第一話 夢崩れ
「夢……か」
凛とする空気の朝もやの中。
私はようやく今見たものが夢である事に気付き、覚醒した。
いや、それも間違いか。
あれは夢などではない、回想だ。
確かに、あのシーンはあった。
大体一年前に。
そう、一年前のあの日、彼女に告白され、私はそれを受け入れた。
そして、晴れてその日から私たちは恋人となった。
もちろん、それも今も続いている。
別れてなどいないのだから。
それどころか、別れようとは思えない。
彼女は私にとって必要不可欠な人だから。
彼女のあの笑顔が私に今を生きる力をくれる。
明日への活力となる。
あの時感じたことが馬鹿な事だと、思えるぐらい彼女の存在は穢れを知らなかった。
ただただ純粋に私の事を思っていてくれたのだろう。
それが分かる。
あれは、芝居などではないと言う事ぐらい今ならよく分かる。
彼女にはそんな真似ができない。
私が知っている中での彼女は。
けれど、その彼女の様子が最近おかしい。
どこか、よそよそしいのだ。
しかも、ここ最近は、まともに会うどころか、メールをする事すら難しくなっている。
自分が何か悪い事でもしたのだろうかとも思ったが、思い当たる節はひとつもない。
唯一挙げる事の出来る理由と言えば、私とは違い、彼女はもう私とは別れるつもりでいるのかもしれないと言うこと
ぐらいだ。
私としてはそんな事を考えたくもないが、そうと考えれば、つじつまが合う。
彼女は優しい。
その容姿に合わないようでいて、ある種マッチするぐらい優しい。
だから、私を傷つけないようにしているのかもしれない。
少しずつ距離を置いていく事で、私にゆっくりと別れを告げているのだろう。
そうすれば、ゆっくりと覚悟もでき、比較的心に傷を残さないで済む。
もともと所詮こんな時間は、夢物語、いや幻でしかなかったのだ。
彼女が、こんなみすぼらしい私を好きでい続けてくれるはずなんてないのだ。
我ながら、マイナス思考だと思うが、それでもなんとなくそれが一番当てはまりそうである。
いや、たぶん、それが正しいんだと思う。
私は起き上がると、すぐに着替えると、枕元に置いてある携帯を手に取る。
彼女と付き合い始めたときに買ったものだ。
それまで、そんなものは必要なかった。
誰とも深い関係を築こうとはしなかったのだ、そんなものが必要になるはずもなかった。
手に取った携帯を開くと、メニューを開き、メール項目へと移す。
最初のころは、非常に手間取って、一通送るのに二十分ほど掛かったが、今では一二分で遅れるほどに上達した。
まあ、二行程度までだが、それだけで十分だ。
『もう疲れた。別れよう』
たった十文字程度のメール。
けれど、これで全てが終わる。
彼女の苦しみも終わると思う。
もう、これ以上無駄な事はしなくて済むのだから。
もう、偽って自分の心を痛めなくてもすむのだから。
そこまで思って、自分のしたことの重大さに気がついた。
私は思わず携帯の電源を切ると、階下へと降りる。
両親は仕事――とはいっても、母はパート――妹も二人いるがそのどちらとも学校で家にいない。
もともと、休みなのは、私たち三年だけ。
今は、自宅学習期間中なのだ。
そして、私は既に推薦枠で大学の合格が決まっているので、基本的にもう勉強なんてものはしなくていい。
私はすらすらとメモ用紙に書置きを残す。
『しばらく家を留守にします。次の登校日までには帰ってくるので、心配しないでください』
そう私は逃げるのだ。
おそらくあのメールを見た彼女はきっとわけを問いただすだろう。
良くも悪くも彼女はそんな人なのだ。
そして、問いただされたら、その瞬間に私はもう、嘘などつけやしないだろう。
真実を話し、その結果彼女を悲しませる事になる。
彼女自身が悪いわけでもないのに、自分を責め立てる。
そんなひとなのだ。
だけど、私はそんなことはしたくない。
私は、まだ彼女のことを愛しているからだ。
私は出来るだけ手早く鍵を閉めると、脇に止めてあった自転車に乗り、こぎ始める。
逃げるならば、できるだけ遠くに逃げたい。
彼女だけではなく、誰の追っ手も届かないところへと。




