Ⅱ:黄金の王と翠緑の少女
砂と土の国にそびえる王城。堅牢な外壁に囲まれ、如何なる者の侵入も許さない。それゆえ、民にとって最後の砦。
城下の街並みは黄土色に染まっており、喧騒が途絶えることはない。その様子から、平穏な毎日が続いていることを確認できる。威勢良く新商品を宣伝する野太い声の店主。砂に足を取られながらも元気良く走り回る子供達。井戸端会議に夢中な主婦。これといった混乱も無く、至って平穏無事な光景である。
一際存在感を放つ城の一室、執務室とおぼしき部屋で、王はペンを執っていた。机の上には大量の書類が広がっている。その多くは、国民から寄せられた意見や要望だ。
この国を治めるイェールという男は、黄金の頭髪に、トパーズのように煌めく瞳を持っている。凛々しい顔つきで、落ち着いた、大人の余裕が窺える容貌だ。とはいえ実際は年若く、王に成り得る人間には到底見えない。
彼の仕事量は想像を絶するようで、疲労を隠すことは難しくなっているのだろう。ペンと書類を手放しては、頻りに深く吐息している。睡眠も足りていないのか、瞳からは輝きが失せ、クマが目立つ。
キィ、と扉が軋む音。直後、爽やかな風が吹き抜けた。金髪が揺れ、書類がざわめいた。顔だけ向けると、ひとりの少女が柔らかく微笑んでいる。腰まで届く緑髪に、同色の瞳はエメラルドのように煌く。落ち着いた雰囲気を醸し、品性を感じさせる佇まいだ。
「ご機嫌よう、ジリエン」
イェールの表情が晴れる。対して翠緑の少女――ジリエンは心配そうに眉をひそめた。その表情は、小さなショックで崩れそうなほど、脆くて不安定だった。
「イェール様、お疲れなのですか……?」
彼女は心配そうに胸に手を当てる。その瞳は不安気に揺れており、心の底から彼の心身をいたわっているのがよくわかる。彼女の様相を見て、イェールは微笑んだ。
「大丈夫。君に心配されるほど、やわな鍛え方はしていないさ」
そう言って自身の左胸を叩く。眉をハの字にしていた彼女も安心したようで、くすっと控え目に笑った。
その美しい容姿は高貴な華を連想させる。喩えるなら、カトレア。清純で、何者にも汚されない純粋な心身の持ち主。それがジリエン。枯れ果てた砂の国には似つかわしくない、一輪の華。
国民は皆、口を揃えて彼女を美しいと噂する。その姿を一目拝もうと、城を訪れる者も少しずつ増えていった。彼女を城に招き入れたイェールとしては、少々騒がしくも思っている。
「ただ賑やかであるのなら、いいことなのだけれどねぇ」
「……?」
ため息混じりに吐き出すイェール。当の本人は、何のことなのか理解出来ていないようだった。彼女の腕が、微かに震えていることに気づく。表情もどことなく歪。
彼女の内に湧いた疑問が、自身の心を掻き乱し、表情を歪ませたのだろう。震える身体を華奢な腕で押さえつけ、立つことも困難なのか膝から崩れ落ちる。呼吸を乱し、歯を打ち鳴らすその姿は非常に危うい。
イェールは膝を折り、ジリエンの頭を優しく撫でた。彼女の気持ちが鎮まるまで、ゆっくりと撫で続ける。会話は無く、音と言えば震える少女の吐息だけ。王はただ黙って労わった。
しばらくして呼吸も整い、顔をあげるジリエン。その瞳は涙に濡れている。
「ごめんなさい、私……ごめんなさい」
溢れる涙を拭いながら、ひたすらに謝罪を口にする少女。嗚咽を繰り返し、今にも倒れてしまいそうだ。
「――心配要らないよ、ジリエン」
王は優しく抱き締める。か細く、折れてしまいそうな少女の身体を。耳元に苦しそうな吐息を感じながら、囁いた。
「君が、こうして僕のそばに居てくれる。これ以上の幸せは無いんだ。それ以外、何も要らない」
言い切るイェール。ジリエンの呼吸は徐々に落ち着き、身体の震えも収まる。華奢な腕で抱き着く少女に、王は微笑む。
「あっ、ありがたいお言葉です。けれど……」
ジリエンは困ったように吐息した。
「私が居る、というより貴方が居らしたのでは……?」
たどたどしいながらも、的を射た発言。イェールはただ苦々しく笑うだけだった。