エピローグ
現実は優しくない。
そして、それと同時に夢もまた優しくはない。
優しいのは幻。
その人が描く幻影。
現実は、ただ悲しみだけが溢れかえり、夢も希望も食いつぶしていく。
現実は、ただ虚ろで心の中に深い孤独感を産み落としていく。
けれど、それでも人は生きていかなくてはいけない。
幻の中で生きてはいけない。
幻の中の住人は主人公であるその人だけ死が存在しない。
けれど、現実は誰もが主人公で、誰もが脇役であるがため、たった一人でも現実から外れてしまうと、歯車が狂い始める。
だから、たとえ悲しくても、私たち人は現実で生きていかなくてはいけない。
そんな事を人は呪うのかもしれない。
けれど、現実は悲しく、辛いが、それと同時に、幸せもある。
物事は常に表裏一体。
表だけでは存在する事は叶わず、その逆もまた同じ。
悲しみがあるのと同時に喜びもある。
だから、悲しんでばかりはいられない。
不幸ならば、自分のみにある幸せを探さなくてはいけない。
いつまでも悲しみにとらわれていてはいけない。
それでは、幻の中で生きているのと同じだからだ。
「ねえ、おいしい?」
夕暮れの公園のベンチに座っているわたしの隣にいる彼女がそう問いかける。
「うん」
私がそう答えると、本当に嬉しそうな顔をする。
彼女が私の恋人で、私が彼女の恋人。
それ以上でなければ、それ以下でもない。
たった、それだけのこと。だけど、それだけのことでも、今の私にとっては、幸せ以外なんでもないこと。
ただ、それは同時にやはり不幸にもつながっている事でもある。
いつかは傷つかないといけないという事。
「でも、手作りなんてがんばったね。確か料理って苦手じゃなかった?」
もう一つ口に運んでいると、思わずそんな疑問が浮かんできた。
外見も性格も言い彼女だけど、料理だけは苦手だった。
と言うよりも、したことがないため、といった方が正しいか。
「うん、まあね」
だから、盛大に褒めてあげようと思ったのだけれども、当の彼女はどこか難しげな顔をしている。
一瞬、何か悪い事でも言ったのだろうかと思って考え込んでいたら、一つだけ思い当たる事があった。
「もしかして、メールとか電話が適当になってたのって……」
これだった。
なんとなく、これじゃないのかと思って、思い切って言ってみたのだが、どうやらそれで正しかったみたいで、
「ごめんなさい」
すぐに謝った。
「お正月の後から、ずっとお母さんに頼んで練習してたの。ほら、もうすぐ、私一人暮らしをする事になるでしょう?だから、そろそろ覚えておいた方がいいかなって思って。それに、うまくなったら、あなたに食べてもらいたかったから。ううん、と言うよりもたぶん一人暮らしなんてものはたぶん建前で、あなたに食べてもらいたいためだけにしてた」
そういう彼女の顔は本当に申し訳なさそうだった。
けれど、別に彼女は悪くない。
いや、それどこか、嬉しくて仕方のないことだ。
そう、たぶんただ時期が悪かっただけ。
私の精神的余裕がなくて、いつの間にか自分のことで一杯一杯になっていたから、こんな事になっていたのだ。
「ありがとう」
気にしないで、とか、君は悪くない、とか、俺が悪いんだ、という言葉が頭の中で浮かんできたが、どれも間違ってはいないが、正しいとも思えなかった。
だから、ありがとう。
私のために、がんばってくれてありがとう。
それが一番いいんじゃないかと思った。
「たぶん、すごく苦労したと思うけど、よくがんばったね」
心からそう思う。私がそう言うと、彼女は本当に嬉しそうに笑う。
私なんかの言葉で彼女がこんなに喜んでくれる。
「うん。でもね、その苦労が今ようやく実ったかな」
彼女の笑顔はすごくまぶしい。
彼女は綺麗だ。
そして、彼女はかわいい。
その愛らしい二重のくりくりした目。
触れて分かったぷっくりとして柔らかく、そして弾力のある唇。
まるで神の仕事と思わんばかりに絶妙な配置のかんばせ。
化粧などしていないのに、淡く白い雪化粧のような肌。
しみやそばかすなど全くない綺麗な肌。
枝毛なんてない肩の辺りまで伸ばした亜麻色のさらさらの髪壊れそうなほど華奢な体。
周りを明るくする話し方。
その全てが男を魅了する。
けれど、彼女の本当のよさはそんなものじゃない。
彼女の本当の魅力は、心を穏やかに和ませる雰囲気。
この世にある幸せの一つの具現。
それがたぶん彼女の魅力なんじゃないかと、思う。
「そっか。なら、今度はさ、その、えっと、手料理の方も食べて、みたいかな?」
そんな彼女の魅力に照らされて、私も少しずつ少しずつ変わっていく。
恋は狂気。
それは彼女と付き合い始めて思ったこと。
そんな自分が怖くもあり、満たされてもいた。
たぶん、今もそれと同じ。
どんどん変わっていく自分が怖くもあり、どこかで変わっていきたいとも思っている。
彼女と一緒に。
「うん、任せて。お母さんにしっかりと教えてもらったから、きっとおいしいものを食べさせてあげれると思う」
そう言うと、彼女はまた笑う。
「うん、楽しみにしてる」
だから、私もつられて笑顔になってしまう。
彼女の笑みにはそれぐらいの力が秘められている。
自然に笑顔にさせてしまうほどの力が
「やっと、見せてくれたね」
「ん?」
「特別な笑顔。周りを明るくさせるような人懐っこい笑顔。」
私はいまだに自信がない。
自分のどこを見て自信を持てばいいのかなんて分からない。
けれど、それでも彼女といたいと思う。
たぶんそれは、彼女が一番、私のことを理解しようとしてくれているから。
それと、何よりも、彼女といる自分が一番好きだから。
これで、第一部終わりです。