗は上を見ながら落ちていく。


「優雨くん、待っててね……」


 その言葉を最後に、早苗は意識を失った。






 優雨は朱音と対峙たいじしている。


「優雨、お姉ちゃんは優雨をおいて元の世界へ帰っちゃったみたいよ」


 優雨は胸を撫で下ろし、息を吐いた。


「よかった。無事に帰れたんだな……」


 優雨のその言葉を聞いて、朱音の表情に陰りが出る。


「気に入らない……」


 朱音はゆっくりと優雨に近寄る。

 優雨に逃げる様子はない。もう体に限界がきているのだ。動きたくても動けない。


 鼻を突く悪臭が優雨を取り巻く。しかし優雨にはそれに反応する気力も残っていなかった。


 少しずつ距離を詰める朱音。そのおぞましい姿が優雨の心にあった恐怖心を徐々に膨らませる。



——怖い。



 心の中でぽつりと呟いた。

 怖くて怖くて仕方がない。しかし、なぜか優雨の心には少し余裕があった。


 さっきは格好つけすぎたかな。早苗泣いてたな。無事に帰ってくれてよかった。


 いろんなことが頭を過る。

 優雨はその場に座り込んだ。


「もう、動けねぇ」


 朱音が優雨に抱きつく。


「ずっと一緒にいようね、優雨」


 迷路の霧が濃くなった。もう数歩先も見えない。

 真っ暗な迷路に朱音の幸せそうな、狂った笑い声が響いた。

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