第三十五話 氷の華
昔後輩が言っていた。
先輩は氷の華なんだ、って。
私は意味が分からず、一体どうしてそんなふうに思ったのか訊ねた。
その後輩の答えはこうだった。
一見すると優しそうな私だが、ひとたび怒ればその鋭さは鋭利で氷の如く冷たく、まるで氷の牙を首筋に立てられたような寒々しさを感じるらしい。
だから、氷の華。
華が花でないのは、どちらかと言うとかわいらしいイメージのある花より、優美で鋭さのある華のほうがあっていると思ったかららしい。
私はその後輩の鋭さに少し驚いた。
まさか、こうも自分の性格を看破されるとは思わなかったからだ。
私は怒ったとき、まず一番初めに来るものは狂気ではない。
いや、何も来ないといったほうが正しい。
ただ、鬱々と面倒臭げに処理をする。
その姿を見て、きっと氷のような冷たさだと感じたんだと思う。
ただ、なんとなく華と言うのは、遠慮したかった。
そんな綺麗なものに自分を例えられるわけがない。
それこそ、食虫植物ならまだしも、花なんて言い方はあわない。
それとも、ラフレシアとでも言うつもりなのだろうか。
さすがに同じ華でも、それだけは勘弁して欲しい。
別に私は毒など持っていないわけだから。
それはいいとして、私を近くで知るようになれば、第一印象と全然違う事が分かる。
すぐに猫をかぶっている事がばれてしまう。
それがいやだから、距離を置く。
誰でも、人に良く思われたいものだ。
そして、それは彼女とも同じだった。
今、思い返す中で、私は彼女を前にして、本当の自分を出した事なんて一度もなかった。
自分をひた隠しにして、極力いやな自分を出さないようにしていた。
もしかすると、あのメールは自分の心を表していたのかもしれない。
もう、自分を偽るのは疲れた、と。
私は臆病だから、だから自分を出さなかった。
彼女に嫌われたくなかったのだ。
彼女が好きになったのは、いつでも冷静沈着、顔色を崩さない男で、その仮面の下にある弱くて脆い臆病な男じゃない。
そんな素顔を持つ男なんかを好きになったんじゃない。
そう思うと、自分の素顔なんか見せられなかった。
私は彼女のことが好きだった。
大切だった。
そしてそれ以上に失いたくなかった。
だから、自分の素顔をひた隠しにしてきた。
けれど、それももう意味がない。
彼女のそばにはいられない。
傍にい続けるだけ不安を感じ続けることになるから。
私は、窓の外を見る。
いつの間にか、夜が明けるどころか日が高く上がっていた。
どうやら、寝起きで頭の中が少々こんがらがっていたみたいだ。
起き上がると、私はすぐに服を着替えしたに降りる。
今日は月曜日、家には誰もいない。
いや、もうそろそろしたら、母親が帰って来るか。
私が急に城崎へ行ったあの日以外、普段母親は昼までしかパートはない。
おかげで、昼は家にいられない。
何を言われるか分かったものじゃないからだ。
台所に行くと、籠の中に入っている菓子パンを手に取る。
まあ、一応昼ごはんぐらい食べておかないといけない。
やはり昼は家で食べる気なんて起きない。
私は、その手に取った菓子パンの袋を開けて、ごみだけを捨てると裸のそれをかじりつつ外へ出る。
行儀悪くあまり褒められる事ではないけれど、この際どうでもいい。
今更、もう模範少年でいようなんて思わない。
腹ごしらえをしつつ、私は街へと足を向ける。
あまり、と言うよりか、はっきり行って好きじゃない街だが、こういうときには正直助かる。
一二時間ぐらいなら潰せるはずだ。