第十一話 突然のコールと携帯
夜明けが近いのだろう、少しずつ闇に光が差し始めた。
時計を見れば、もう六時を回っている。
考え事、いや思い出に浸っているうちに、いつの間にか長時間たったみたいである。
私はおもむろに立ち上がると、湯船から出る。
もう、そろそろ、出ておかないと脱水症状を起こしかねない。
実際、少々足元がおぼつかなくなってきている。
このまま長湯したら、それこそ命の危険にかかわる。
さっさとでて、水分補給をすべきである。
湯船から出ると、まず体を洗ったタオルを絞り、水気を取った上で体を拭く。
中学校の研修のときに、言われた事がどうやら体にしみこんだらしく、今でも自分の家以外で風呂に入るときはこうしている。
まあ、当然のエチケットと言えば、そうなのだろうが。
風呂から上がった後に、すぐそばにある自販機ですでに王道と化しているコーヒー牛乳を買って飲むと、自分の部屋に戻る。
長湯のし過ぎのためか体が火照っており、暖房などつけようという気にもならない。
私は、テレビの電源をつけると適当にチャンネルを変える。
けれど、やはりこの時間帯には大して面白いものがあるわけでもなく、どうしたものだろうかと、思案気にしていると不意に携帯がなり始めた。
びっくりした私は思わず条件反射のごとく、携帯を手に取り、でようとしていた。
しかし、画面に出てきた彼女の名前を目にした瞬間、携帯を放り投げた。
そもそも、私が馬鹿だった。
なぜ、電源を切るのを忘れてしまったのだ。
いくら寝起きで頭がぼんやりしていたからと言って、あまりにもの自分のふがいなさにため息が出てきてしまう。
私はなり続く電話が切れるのをじっと待った。
けれど、初めてつながったのをこれ幸いと思い、いつまでも鳴らし続ける。
仕方がないので私は電池を外して、電源を切ると、出来るだけ急いで、設定を変える。
彼女からの電話を拒否するためである。
そして、それが終えるとすぐ電源を切った。
次は、誰から掛かってくるか分からない。
それこそ、彼女から電話が掛かってきた以上、家から来る可能性もある。
まあ、家からの場合ならば、どうにか対応できる。
それ以上に、さすがに一応電話の一本ぐらい掛けておかなくてはいけない。
ただ、今少々あわてている状況で電話をすると、致命的なミスを犯してしまう可能性もある。
今いる場所を特定されるような羽目だけはしたくない。
そう言えば、携帯で思い出したが、今、私が持っている携帯は彼女が選んだものである。
もちろん、買いに行く際は私と親といったのだが、パンフレットを図書室で二人広げて、ああだ、こうだとよく言って決めたのである。
まあ、私は大して意見を言わなかったし、どんな奴がいいのか分からなかったので、ほとんど彼女に決めてもらったのだけれども。
場所は別だったが、同じ日に同じ機種の携帯を買い、次の日に見せ合いをした。
もちろん、場所は図書室だった。
「せーの」
二人でそういってお互いに自分の携帯を出す。
彼女が出した携帯の色は銀色。
そして私もまた銀色だった。
彼女は目を丸くして驚いていた。
ただ、私のほうは全く顔には出さなかったが私もまた驚いていた。
まだ、彼女との間に距離を置いておきたかったため、あまり素直な表情を見せられなかったのだが、このとき彼女と私の感性が少し似ているのではないかと思い、嬉しくもなった。
その後、先生にそれが見つかってしまったが、お互い日ごろの行いというか日頃の仕事振りに免じて許してもらえた。
ただし、次はないと念を押されたが。
そのため、私に関してはそれから以降、学校で携帯を開く事はなかった。
たまに、メールが入ってくることもあったが、その際は、休み時間にトイレに行って返事を送っていた。
やはり、長い間自分を演じていたため、優等生でいることがほぼ当たり前となってきていたのだろう。
誰にも自分の本当の姿を見られたくはなかったのだ。
そう例え、それが彼女だったとしても。
しばらくして、ようやく冷静さを取り戻すと、私は携帯を握り、自宅へと電話を掛ける。
まだ、朝も早いため母親は起きていないのだろう、なかなかでなかったが、5コール目にしてようやくでてきた。
「もしもし、私です」
朝も早いため、少々機嫌が悪いのだろう。
かなり気のたった声で電話に出られたので、出来るだけ私は静かな口調にした。
「あんた、今どこにいるの」
けれど、それが気に食わなかったのか。
それとも行方不明になっているくせに堂々と電話を掛けてきたことが気に食わないのか、さらに語調が強くなる。
「と言うか、これはどういうことなの。いきなり、無断外泊なんて。あんた、今の自分の立場……」
さらには、矢継ぎ早にああだ、こうだといってくる。
まあ、母親がここまでして言いたくなる気持ちも分からなくもないのだが、素直に耳を貸すつもりは毛頭なかった。
携帯を離して、話が切れるまで待つ。
まあ、すぐに終わるだろう。
案の定、怒りが強かったのだろう、すぐに息が切れて黙り込む。
もちろん、この機を逃すつもりはない。
「私は今、楽しく余暇を過ごしています。何か犯罪に手を貸しているわけでもなく、犯罪に巻き込まれているわけでもないので、心配は要りません。明日の朝までには帰ります。それでは。」
私は言いたい事だけ言うと、さっさと電話を切るとついでに電源も切る。
ただ単に無事な事を伝えるためだけの電話だったので、無駄話をする必要もないからである。
私は携帯を再度たたみの上に放り投げると、布団の上に寝転がる。
何となく自分が哀れに思えたからだ。
結局私はどんなしがらみからも逃れる事などできはしないのだ。
縛られ続けるしかできないのだ。
人形として。
そう、母親は私に人形でいて欲しいのである。
自分が自慢できる優秀な息子。
自分勝手な行動をせず、万事において親の望む行動しかしない息子。
そして、今の私はそうではない。
母親の望むとおりの存在ではない。
それが悔しいのだろう。そして、認めたくはないのだろう。
自分の息子がそんな事をするはずがないと。
本当にばかばかしいと思う。
私は人間だ。
人形などではないのだ、人形のようにおもちゃなどではないのである。
意思だってしっかりあるし、時には間違いを犯したくもなる。
全て、正しい事ばかりをしていても、決して正しい人間ではあり続ける事はできないのである。
そして、それに気付かせてくれたのが彼女。
いや、行動に移すきっかけを作ってくれたのが、彼女なのである。
本当の意味での人間臭さを私に教えてくれた。
どこか希薄な存在でしかなかった私にアクセントをくれた。
全てのきっかけは彼女だった。
けれど、私はもう彼女の傍にいられない。
彼女の傍で安穏とした生活を送る事はできない。
だから、私はまた変わらなくてはならない。
彼女が私を今の私に変えてくれたように。
今度は、もう一歩進んだ私にならなくてはならない。
初めは、ただの生きた木偶の坊だった。
そして、今は人間臭さを覚えたばかりの幼子。
だから、次はひとり立ちをしなくてはならない。
自分で自分を支えられるような、そんな人間にならなくてはならないのである。
そして、それをするには、ここで一人考えてみる事が必要なのである。