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二人の朱音

「げほっげほっ」


 早苗は咳き込みながら、ドアを開けた影の主を見つめていた。逆光で顔は見えないが、小柄な体格なのはわかった。


「誰……?」


 早苗は恐る恐る問いかける。

 しかし、影の主は返事をしない。

 早苗はゆっくりと立ち上がり、影の主に近づいた。そして小さく声を上げる。

 早苗が声を上げた途端、影の主は走り去ってしまった。早苗は影を追わず、その場で立ち止まった。


「朱音……?」


 早苗は腕を組み、考え込む。今ドアを開けたのは朱音だった。しかし、先ほどドアを開けた朱音は生前の朱音とは全くと言っていいほど雰囲気が違ったのだ。


「……先に進もう」


 早苗は歩き出した。

 早苗が落ちた部屋とは違い、廊下は明るかった。ここまで進んできた道にあったような不気味な明かりではなく、この廊下にはシャンデリアが付いていて、ほっとするような明るさだった。


 早苗は黙って進んで行く。

 これまで通り全く音がなく、聞こえるのは自分の足音だけ。周囲を警戒しながらも、シャンデリアの明るさのおかげで先ほどまでより足取りは軽い。

 廊下の先には真っ白なドアがある。綺麗なバラの模様がついた真っ白なドアノブ以外は何もついていない。

 早苗はドアを開け、中へ進んだ。


 ドアの先には、柔らかそうなソファが一つ置いてあった。三人がけの大きさで、ソファの両端には一つずつテディベアが置いてある。そしてソファの中心には、朱音が座っていた。


 早苗は一瞬、驚いて後ずさりをしたが、すぐに前へ歩き出した。

 早苗が近づいてくる様子を見て、朱音は微に笑った。


「おねえちゃん」


 朱音はそう言って立ち上がった。

 早苗は朱音の正面に立ち止まり、朱音を見つめる。

 朱音は早苗の顔を見つめ、少し視線を泳がせてから涙ぐんだ。どんどん涙が目に溜まっていき、ギリギリまで耐えたところで肩を震わせて泣き出した。


「お姉ちゃん、ごめんね、ごめんね」


 朱音は両手で目を擦りながら謝った。どうにか嗚咽を抑えようとする朱音だったが、全く抑えきれていなかった。

 早苗はそっと朱音を抱き寄せて頭を撫でた。しかし、状況が理解できずにどうしていいかわからない。今、自分の目の前にいる朱音は、生きていた頃の朱音そのものだ。その事実が早苗を安心させていた。

 嗚咽が治まり、落ち着きを取り戻した朱音はソファに座って早苗を見上げた。


「ごめんね、おねえちゃん。 私のせいでこんなところに来ちゃったんだよね」


 朱音はそう言って俯いた。


「私、今がどんな状況なのかあまり理解できていないの。 朱音、何か知ってるなら教えてくれないかな」


 早苗は近くにあった椅子をソファの正面に置いて座った。

 朱音はゆっくり顔を上げて早苗を見つめる。


「うん。 ここはね、私が作ってしまった世界なの」


 朱音は右隣にあったテディベアを抱きしめる。


「寂しくて、寂しくて、仕方がなかったの。 一人になりたくなくて、優雨を呼んだ」


 早苗は黙って頷く。そして首を傾げた。


「呼んだのは優雨くんだけ? 私は呼んでなかったの?」


 朱音は頷いて話し始めた。


「うん。 お姉ちゃんは呼んでなかった。 けど、彼女がお姉ちゃんをこの世界に引きずり込んじゃったの」


 朱音は抱いていたテディベアを隣に置き、手を膝に置いた。

 早苗もそれにつられて手を膝に置き、姿勢を正した。


「彼女って……誰?」


 朱音は小さく息を吐き、呟くように言った。


「もうひとりの私」


 早苗は意味がわからなくなってしまった。目が点になり、首を傾げてしまう。

 そんな早苗を見た朱音は、理解してもらうために説明を続けた。


「今の私はいつもの私。 もうひとりの私は、お姉ちゃんに対する嫉妬の気持ちが募ってできた私なの」


 朱音はそう言って気まずそうに視線を泳がせた。

 早苗はさらに首を傾げる。


「え、朱音が私に嫉妬……? なんで?」


 朱音は少しムッとっした顔をして早苗を見る。


「お姉ちゃん、優雨をよく独り占めしてたから……私も優雨をお喋りしたかったし、遊んだりしたかった」


 朱音は少し唇を噛み締め、決心したかのように拳で膝を少し叩いた。


「私ね、優雨のことが本当に好きだったの。誰よりも好きだった。死んじゃった今でも大好き」


 朱音はそう言って、寂しそうに俯く。


「その気持ちが、もうひとりの私を産んだ」


 ここで早苗の頭に疑問が生まれた。どうしてもうひとりの朱音は嫉妬の対象であった自分をこの世界に引きずり込んだのか。嫉妬をするような相手なら死んでまで一緒にいたくはないのではないだろうか。

 しかしその疑問は、次の朱音の言葉で消え去った。


「乗っ取ろうとしたの。 お姉ちゃんの体を」


 早苗の身体中に鳥肌が立った。そして気持ちの悪い汗が額を流れる。


「お姉ちゃんの体を乗っ取って、優雨と一緒にいようとしたの。 だから、この世界に引きずり込んで、お姉ちゃんを殺して体をもらおうとしてるの」


 早苗の表情は恐怖に染まりきっていた。体が小刻みに震え出し、体が強張る。

 そんな早苗の方を、朱音は優しく撫でた。そして話を続ける。


「でもね、もうひとりの私はお姉ちゃんを殺すのを諦めたみたい。 その代わりにこの世界に優雨を閉じ込めようとしてる」


 早苗は深呼吸をして朱音の顔を見た。朱音はとても辛そうな表情をしている。


「私が止められたらよかった。 けどできなかった。 何もできない」


 朱音の目に涙が溜まり始めた。

 早苗は急に立ち上がり、歩き出そうとする。そんな早苗を朱音は腕を掴んで止めた。


「お姉ちゃん、危ないよ。 彼女の気が変わってお姉ちゃんが殺されちゃうかもしれな……」


「そんなのどうだっていい!」


 早苗は朱音の言葉を遮って言った。


「優雨君と一緒にこの世界から出るんだ。 優雨君が危ない状況なら絶対に助ける」


 早苗の顔に先ほどまでの恐怖はもうない。強い気持ちが表れているようなしっかりとした表情だ。

 そんな早苗の顔を見た朱音は、早苗の顔を見ながら言った。


「なんでそこまで必死になるの? 自分一人でも逃げ出す方法を探せばいいじゃん。 なのになんで?」


 問われた早苗の表情が、少しだけ曇った。一瞬だけ視線が泳ぎ、顔を振る。


「そんなの、幼馴染だし、友達だから……」


 早苗の言葉は弱々しかった。

 朱音は立ち上がって早苗の正面に立つ。


「本当にそれだけ?」


 朱音は無表情だった。そんな朱音に若干の恐怖心を持った早苗だったが、目を逸らして言う。


「それだけだ……」


「嘘言わないで」


 早苗の言葉を遮って朱音は言った。朱音の表情は一切変わらず、とても冷たい目をしている。鋭い威圧感を放つ視線に、早苗は立ち竦んだ。

そろそろお話が終盤に入っていきます。

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