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妖しい紅  作者: 月猫百歩
常闇の庭
38/40

第十七怪 黒河に沈む

「時雨」


 いつの間にか、川岸にゆったりと見おぼえのある屋形船が横付けされていて、そこから優しげな声が聞こえる。


「愚痴の鬼様」


 綺麗な顔が破顔する。

 着物の裾が優雅に舞うとあたりの空気も舞い上がる。


「そろそろ行こうか?」


「はい」


 彼女の綺麗な声を合図に、屋形船から小さな影がいくつも這い出てきた。船から降りてきたのは黄色い子鬼たち。緑の子鬼よりもぷくぷくとして、赤ん坊のようにも見える。


 彼らは私の足下で横たわっているみっちゃんの体を見つめると、足早にぞろぞろと列をなして近寄ってきた。


「なにするの? みっちゃんに触らないで!」


 反射的に彼女の体に覆い被さり、子鬼たちから遠ざけようとした。これ以上なにかさせるものですか! キッと睨みつけて子鬼達を威嚇する。


「よせ」


 首根っこを紅い鬼に掴まれると、大蛇のように身体を腕で拘束され、体が強制的にみっちゃんから離される。


「離してよ! みっちゃんが!」


「無駄ダ」


 赤銅色の腕を剥がそうとするが、自分の胴から離れることはない。無理矢理身体を捻って向きを変えると鬼に怒鳴った。


「約束はどうなったの? 帰してくれるんじゃなかったの? ねぇ! 答えてよっ」


 鬼の着物の裾をつかんで、何度も激しく揺さぶった。


「別にあの娘を帰すとは言っていないカナ」


 肩をすくめて、涼しげに紅い鬼は言った。

 私はこの時ほど鬼が憎たらしいと思ったことはなかった。こんな状況でなお、笑みを絶やさない紅い鬼。


 なんでよ。納得できないよ! そう思って何度も鬼の胸を叩く。叩いて叩いて泣きわめいても、鬼は表情を変えない。

 憎たらしい、残酷な紅い鬼。


「この醜い身体も、名前も用済み」

 

 はっとして声が聞こえた方へと顔を向ける。

 しゃがんだ美しい鬼がみっちゃんの身体をなでる。残酷に見下す冷たい視線。優しさも温かさもない微笑み。


「運んでちょうだい」


 立ち上がりながら言い放つ。

 子鬼たちがみっちゃんを囲んで一斉に持ち上げ、そしてそのまま船へ運ぶ。


「やめてよ! 何するの!」


 子鬼の後を、青緑の背中が追っていく。

 凛とした後ろ姿は豪華で誇らしげ。なんの迷いも不安もない。


 でも私はどうしても納得できなかった。だってこれは本当の姿じゃないんだもの。

みっちゃんはもっと自信を持って良いのに、鬼になんかにそそのかされて、今自分を捨てようとしているんだもの!


「ねぇ、みっちゃん! だまされちゃダメだよ! こんな世界に残っちゃダメだよ! 私だって、私だって、みっちゃんが思っているほど良い人間なんかじゃないよ!」


 声を張り上げて、彼女に叫んだ。構わず腕の力を緩めない紅い鬼の体を押し退けながら青緑の後ろ姿に訴える。

 

「約束破ってここから逃げたいって思ったことあったよ! 自分に嘘ついて、汚いことも考えたこともあったよ!」


 彼女は振り返らない。立ち止まらない。まるで私の声が聞こえないかのように歩みを止めない。


「鬼にだまされちゃダメだよ! みっちゃんは鬼になんかならなくても、十分」


「紗枝ちゃん」


 私の声にかぶせるように、私の名前を呼ぶ。私が息を呑んでいると、弱い風が二人の間をゆるやかに通り過ぎた。

 立ち止まった美しい鬼。気持ち少し振り返って呟く。

 

「ごめんね……ありがとう」


 わずかに見えた頬になにかが光ったが、それもすぐに見えなくなる。

 また歩きだした背中に、私はもう弱々しい声しか出なかった。


「お願い行かないで……もどって……」


 みっちゃん。


 彼女の名前を呼ぶも、かすれて呟くほどの声も出なかった。私の声はもう彼女に届かない。どんなに叫んだって無駄なんだ。


 鬼に抱えられたまま、私は今度こそ完全に絶望した。うめき声を上げながら泣きじゃくり、小さな子供みたいに体を丸めた。

 

「おい。紅いの」


「あ?」


 船から聞こえた声に、鬼が間の抜けた声を出した。


「ずいぶんと、良い声で鳴くのを飼っているね」


「お前のせいで可愛がる時間がなかったさ。まったく名の通り腹黒い奴め」


「誉め言葉として受け取っておくよ」


 岸に紅い鬼と私しかいなくなった頃、鬼たちとみっちゃんを乗せた船がゆっくりと滑り出す。白い月の下で照らされながら、どこまでも真っ黒な河を進んでいく。


 船からは私の気持ちとは真逆の軽快な音楽と笑い声が響く。和楽器が奏でられ、それにあわせて手を叩く音が響き、げらげらと下品な笑い声が船から漏れる。


 音がぼやけてしか聞こえなくなり、船の影が小さくなりかけた頃、そこから小さな人影が投げ出される。どぼんと水が跳ねる音。さらに大きくなる笑い声。

 

 なんで笑うの? どうしてそんなに楽しげなの? 今投げ込まれた人影は、なに?


 放心状態でそれをただぼんやりと見ていた。自分の中身が空っぽになった様だった。何も感じないし何も思わない。何も無い。


「こんなの間違ってる……」


 鬼が私を離した後も、そのまま地面にうずくまって、泣くこともせずに呆然と自分の影を見つめていた。


 もうすべて終わってしまったのだ。

 完全に。すべて。

 終わってしまったのだ。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「はぁ~。行っちまったナァ」


 うずくまる私の横で、鬼が腰掛ける音が聞こえてくる。

 私はなにも言わなかった。もうなんの言葉も出てこなかった。頭も心も空っぽになっていた。


「憂いているのカナ?」


 紅い声が聞こえるも、私は応えなかった。正しくは応えられなかったのだが。もう涙も出てこない。


「良かったじゃないカ」


 場違いな鬼の明るい声。嫌なほどはっきり私の耳に入ってくる。


「あの娘の望みが叶ったんだろう? めでたしめでたし」


 なに言ってるの? めでたし?


 唇と手がわなわな震える。どちらもぎゅっとさせて、赤い鬼に視線を向けた。鬼は横目で私を見つめ返すと、見下したような眼差しに変えて紅を細めた。


「お前には理解できないみたいだがナァ~」


「……あれのどこが良いの?」


 自分の喉から低い声がでる。今自分はどんな顔をしているんだろう。

喉元がずしりと重く、熱い。手足が鉛のように重く感じる。


 こんなの……幸せなんかじゃない。絶対にちがう。


「鬼さん。私のさいころ、今持っていますか?」


 鬼は腕組みをして眉を寄せた。


「持っているが……どうするんだ?」


「勝負しましょう」


 私は鬼を睨みつけて、唸るように言った。鬼は無表情でこちらを伺うように見つめてくる。


「私が勝ったらみっちゃんを人間に戻して、元の世界に返してください」


「……よした方が、俺は良いと思うが」


「私が負けたら鬼さんの好きにして良いです」


「鈴音ぇ」


 鬼が呆れたように大きく息を吐きながら首を左右に振る。


「お前さん今なにも見えてないだろ」


「するんですか? しないんですか?」


 私はすごんだ。鬼は無表情のまましばらくなにも言わずにこちらを見ていたが、また呆れたようにため息を吐くと、懐からさいころを取り出した。


「文句いうなよ」


 私は黙ってさいころを鬼から受け取ると、辺りを見回す。そして近くにあった小さいが平らな岩を見つけると、さっさとそこに近寄った。


 鬼が私のあとに続いて岩の向こう側に立つのを確認し、さいころを両手に閉じこめて振る。念じて出る目を決める。出すのは一のゾロ目、丁だ。


 卑怯だと、普段の私ならそう思ったかもしれない。でも今はそんなことはどうでもいいのだ。


「お前はどちらにかける?」


「丁です」


「なら俺は半ダナ」


 何度も振るさいころ。両手の中で小さく踊る。

 これで良いはずがない。あんな寂しい結末は嫌だ。もう一度明るい陽の下に戻ってほしい。


 そんな思いを込めて両手を開いた。

 落ちるさいころ。岩の上に転がりくるくる回る。黒と紅の瞳がそれを追いかける。

 さいころが次第に勢いを弱めて、やがて止まる。


 出た目は……三と二。半。




「嘘……」


 息が詰まる。体中が強ばった。

 目を見開いて、息をするのも忘れる。


「お前は本当に分かっていないナァ」


 なんで? 

 どうして?


「妖が欲しいものを、そうそう手放すワケないだろう」


 魚さんは出る目が自在に操れると言っていた。でも、今の鬼の言葉に、信じたくないけれどある考えがよぎる。


 本当は『自分が念じた物とは逆のものが出る』サイコロだったのではないだろうか、と。


 魚さんは私を帰したくないと言っていた。だから帰る時にだけ使えと言っていたんじゃ。そうすれば、それを望んだ私は帰れないのだから。

 ……鬼はそれを知っていたというの?


「鈴音」


 呆然とする私に上から声が掛けられる。すると突然、胸ぐらを掴まれた。

 く、苦しい!


「愚問だが、お前さんの望みは本当にあの娘にとって幸せなものか?」


「なに、を」


「まぁ~ったく。愚かダナァ。子鬼なみの愚かさカナ。まさに驕りの極み」


 鬼はそのまま私を片手で軽々と掴んだまま川岸に歩いていく。紅い鬼の手を剥がそうともがくが、やはりびくともしない。


「今のお前を飼っても面白くなさそうだ。雛を飼うのもすぐ飽きそうだしナ」


 苦しさにあえぐ私を無視してどんどん歩むが、河の手前にまで来ると、さらに私を鼻先にまで掲げる。


「猶予をやろう。帰るついでにあの娘の結末をみてくればイイ」


 ぐっと顔を近づけると、妖しい紅が視界に広がる。霞む目の向こうには妖しい紅。恐ろしいほど妖しい紅の瞳。ニヤリとそれが笑むと


「それではゴキゲンヨウ」


 紅い手が、花びらのように開く。

ゆっくり、ゆっくり。


 それが完全に開いたところで私が黒い水に呑まれていく。

 瞳には鬼の紅、次に空の黒、最後に川の闇。手足をばたつかせて顔をだすと、鬼が腕組みしながらこちらを眺めている。


「忘れるなよ鈴音。お前は一時的に帰してやるだけカナ」


 鬼の紅の瞳が、刃物のような鋭い三日月になる。


「決して俺を忘れるなよ。決して、ナ」


 黒い闇に包まれるも、妖しい対の紅だけは残っていた。河の水面からは想像も付かない激流にもまれ、手足がバラバラにされる錯覚を起こす。


 グルリグルリと回る視界。身体が四方に引っ張られる。もがこうとするが身体に水が絡まり上手く動かせない。


 苦しい。口から鼻から水が入る。

 耳は水がうねる音しか聞こえない。上へ下へ体が回り、視界も回る。ごぼごぼと自分の口から気泡が出ると、ゴツンと背中に何かが激しくぶつかった。

 鈍い痛みに顔をゆがませ、私は気を失った。






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