第七話 汚い男
旅館の風呂は露天ではなかったが、それでもなかなかの絶景だった。
おそらく、冬である今だからこそなのだろうが、窓から見える景色は、一面雪化粧を纏い、きらきらと輝いていた。
そんな風景を見ながら、入った風呂の後に、私はようやく食事にした。時間的には、普段よりずっと早いのだが、どこか待ちくたびれた感を覚えたのは否めなかった。
けれど、出てきた料理はその気持ちを吹き飛ばすほど上等なものだった。
あまり金の無駄遣いをしたくなかった私は出来るだけ安めの宿にしてみたのだが、どうやらそれがあたりだったらしく、今日の夕飯はカニ尽くしだった。
囲炉裏でかにの足を焼きに、甲羅は甲羅蒸しにする。
それを食べた後、味噌の残っている甲羅に熱燗を注ぎ、温める。
普段の私なら、そんな事をしようとは思わなかっただろうが、良くも悪くもここは誰一人として私の事を知らないのである。
そのため余計な事を言われる事などない。
名簿に記帳する際も少々さばを読んで置いたので、大丈夫なはずである。
その熱燗を飲み終えると、最後にかに雑炊をいただき、部屋へと戻る。
どうやら、ほんの少し酔いが回ったらしく、体が浮き上がるような感覚を覚えるが、ふらつくわけでもない。
難なく、私は部屋に戻ると、いつの間にかにしかれていた布団の上に倒れこむ。
不思議だった。
逃げるようにして来たはずなのに、不思議と焦りはない。
先ほどの料理だって、本当においしかった。
もしかすると、そんな私は異常なのかもしれないが、無駄に自分を卑下したくもない。
よって、そんなふうに思いたくもない。
結局、不思議としか言いようがない。
実際、私はいったいここに何をしに来たのだろうか。
彼女を傷つけないためと言う名目上で逃げてきたはずなのに、今の私のしている事はどうだ。
彼女を避けて、彼女を一方的に責めているようにしか思えない。
わけも分からず、自分が何かしたのではないだろうかと、逆に自分のことを責めさせようとしか思えない。
ようやく私は今になって自分のしたことの本当の間違いに気付いた。
彼女にあんなメールを送ったのが間違いなのではない。
逃げた事が間違いだったのである。
そう結果として、こちらの方がより彼女を苦しめる事になったのである。
けれど、逃げてしまった以上、もうどうにもならない。
今更悔やんだところで、時間など戻ってはくれないのである。
私は衣紋掛けに掛けているオーバーオールのポケットから携帯を取り出し、電源をつけると、朝と同じ行動をする。
ただし、内容だけは変える。
『全て悪いのは俺。君が悪いわけではない』
朝のときより、少々長くなったが、そんな事を気にしている余裕は、今の私にはなかった。
ただ、それだけを打つと、また電源を消し、適当に畳の上に転がすと、布団の上に転がる。
先ほどのメールは彼女のためを思って送ったメール。
彼女が悲しむ必要なんてないのだ、言いたくて送った。
なのに、どうしても、送った自分自身がそう思えない。
結局、自分の自己満足のために送ったものでしかないように思えてくる。
いや、実際そうなのかもしれない。
心の中にある罪悪感を払拭したいがために送っただけの事なのかもしれない。
今思えば、私と言う人間は自己保身の強い人間なのだ。
こうしてここにいられるのも、自己保身のために、好きでもない演技をして、教師に逆らわず、問題行動もせず、自分を偽って、心を殺して学校生活を送ってきたからこそである。
そうでなければ、私のようなごく平凡な人間が推薦してもらえるはずもなかっただろう。
結局私は汚い人間なのである。
私は部屋の明かりを消すと、布団の中にもぐりこむ。
酔いの勢いで眠るため。
今ここにいるのが自己保身による逃げならば、余計な事を考えたところで、それは無意味でしかない。
ならば、とことんまで汚い人間でいよう。もう、それぐらいしか私には残されていない。