第十話 私と彼女と春手前の海
godaccel様、感想ありがとうございました。
お返事させていただきました。
数回ほどデートを重ねた後に、私と彼女で、海へ行った。
まだ春手前で肌寒い時期のことだった。
「うわ~、やっぱりこの時期だとまだ寒いね」
そう言うと、彼女は自分の体を抱き、私の方へと向き直った。
けれどその表情は、彼女の言葉振りとは少々異なり、本当に楽しそうである。
「でも、誰もいないから、独り占めだね」
あ、そういうことか。
思わず心の中でそう呟いていた。
何がそこまで嬉しいのか計りかねていたのだ。
けれど、彼女の感想は賛成できる。
いや、違うか、私がここを選んだのは、それが理由だからだ。
今まで、全部彼女に任せてきた私だが、そろそろ自分でも何かしないといけないと思い始めたのだ。
さすがに、進歩がないし、自分としても情けなさ過ぎる。
そう思ってのことだったのだ。
「ええっと、こっちにきてくれる?」
本当に楽しそうに、しげしげと目の前に広がる海を見る彼女を私としてはいつまでも眺めていたかったのだ。
けれど、いつまでもここにいては、体が冷えてしまう。
彼女もそれが十分に分かっているのだろう、私の意見を素直に聞き入れると、傍までゆっくりと歩いてくる。
「じゃあ、俺の後に……」
とっておきの場所があるので、彼女にぜひ連れて行こうと思い、ついてきて、と言おうとしたのだが、皆まで言わせてもらえなかった。
彼女が後ろから抱き付いてきたからである。
女性慣れしていない私は正直言って、あわてた。
もう、これでもかと言うぐらいの慌てぶりだった。
思わず、そのまま前に倒れてしまいそうなほどだったのだから、よほどの慌てぶりだと言うことが分かると思う。
彼女のほうも、あまりにも私が慌てるので、驚いたらしく、私と一緒にあたふたしている。
はたから見てみれば、何をしているのだろう、このバカップルは何てことが言われてもおかしくないほどである。
しばらくの間、馬鹿みたいにたたらを踏んでいたが、どうにかこうにかして立て直した。
そのときには、お互い息を切らして座り込んでいた。
私は、息を整えながら立ち上がると彼女に手を差し出す。
「さ、ついてきて」
そして、立ち上がらせると、すぐに手を放し、目的地へと向かった。
向かった先は岩場だった。
いろいろなところにでこぼこがあり、私はそれをうまく使って慎重に上る。
たいした高さではないし、下は砂地なので危ないわけではないが、それでも慎重に越したことはない。
ようやく、全部上りきったところで、下を見ると呆然と私を見ている彼女の姿があった。
「えっと、俺がしたように上ってみて」
もともと目的地はここなのである、そこでいられても困る。
それに、下よりここの方がずっと眺めが良い。
と思う。
さすがにどうしても無理そうだったら、諦めるが彼女の運動神経なら大丈夫だと思う。
別に絶壁なわけでもない。
一番初めに上ったのは小学生だったのだが、その時の私でも軽く上れたぐらいのものなんだから、彼女ならできるはずである。
「ほら」
そう言って彼女を促す。
上るときはまず間違いなく安全だと言う保証をつけてもいい。
それが伝わったのかは、定かではないが、どうやら彼女もようやく決心がついたらしく、一回頷くとよじ登り始める。
不慣れなため、何度か手の位置を変えてはいたが、しっかりと見極めて手を置いているので見ていて安心できる。
私なんかは行き当たりばったりのため、何度か落ちた事がある。
怪我とかは一度もしたことはなかったが。
「はい、お疲れ」
ようやく私のところまで来たので、手を差し出す。
彼女もそれを拒否する事はなく、素直に取ると私の傍まで来る。
「ほら、見てみて」
傍まで着た彼女の肩を掴むと、向きを変える。
その瞬間目の前には海だけが見える。
そう、砂浜も何もかもが消えて、海だけが見える。
海の先に見えるはずの島も、まるであたかも存在しないかのように、消えてしまっている。
彼女もその風景を見て黙り込んでいる。
ちょっとした感動を与えられればいいのだが。
そんな事を内心で思いながら、彼女を座らせる。
立っていてはここに来た意味がない。
もともとここはくぼんでいるため、座ってさえいれば、風をさえぎってくれる。
それこそ、海から吹いてこない限りは。
彼女はいまだに海を見ている。
その姿を見て、幼い自分を重ねてしまった。
はじめてみたここからの景色に心を奪われてしまった、幼い私の姿を。
それからどれくらい彼女が景色に見とれていたのかは分からない。
ただ、食い入るようにして見ていた。
その姿はまるで、何かに憑かれているようでもあった。
いや、もしかしたら憑かれていたのかもしれない海の精に。
「綺麗だね」
ようやく視線を私に戻した彼女の第一声はまさしく私が望んでいたものだった。
「でしょ?俺のお気に入りの場所。誰にも教えた事ない、とっておきの場所なんだ」
そう、誰にも教えた事などない。
ここは私だけの場所。
誰にも侵されたくない、あたかも聖域みたいな場所だった。
だから、初めてこの場所を教えて、出た感想が私の望んでいたものだったから、自然と声のトーンも高くなった。
それを聞いた彼女は嬉しそうだった。
理由は分からない。
でも、彼女を喜ばせる事ができたのだから、上出来だと思う。
もとより、私の願いはそれだけだったのだから。
彼女の喜びが私の幸せ。
どこかの三文小説のような言葉だけど、まさしくそれだった。
彼女が幸せだったらそれでいい。
そう思えたから、ここを教えたのだ。
とっておきの、私が知っている一番の絶景を。
「でも、来るのは大変なんだね。」
まあ、それは否定しないが。
「でも、そんなに難しくはなかったでしょう?」
それでも、そんなに難しくはなかったはずである。
そう思っていったのに、どうやら彼女にはそう思えなかったらしく、少々不満げな顔をしている。
「小学生のときから、俺は上ってたんだし」
そう言うと、彼女は何も反論はしなかった。
さっきも言ったように、子供の私でもたやすく上れたのだから、それほど難しいわけではないのである。
と言う事は、もしこれが難しいのならば、彼女は小学生の私より運動音痴と言う事になるのである。
まあ、彼女もそれだけはお断りのはずである。
依然として不満げな顔をしているが。
仕方がない。
心内でそう思うと
「でも、やっぱりこういうのは、一人で見るものじゃないね」
彼女に話しかける。
せっかくの絶景なのだ、楽しんでもらわなくては意味がない。
だから、ちょっと気恥ずかしい感もあるが、ここはぐっと耐えるしかない。
まあ、彼女のほうは俺が意図している事には全然気付いていないみたいだが。
「誰かと一緒に見るほうが、ずっといいよね。」
そういって彼女の手を握る。
自分からこんな事をするのは始めてである。
今までずっと迷っていたのだが、今この瞬間やらないといけない、心の中でそう思ったのだ。
「そうだね」
彼女のほうも、私が何を言いたいのか伝わったらしく、しっかりと握り返してくれた。
その手は暖かかった。
どうしようもないほど暖かかった。
たぶん、これが人の言う幸せの一つなんだと思う。
この暖かさは、人の心を和ませる。
寂しさを拭い去ってくれる。
私は、決して一人ではないんだ。
すぐ傍に心を暖めてくれる人がいるんだ。
そう思わせてくれるものがある。
彼女の手の暖かさは。
私はいっそう強く彼女の手を握り締める。
離したくはなかった。
何があっても、この手だけは離したくはなかった。
たぶん、彼女の手を放たしたとき、私は今の私ではいられなくなってしまう。
きっと何かが砕け散ってしまう。
それほどまで彼女の存在は、私にとっては大切で、必要なものなのだ。
なくてはならないものなのだ。
そして、できれば、彼女にとって私もそうであって欲しい。
私はそのとき、心の中でそう思った。