第十六話 二人の仲のきっかけⅡ
彼と一番最初に会ったのは、図書委員での仕事だった。
ずっと、押し黙ったままの無愛想顔で、いくら私が話しかけても簡潔な答えしか出さなかった。
それどころか、私の存在を鼻から無視しているかのようにさえ思えた。
だから、私も彼と話そう何て考えを捨てると、仕事に専念するようになった。
そんなふうに考えれば、本当に付き合いやすい人だったから。
けれど、そんな私の思い描く彼が間違いである事に気がついたのは、そう十月の半ばの事だった。
彼と私は放課後の当番だったのだが、ようやくその仕事も終わり、暗くなる前に帰ろうと思って、帰る支度をしていると、図書の先生に仕事が残っているから手伝ってくれないか、と頼まれた。
正直言って、やりたくなかった。
早く帰って家でゆっくりとくつろぎたかった。
けれど、私と同じく当番だった彼は、素直に了解していたので、さすがに嫌、とはいえなかった。
わがままにしか聞えないからだ。
結局、私と彼と先生三人がかりで仕事をする事になったんだけど、その量は半端じゃなかった。
一体、どうやったらここまでの量の仕事ができるのか不思議なくらいだった。
けれど、だからと言って、愚痴をこぼしていても、仕事が進むわけではない。
私は、ため息をつきたいのを必死に我慢すると、仕事に専念する。
そして、大体自分の作業の半分ぐらいが終わったところで、周りを見てみる。
どうやら、先生はどこかに出かけているらしく、部屋には私と彼しかない。
何と無く、気まずい思いをしながらも、不自然に決してならない様に彼の方を眺めた。
けれど、見なければ良かったのかもしれない。
彼の仕事のスピードは明らかに私より早かった。
彼は私が半分しかできなかった間に、自分の仕事は当の昔に終えており、今は先生の分までやっている。
おそらく、だからこそ、先生はいないのだろう。
安心して任せられる人がいるのだから。
思い出して見れば、いつもそうだった。
彼は私がやりやすいように仕事をし、その上で自分の仕事を手早くやってのけていた。
実際、彼が部活でどうしても、出られないときがあったのだけれども、そのときはっきりと思った。
やりにくい、と。
先生が私に気を聞かせて、ヘルプとしてもう一人付けてくれたのだけれども、すごくやりにくかった。
こういったら言い過ぎなのかもしれないけれども、全く息が合わなかった。
その後、先生にその事を言ったのだが、そのとき笑って
「当たり前よ。なんたって、彼は委員会で一番仕事ができるんだもの」
そう言っていた。
そのときは、さすがにそれは言いすぎだろうと思い、笑って受け流したのだが、どうやらそれは正しかったみたいだ。
ここまで明確な差が出ているのだ、疑いようはない。
私は思わずため息をつき、外を眺める。
夏ももう終わってしまい、日が暮れるのはどんどん早くなる一方だ。
こんな時間に女である私が一人歩きするのは危険なんかじゃないのかな、そう考えていると
「もう、遅くなってきたから、帰ったほうがいいんじゃない。後は俺と先生がやっておくから」
不意に誰かの声が脇から降ってきた。
いや、この部屋には二人しかいないので、彼なのだろうが何と無く信じられない。
あの、無愛想で、仮面をつけたような彼が話しかけてくるなんて。
「もうそろそろ日も暮れてくるだろうから、早めに帰ったほうがいいと思って。女の子の夜の一人歩きは危険だし」
けれど、彼はそんな事お構いなしの様子でさらに付け加えた。
けれど、今度こそ驚いた。
まさか、彼がこんな言葉を掛けてくるなんて誰が思うだろうか。
いつもいつも、冷たい態度しか示さなかった彼が、私のことをいたわるような言葉を。
私は思わず呆然とした。
けれど、すぐにそれが失礼な事だと気付くと、急いで、元の顔に戻すと
「ううん、平気。私も続けるよ」
答えを出す。
せっかくの申し出なのだが、やはりしっかりと仕事を頼まれてしまっている手前、途中で帰ることなんてしたくなかった。
「そっか、それならよろしく」
彼の方も、それが伝わったのか、別に無理強いをする様子はなく、ただそういって頷くと、自分の作業に移った。
それにしても、さっき見たときより、さらに仕事が減っていた。
恐るべし、図書委員のホープ。
内心でそんな馬鹿な事を言いつつ、私も自分の仕事に戻った。
ようやく全部の仕事が終わった時には、七時を大きく回っていた。
先生のほうはしきりに申し訳なさそうにお礼を言っていたけど、逆にそこまでされてしまうと、なんだか悪く思えてきてしまう。
隣にいる彼の方を見てみれば、普段聞きなれているのだろうか、全く気にしていない様子で、適当に受け流すとさっさと部屋から出て行ってしまう。
やはり、その姿は前と同じで無愛想かつ仮面をつけている人としか見えない。
はっきりいえば、さっきの事が自分の幻にしか思えない。
そんな事を悶々と考えながら、下駄箱にいき玄関のドアを開けてみたら、もうびっくりした。
しとしとと雨が降っていたのだ。
しかもどうやら、結構前から降っていたみたいで、ところどころ水溜りがある。
私は思わず呆然とした。
朝はあれほど晴れていたというのに、まさかここに来て雨が降り出すとは。
どうしようもない私は、ずっと呆然と外を見ていることしかできなかった。
一瞬、両親を呼べば、とも思いもしたが、残念な事に今日はお父さんは仕事で遅くなるし、お母さんも用事があるらしく、夜はいない。
つまり、誰も私のことを迎えになんてこれないと言う事なのだ。
私は、ため息をつくしかなかった。
どうやら、私に残されたのは、この雨の中は走って帰るしかないみたいだ。
一瞬、彼が夕方に一度気遣いをしてくれた時に帰っておけば、と思ったけど、すぐに消した。
いまさらそんな事を行っても仕方がない。
それに、やっぱり途中で投げ出すような事はしたくは無い。
私は思い切り気合を入れて、早速走り出そうとしたのだけど不意に声を掛けられた。
思わずぎょっとして、声がしたほうを見て、すぐに誰か分かった。
つい先ほどまで一緒に仕事をしていた彼だった。
彼と分かって安心したのか、どうなのかは分からないけど、私は彼の質問に対して、小さく頷いて答えた。
何と無く、それが恥ずかしく笑ってしまったけれども。
まあ、彼が傘を貸してくれると言うなら、その恥ずかしさも耐えられると思うけど、さすがに傘を二本も持っているわけないもないだろう。
「俺、二本あるから、それ貸してあげる。それじゃあね」
そう思って、どうなるのだろうと思って、彼の方を見ていると、いきなりぐいっと目の前に傘を差し出し、私の手にしっかり握らせると、そういってさっさと言ってしまった。
私といえば、思わず何がなんだか分からず握っている傘をぼんやりと眺める事しかできず、お礼なんて出来るはずもなかった。
その翌日は、気持ち良いぐらいの快晴だった。
その快晴も手伝って、私は早速昨日借りた傘を彼に返そうと思った。
思ったのだけれども、なかなか返せなかった。
彼の教室の前まではいけるのだが、どうしても中に入る勇気はなかった。
おまけに、数回ほど目が合ったというのに、彼は全く私のほうへとはよってこなかった。
後で聞いた話では、傘を返すために自分の教室にまでくるなんて思わなかった、と言っていたので、動かなかった理由は分かったのだけど、教室の前で、傘を持っているなんて恥ずかしくて仕方なかった。
本当に、自分は何をしているのだろうかと思ってしまって、最終的には、教室の前まで行かず、放課後まで待つ事にした。
まあ、そのおかげで彼とゆっくり話すこともできたから言いのだけど、その当時はたいして彼のことを思っていたわけではないので、少々漠然としないものを感じていたけれども。
それでも、今思うと、それはそれでよかったんじゃないかって思う。
あの時、彼と話せたおかげで私は彼と言う人間を誤解せずにすんだ。
彼と話してすぐに分かった。
無愛想なんじゃなくて、すごく人見知りが激しく、特に女子相手になるとまともに話せないため、いくら私が話しかけても、そっけない答えしか返せなかっただけの事とか、そのほかにもいろいろと知る事ができた。
おかげで、私は彼と仲良くなれることができた。