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決心

「嘘言わないで」


 朱音の口から発せられたその言葉が場の空気を凍らせていた。冷たい口調、冷たい声、そして冷たい視線。先ほどまで喋っていた朱音とは別人のようだった。


 重々しい空気の中、早苗は服の裾を握って俯く。


「どうしてそんなこと言うの?」


 早苗は顔を上げて言った。


 早苗の表情は、朱音のそれにも引けを取らないほどに冷たいものだった。

 朱音は早苗の迫力に少し怯んだが、すぐに言葉を返す。


「お姉ちゃんはいつも……自分の本音は言わないよね」


 朱音は目を逸らしながら言った。

 早苗は朱音の言葉を表情を全く変えずに聞いている。


「お姉ちゃんは……ずるいよ」


 朱音がゆっくりと早苗に近づき、早苗の胸に額を当てる。朱音は小刻みに震えていた。


「自分の本当の気持ちは言わないくせに、優雨を独り占めしちゃうんだから」


 朱音は鼻をすすって話を続けた。


「私は自分の気持ちを言って、堂々と正面から優雨に接してた。でもお姉ちゃんは自分の気持ちは全く言わないで優雨の隣を占領してた」


 早苗の表情がすこし曇った。声を荒げながら言葉を返す。


「朱音にはわからない! 私が自分の気持ちを口にしたら……今の関係が壊れるかもしれないの。これまで頑張ってキープしてた優雨くんの隣を。朱音が自分の気持ちを簡単に優雨くんに言っちゃうのとはわけが違うの!」


 早苗は目の前にいた朱音を突き飛ばしながら言った。突き飛ばされた朱音は尻餅をついてしまった。


 朱音自身、すこし驚いていた。普段温厚な早苗が、こんなにも声を荒げて、しかも自分を突き飛ばしたのだ。動揺した上にすこし恐怖心を覚えた朱音だったが、すぐに早苗を睨んで立ち上がる。


「私が……簡単に自分の気持ちを……言ったと思ってるの……? そんなわけないじゃん! 私が小学生だからってバカにしてるのかもしれないけど、私だって女の子なの! 自分の気持ちを伝えるのは簡単じゃないの!」


 朱音は泣きながら怒鳴った。その姿に早苗は面食らって黙り込む。


「私だって怖かった……もし自分の気持ちを伝えて、優雨が自分から遠ざかっちゃったらって……。でも勇気を出して言ったの! だから自分の気持ちを伝えてすらいないお姉ちゃんが優雨の隣を独り占めするのが嫌だった!」


 朱音は涙を堪えようと必死に歯を食いしばった。しかし、涙は止まるどころかどんどん溢れている。


 早苗はそんな朱音を見て悔しくなった。


 自分は関係が壊れることに怯えて、昔からの立場を利用して優雨の側にいた。それに比べて妹の朱音は勇気を出して行動を起こしていたのだ。さらに朱音を見下して、自分が気持ちを伝えられないことを正当化しようとしていた。その事実が一気に早苗の心にのしかかる。


 重くて、鋭い。心を突き刺すような感覚が早苗を襲う。


 目の前で泣いている朱音に対して、なんと言葉をかけたらいいのか。まさか自分がこんなにも朱音を苦しめていたなんて。いろんな思いがぐるぐると頭の中を漂い、充満していく。


 何か言わなければ。でも何を言えばいいのか。早苗はわからなくなり、上を見上げた。


 天井でシャンデリアが輝いている。先ほどまではシャンデリアの光が暖かく感じたのだが、今は違う。ずるい自分を照らし出すスポットライトに思えてしまう。


 自分がずるいことをしていたと気づいた今でも、考えを改めて優雨に気持ちを伝えるのはしたくないと思ってしまう。関係が壊れるかもしれないというリスクに心が耐えきれない。


「お姉ちゃん、お願い。お願いだから、自分の気持ちを正直に伝えてよ」


 いつの間にか朱音の涙は止まって、しっかりとした表情をしていた。

 朱音は早苗に近づき、早苗の手を握る。


「優雨に気持ちを伝えるのが怖いなら、今は焦って伝えようとしなくてもいい。でも、ここで私に……お姉ちゃんの本当の気持ち教えてよ」


 朱音の手の力が強くなる。


「そうすれば、私はお姉ちゃんを応援できる。……諦められる」


 また朱音の目に涙が溜まり出した。


「もう私は、優雨の側には居られない。死んじゃったもん。……だから、諦めさせてよ」


 早苗は、今朱音が自分の気持ちに決着をつけようとしていることを感じ取った。自分より小さい女の子が、自分よりもしっかりと自分と向き合っている。辛い現実をしっかりと見つめて、心を決めようとしている。


「ダメだなぁ、私。妹にここまで言われちゃうなんて、お姉ちゃん失格だね」


 早苗の目から一粒の雫が零れ落ちた。先ほどまでの冷たい表情が、その雫によって溶かされたかのように和らいでいく。そしていつもの優しい笑顔が早苗の顔に戻った。


「今までごめんね、朱音。私、正直になるよ」


 早苗は朱音の頭を撫でて、一歩後ろへ下がった。


「私は、優雨くんが好き。好きだから、助けに行くよ」


 その言葉を聞いた朱音は、満面の笑みで早苗を見た。生前によく朱音が見せていた、無邪気でかわいい笑顔。唯一いつもと違ったのは、瞳から綺麗な雫が溢れて止まらないところだった。


「やっと聞けた……。これで諦めがつくなぁ」


 その言葉の直後、朱音の体が光を放ち始めた。そして朱音の姿が薄くなっていく。


「お姉ちゃん、私に言えたんだから、優雨にもきっと言えるよ」


 朱音の姿がどんどん消えていく。早苗は朱音に抱きついて頭を撫でる。


「うん、ありがとう。私、頑張る」


 早苗の瞳からも綺麗な雫が溢れて止まらない。


「好きって気持ちがあれば、どんなことだって乗り越えられるよ」


 朱音はそう言って早苗から一歩離れた。


「何があっても負けないで!」


 朱音は大きな声でそう言って、小さく手を振った。もう朱音の姿はほとんど消えている。


「お姉ちゃん! 大好きだよ!」


 最高の笑顔と元気な声を早苗に残して、朱音は消えて無くなった。


「ばいばい、朱音」


 早苗は呟き、涙を拭う。

 そして振り返って歩き出した。

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