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妖しい紅  作者: 月猫百歩
籠の鳥
9/40

第八怪 溜息茶雀

 浅い眠りの中。しんとした時間帯。

 古い扉が鳴るようなきぃきぃという子鬼の鳴き声に混じって聞こえる話し声。


『紅い……さま……しそびれ……』

『儀式は……失敗……』

『逃がし…と……言う事か?』


 一体誰が話しているんだろう。何の話をしているんだろう。

 そう思いながらもまた眠りの渦に巻き込まれ、意識は沈んでいった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 意識が浮上して、目を開ける。見慣れない天井と、そこを横切るいくつもの白い線。

 一瞬どこだろうと思考をめぐらす。


 ……そうだ。

 鬼と約束して、それで、私はこの世界に残って……


 恐る恐る身体を起こす。どうやらいつの間にか失神して寝かされていたようで、着ていた着物も今は薄い生地の浴衣に変わっている。

 今まで自分が寝ていた小さめの敷布団には梅の模様。掛け布団には不気味なくらい白一色が広がっていた。

 視線を布団から部屋全体に向ける。目の前には自分を囲む白い格子。握って強く揺するがビクともしない。


 ふと遠くのほうで誰かの笑い声や悲鳴が聞こえた。

 心なしか低い唸り声や何かを引きずるような音、三味線等の和楽器を鳴らして、お経のような唄を歌う声まで耳に入ってくる。

 やだ、気味が悪い。

 両腕で震える身体を抱きかかえる。


 当たり前だけれど夢じゃないんだ。

 おばあちゃんが昔話してくれた、物の怪の世界に今いるんだ。


 失神する前の記憶が呼びおこされる。

 友達に神社に鬼に妖怪にお風呂にお酌……。

 色々なことが目まぐるしく起こりすぎて現実味が無い。かえってそれがより恐怖を煽る。


「怖い……」


 誰に言うわけでもなく呟いて唇を噛む。

 すると突然天井から駆け抜けるかのような足音が聞こえて、思わず裏返った変な悲鳴をあげると、心臓と一緒になって飛び上がった。

 乱暴に内側から叩く心臓。激しく上下する胸をおさえて息を潜める。

 天井の一部がゴトリと開いた。籠のすみに背中をおしつけて一心に天井を穴が開くほど見つめ続ける。

 なんだろう。何が起きるんだろう。

 瞬きもせず、目を向け続ける。やがて四角い闇の中から二つの小さな光が何度か瞬いたのを目にしてゴクリとつばを飲み込む。

 風呂敷を抱えた子鬼が一匹、宙返りをしながら狭い闇から降りてきた。きぃきぃと鳴きながら私を警戒するように一瞥し、風呂敷を畳の上に降ろす。

 警戒したいのはむしろ私のほうだよ。と、心の中でぼやくが、恐ろしい妖怪ではないことに幾らか緊張をといた。


「お目覚めになりましたかぁ」


 籠の近くの襖が開いたのを目の端でとらえ、さっと素早く目をやった先には、脱衣所にいた魚の人がそこに立っていた。相変わらずのそのそ歩いて籠の手前まで来くると、さっき天井から降りたばかりの子鬼から風呂敷を受け取り、濃い紫の風呂敷を丁寧に広げていく。中には真四角の桐箱が置かれていた。


 あの箱はなんだろう。


 興味がでてきて格子のそばによる私。

 まじまじと見つめる私の目の前で箱の蓋が開かれ、魚さんが箱の中に水掻きのついた手を入れて何かを引き上げた。箱の中から白い袴と褐色に黒斑点の着物が次々と出てくる。


 一体どんな仕組みなんだろう。興味津々にその様子を眺める。


「あのぉ……お名前はぁ?」


「え……」


 突然声をかけられ、思わず声を漏らす。

 箱から目の前の暗い青に視線を移すと、相変わらず淀んだ目が見つめ返してくる。少しばかり居心地悪く感じて身じろぐが、黙っているわけにもいかないので「紗枝です」と名乗る。

 その途端、魚も子鬼も目をカッと見開き、ぶるぶる震えだした。


「な、なんと……恐ろしい」


「恐ろしい?」


 子鬼がきょろきょろと辺りを落ち着かない様子で見渡しながら、私に何か文句を言ってくる。そうはいっても私の耳には「きぃきぃ」としか聞こえないので首を傾げるしかない。

 私の名前がなんで恐ろしいんだろう。

 きょとんとしている私に、魚さんが籠に近寄って手をバタつかせながら口を開け閉めして言った。


「そのような名前……おぉ、鬼様が?」


「え? いえ……違います」


 ワケが分からず、眉をひそめる。

 魚さんが突然格子を勢いよく掴んできた。あれだけビクともしなかった格子がしなる。驚いて思わず後ろへ飛びのく私に魚さんは声を押し殺していった。


「宜しいですか……ワタクシはぁ……その名を聞かなかったことにしますっ! 良いですか!?」


「え? ……えぇ、分かりました」


 目をぱちくりとさせながら、魚さんの剣幕におされて、ワケが分からないながらも何度か頷いた。

 その様子に魚さんはほっと安堵の息を漏らし、脱力したようにずるずる格子に寄りかかった。

 一体何だって言うのだろう?


「俺は聞いたがナァー」


 言うが早かったか子鬼が『ギィー』という金切り声を上げた。魚さんも私もそれぞれ短く悲鳴を上げて飛び上がった。

 一番むこうの襖には紅い影。手にはさっきまで籠の近くにいた緑の子鬼の頭を鷲掴みにしている。

 いつの間に……。

 驚いている私を妖しい紅が睨み、チラリと魚さんへと視線を滑らすと


「さぁて……なにが聞こえたカナァ。おい、そこの魚。言ってみろ」


 気がつくと、いつの間にか籠のそばで、土下座して震える魚さんが目に映った。震えが格子を伝わって、私の格子に触れている肌に波紋のように響いた。


 魚さん達は、ただ単に紅い鬼が怖くて震えているわけじゃない。私が何かいけないことを口にしてしまって、鬼の機嫌が悪くなったから二人とも怖がっているんだ。でも一体なんで?


「口がきけないわけじゃぁ、ないだろウ?」


「な、なにも聞いて……お、おぉりません」


 たたみかける鬼に震える魚の人。震えるたびに鱗が水面のようにキラキラと光る。魚さんの声には震えと怯えが混ざっていて、哀れな雰囲気をより漂わせていた。


 紅い鬼は歩を進め籠の手前までやってくる。緑の子鬼は観念したように手足をダラリと垂らして震えていた。見ていて痛々しい。

 キロッと妖しい紅が私を捉える。その瞬間背筋に悪寒が走った。


「なぁ、お前サン。お前はこいつ等に名乗ったのカ? 一体な~んて名乗ったんだ?教えてくれないカナァ」


 にぃっと口の端がつりあがる。そこから鋭い牙が覗く。


「あ、その……」


 声を詰まらせ、目を泳がせる。なんて言えば良い? 名乗ってないと嘘をつく?ダメだ。鬼は聞いていたみたいだから嘘はつけない。だから怒っているんだろうし。


 そういえば子鬼達は私の名前を聞いてひどく青ざめていたみたいだけれど、いけなかったのかな。でも他に名前なんて……。


「名を忘れたのカナ?」


 意地悪そうに笑う鬼。じんわりと額に汗が浮き出る。

 口は笑っているけれど目が笑っていないとは、まさに今の鬼の様子そのものだ。状況は良くない。早くなんとかしないと。


 焦ってもつれた紐のようになっている頭の中を必死で解くと、ふとある記憶がよぎる。

 そういえば昨日、鬼に名前を付けられていた気がするけれど、もしかしてその名前? なんて名前だっけ。

 確か、鈴なんとか。えっと……鈴音?そうだ、鈴音だ!


「あの、鈴音です」


 上ずった声だけれど、きちんと鬼の耳に入るように少しばかり大きな声で答える。これで違った名前だったらどしよう。それこそ逃げるしかない。

 あぁ、だけれども今は籠の中で逃げるに逃げられないし。


 一人で焦っている私をよそに鬼は面白くないと言わんばかりに鼻を鳴らして、今まで掴んでいた子鬼を放した。

 子鬼は何かを叫びながら壁を伝い、四角い闇の中へ飛び込んで天井裏へと一目散に消えていった。


「おい、魚。お前も下がれ」


「は、ははぁ~」


 時代劇で偉い人に頭を下げるお侍さんみたいな返事をする魚さん。鱗をキラキラと輝かせながらそそくさと直ぐ近くの襖から部屋を出て行った。鱗が光っていたのは汗が出ていたからなんだろうか。


 残ったのは私と籠越しに睨んでくる紅い鬼。鬼は腕組をして仁王立ちし、無表情でいる。

 ……この鬼は何でこんなに不機嫌なんだろう。まったく見当がつかない。

 つくとしたら名前なのだろうけれども、それすら怒る理由がよく分からない。


 気まずいのと怖いのが絵の具のように混ざってひたすら俯く。


「危なかったナァ鈴音」


「え?」


「もしお前サンがもう一度違った名を言うもんなら、舌を切り落として塩漬けにでもしようかと思ったんだがナァー」


「舌を!?」


 慌てて両手で口を押さえて、舌を口の奥へ引っ込める。

 舌を切り落とされたりしたら死んじゃう!

 鬼はニヤリ笑うとその場にいささか乱暴に座り、頬杖をする。たくましい胸元からみえる鎖骨が何故か妖艶に見えた。こんなに厳つい鬼なのに、そう見えるのは物の怪だからなんだろうか。


「良いか、鈴音。他の名前を二度と口にするなよ。人間の世界にいた時の話も一切無しダ」


 ドスの利いた低い声でぴしゃりと私に言い放つ。

 私は必死に頷く。ほかに出来ることも無いのでとにかく素直に頷いておく。


「よし。わかれば良い」


 胸を反らし満足げに笑う鬼。とりあえず機嫌はよくなったようだ。


「それじゃぁ、鈴音。お前さんはこれからは俺の言うことをよ~く聞いて、そうだな、しばらくは酌でもとっておけ。俺が呼んだらすぐに、ダ」


「は、はい」


 嫌だと言えるわけがない。

 取って喰われるより、塩漬けにされるよりずっとマシだ。


 鬼はこの後も延々とあれをしろこれをしろと言い続け、一向にその紅い口がとまる気配はない。


 怖さがある程度薄らいだ頃、鬼の話がいつになったら終わるのかと、そればかり考えてしまう。とにかく鬼の話が学校の校長先生並みに長いのだ。いや、それ以上かも。


 最初は真面目に返事をしていた私だったが、いい加減疲れてきた。集中力を切らさないよう奮闘する私とは裏腹に、鬼が自分の昔の武勇伝まで話し始めた。

 その様子に私は気づかれないよう、こっそり小さくため息をついたのだった。




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