表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
妖しい紅  作者: 月猫百歩
籠の鳥
8/40

第七怪 震える緋色


 突如顔に水が掛かった感覚を覚え、慌てて手足をジタバタさせる。

 どうやら温泉につかったまま寝入ってしまったようだ。むせびながら顔にかかったお湯を手で拭う。

 それにしても嫌な夢だったな。みんな無事に帰れたのに、なんだか不吉…。

 途中までは記憶どおりの夢だった。けれど彼女を追いかけて行くあたりからは違った内容だった。

 追いつかなかったのは不思議な力が働いたわけではなく、ただ運悪く信号が赤になってしまい彼女との距離が開いてしまったのだ。しかも最後のみっちゃんのあの顔……。

 生暖かい風が頬を撫でる。お湯に入っているにもかかわらず、背中に悪寒が走った。


 そろそろ出よう。なんだか気分が優れない。

 ここに残ると決めてから、おそらく一日も経っていないハズのに、もうすでに心が病み始めている。

 お湯から上がる前に髪と身体を洗おうと辺りを見回したが、石鹸の類は一つも見当たらない。シャワーすらない。

 気休めだけれど温泉のお湯をすくって頭からかぶり、髪をすすいだ。何もしないよりは良いよね。


 これからどうなるんだろう。

 意味もなくお湯をすくって指の間から零れさせる。言いようのない不安。ふぅとため息をつく。

 このままここにいても仕方がない。答えのでない漠然とした思いで立ち上がり、脱衣所へと足を向けた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 編みかごの中には制服の変わりに三枚の手ぬぐいが置かれていた。枚数に意味があるのかわからなかったが、湯冷めをする前にそれで身体を拭くことにする。

それにしても着替えはどうすればいいのかな。何か着る物は……。


「お待たせぇ致しましたぁー」


 のんびりした口調とは逆に勢いよく脱衣所の扉が開く。裏返った叫び声を上げて飛び上がるが、格好が格好なのですぐにうずくまる。

 なんでこの、さ、魚さん?はいつも突然声をかけるんだろう。ついでに扉の開け方が何故激しかったのかも疑問だ。


「こちらをどうぅぞ」


 相変わらずくぐもった声で、丁寧にたたまれた何かを突き出す。

 差し出された物を手に取り広げて見ると、薄い生地の浴衣だった。これだけ? とも思ったが、裸のままで居るわけにもいかないのでさっそく羽織る。真っ白でなんの模様も無い。


「あの、帯や下着は…」


 おずおずと聞くと、魚さんと私の間にいつの間にか脱衣所に入ってきた子鬼達が私の裾を引っ張り、付いて来る様に促してきた。

 私は魚さんにぺこりと頭を下げ、小鬼たちに囲まれながら脱衣所を後にした。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 鷲が描かれた屏風と龍が描かれた屏風の間に立つ。

 最初に着ていた浴衣は身体についたお湯を吸ってぐっしょりになり、子鬼に脱ぐよう言われてすでに手渡していた。

 子鬼はきぃきぃと言いながら、私に白いシャツのような短い和服を着せ、紅色の袴をはかせ、最後に山吹色の刺繍が見事な緋色の着物を羽織らせる。


 あ、この格好ってどこかで見たことある。

 自分の着ている着物を角度を変えたりして眺める。これは百人一首のカルタに描かれていた女性と同じ着物だ。

 平安時代だったかなと、当てにならない知識で思い当たるイメージを上げてみる。袖を広げたりして着物を観察していると、子鬼が座れと合図をしてきた。

 おとなしくその場に座ると子鬼が後ろに回り、櫛で背中まである髪をとき始めた。するりするりと何度かとくと、香料を髪に滲ませた。髪から微かに梅の香りがする。


 子鬼が手招きをして襖を開けた。手には行灯を持っている。

 これからまたあの紅い鬼のところへ行くんだろう。そう思うだけで気持ちが暗くなる。

 正直もう会いたくない。だけれども契約をしてしまったんだ。私が残らなければみんな鬼の腹の中。我慢しないと。

 子鬼たちが中々立ち上がらない私をつつき、早くするようせっつく。

 いい加減行かないと。ぐっと自分に言い聞かせ、深く息を吐いて立ち上がる。

 裾を踏まないよう足元に気をつけながら、私は襖の向こうへと足を進めた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「おぉ。よく似合ってるカナ」


 紅い手がヒラリと踊る。向こうの一つ上の段にいる紅い鬼は身体を横たえ、上機嫌そうに笑っていた。

 振った手にはまた酒瓶が握られていてタプンと中の酒が波打つ音が聞こえる。

 私はと言うと、紅い鬼の言葉に喜ぶはずも無く、口を真一文字に結び襖の前に突っ立ていた。


「何をしているのカナ? こっちに来ナ」


 鬼は酔っているのだろうか。ニヤニヤというよりもヘラヘラしているようだ。

 私はそんな鬼を見て硬直していた。疲れが出始めた身体と心は一時の休息を得て完全に降伏状態になった。

 どちらも、もう一度休ませてくれと悲鳴を上げている。足もガクガクしていた。お風呂に入る前まではお酌までしていたのに、今は足が疲れと恐怖ですくんでいる。ギュッと歯を食いしばっていないと歯まで鳴り出しそうだ。

 でも行かなくちゃ。鬼の機嫌を損ねる前に行かなくちゃ……!

 焦って心臓も強く脈を打ちはじめた。しかしどうしても身体が動かなかった。

 鬼はしばらく黙ってそれを見ていたが、大きく酒を一口飲むと、ゆっくりと身体を起こしあぐらをかいた。頬杖をしてちらりと深紅の瞳をこちらへ向ける。先ほどまで笑んでいた顔は今や無表情だ。


「どうした? 来いと言っているんだガ」


「……」


「聞こえないのカナ?」


「……」


 私は完全に俯いてしまった。もうこの場から逃げたい。休みたい。鬼のいない場所に行きたい。

 そんな考えばかりが次々と浮かぶ。みんなと一緒に座敷牢から逃げ出してから今に至るまで、一度もきちんとした食事も睡眠も安息もなかったのだ。

 もう嫌、もう限界! 私は心の中で叫んだ。


「鈴音ぇ……」


 鬼がつぶやくような小さい声で名前を口にする。しかしその声には威圧するものがあった。ドクッと心臓が強く鳴る。

 顔がゆっくりと上がり、視界に映る景色が顔の動きに合わせてゆっくりと変わる。

 鬼と目が合う。何度も見た妖しい紅の瞳。


「来いっ、鈴音ぇ!」


 低く轟く声が部屋の四方に響く。すると身体は痙攣したかのようにビクッと震え、足が勝手に動き出した。

 最初の一歩は引きずるように。しかし二歩目からはしっかり畳を離れ着地する。


「やっ、……嫌っ! 止まって!」


 慌てる私をよそに足はどんどん鬼へと歩いていく。顔だけは自由がきくようで、無意識に顔を左右に必死で振るがそんな私を無視して足は止まる気配を一向に見せない。

 鬼は無表情のまま視線を逸らさずにじっとこちらを見つめ続けている。

 だんだん近くなる紅い鬼の姿。額からは鋭い象牙色のツノが二本生え、その下にはあの妖しい瞳。

 こちらを一瞬たりとも逸らさない眼。

 怖い。もう嫌だ。家に帰りたい。ボロボロと涙が零れた。緋色の生地に涙が吸い込まれる。

 かすむ視界に映る紅い影。もうこれ以上近寄りたくない!


「やめ…て……やめてぇえ!」


 叫んだ瞬間、突然足の束縛が解けた。私は突然の事にバランスを失い、斜め後ろに倒れこんだ。畳みに激しく身体をぶつけ呻き声を上げる。

 鬼はほんの少しの間微動だにしなかったが、またむぅと唸り顎に手を当てる。そして視線を目の前の緋色へと戻し、腰を上げた。

私は恐る恐る目を開いた。映るのは未だにぼやける視界。映っているのは畳の緑色だけ。身体に力を入れ、立ち上がろうとするが


「……痛っ」


 腕をついた途端、痛みが走った。倒れた時、とっさに身体を庇った腕の手首が捻挫したようだ。

 痛みに顔をしかめたとき、自分に影が掛かかった。ハッとして顔を上げると目の前には紅い鬼が腕組をして立っていた。


「あ……あ…」


 後ずさろうとしたがすぐに手首の痛みにまた顔をしかめて抱え込む。

 鬼は無言でしゃがみ込むと、痛む手首を掴み上げ口を大きく開けた。悲鳴を上げる間もなく手首は鬼の口ですっぽり覆われた。

 その時に口から見えた牙を見て怖くなり、反射的に強く瞼を閉じる。

 鬼は牙を立てることもなく手首をもごもごと含むと、口から放しベロンと舐めた。


「どうだ? マダ痛いか?」


「え……」


 鬼から放された手首を曲げてみる。痛みは感じられない。先ほどまでの痛みが嘘のようだ。信じられない。

 しばらく驚いていたが、すぐに私は手首が治ったことと、鬼が治してくれたという事実に戸惑った。


「飼っている人の子の怪我くらい簡単カナ。今度から俺の言うことは最初から聞け」


 すっと立ち上がり、私の腰に腕を回すとひょいと肩に担ぎ上げた。

 視界がグルリと回る。


「今日はもうイイ。一眠りして、これからの事をもう一度よく考えろ」


 あきれた口調で私に諭すように言い、襖を足で器用に開ける。

 鬼が薄暗い廊下を歩き出すと先ほどの部屋から漏れる光が遠ざかっていく。それにつられて限界だった私の意識も次第に遠ざかっていく。

 意識の端で鬼が何かを喋っているのが聞こえる。でも何を言っているのか確かめる前に私は意識を手放してしまった。



 こうしてとても一日とは思えない長い時間に、私はようやく終わりを迎える事が出来たのだった。

 次に目を覚ました時、私に一体何が待ち受けるんだろう。

 せめて眠りについている間は、穏やかな気持ちでいたいと切に願った。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ