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妖しい紅  作者: 月猫百歩
常闇の庭
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第十六怪 白月の下で

 手足がガクガクと震えて声も出ない。胸の前で両手を結び合わせ、肩をすくめて鬼女を凝視する。後ずさる私の背中が、後ろで立ち上がった鬼にぶつかる。


「……」


 鬼女はなにも話さず、こちらをじっと見つめている。その片手には微動だにしない制服姿のみっちゃんが。


「み、みっちゃん! みっちゃん!」


 泣き声混じりに私は叫んだ。

 どうして、どうしてこんなことに! もう逃げられるはずだったのに! せっかく帰れるのにどうして!


「落ち着け」


 頭に鬼の大きな手が乗せられる。泣き出しそうな私の頭をそのまま撫でつけながら、紅い鬼は鬼女に向き直った。


「さてさて。お前さんがこいつを襲ったんだナ?」


 気軽に鬼女へと声をかける。まるで世間話でもしているよう。

 鬼女は紅い声に対して、すこし間を空けてからゆっくり俯いた。


「ソレは」と鬼が顎でぐったりとしているみっちゃんを指す。「お前さんの望んだことなんだナ?」


 鬼女は顔をあげ、強く頷いた。

 望んだこと?


「どういうことなの?」


 私は一歩踏みだし、震えながら鬼女をみつめた。


「望んだって何が? みっちゃんを……みっちゃんを、一体どうしたっていうの?」


 怖くて震えているのか、それとも別の感情からか。どっちか分からないけど、今はそんなことはどうでも良い。


「みっちゃんを返して! その子に何をしたの!」


 鬼女に叫んだ。すーっと生ぬるい風があたりを撫でつける。


 私の髪が、鬼女のぼさぼさの髪が、みっちゃんの汚れた制服のスカートが。それぞれさわさわと揺れる。


 お互い見詰め合ってから、おもむろに鬼女が身じろぐと、突然乱暴にみっちゃんを私めがけて投げつけた。


「みっちゃん!」


 弧を描きながらみっちゃんが人形のように宙を舞う。


 このままじゃ落ちちゃう! 受け止める自信はなかったけれど、とっさに腕をつきだして構えた。


「お前じゃ無理だ」


 言うが早いか、素早く紅い鬼が前にでると、片手でみっちゃんを宙で受け止めた。そして私の足下にその小さな身体をそっと横たえた。


「みっちゃん! みっちゃんしっかりして! ねぇ、起きて!」


 青白い顔をしている彼女の横顔を何度も叩く。その頬はひんやりと冷たく、肌の弾力もこころなしか張りがない。


 私と同じ制服はどこもかしこもボロボロで、ブラウスに皺が出来ていたり、スカートの裾はギザギザに切られていた。


 嘘でしょ。嘘でしょ?

 そんな、そんな。こんな事って……。


「みっちゃん返事して……」


 両手で彼女のやつれた顔を挟んだ。その顔に私の目から零れた涙が落とされる。それでも彼女の目は閉じたまま。眉もピクリとも動かない。

 

「ごめんね」


 私は彼女の首筋に顔を埋める。

 もっと早く気づいていれば良かった。助けてあげたかった。こんな暗くて寂しいところで死なせたくなかった。


「ごめんね……」


 もう一度彼女に謝った。

 自分の髪が風で舞い上がる。他に音は聞こえない。

 小さな彼女の身体を抱きしめて、私はすすり泣いた。

 


「……紗枝ちゃん」


 か細い小さな声。はっとし、おそるおそる顔を上げて、みっちゃんの顔を眺める。


「みっちゃん?」


 眺めるけれど変わらず目を閉じ続ける小さな顔。頬を撫でてみる。相変わらず温かさは感じられない。

 でも、今確かに……。


「紗枝ちゃん」


 また聞こえた声。でも目の前の小さな口は動かない。

 ふいに視線を感じて、体を起こし顔を上げる。変わらない青緑の着物。それを覆うようにボサボサではない、きめ細い綺麗な長い髪が風になびいている。

 私は鬼女の顔を眺めた。


「……誰?」


 さっきまでいたあの般若顔はなくなり、代わりに白魚のような肌と艶やかな桜色の唇、そして大きくぱっちりとした目をもった、美しい鬼がそこに佇んでいた。

 鬼女は訝しげな顔をしている私に柔らかく微笑んだ。


「紗枝ちゃん。私、光子だよ」


「え……?」


 透き通るような、大人の女性の声。みっちゃんのような可愛らしい声じゃない。


「みっちゃん、なの? 本当に?」


 綺麗な鬼は嬉しそうに頷いた。


「な、何を言っているの? 嘘をつかないでよ! みっちゃんをこんなにして、なに訳の分からないことを言っているの? ふざけないで!」


「紗枝ちゃん……本当に私なの」


 意味が分からないと何度も頭をふる。みっちゃんだと言う鬼は困ったように小首を傾げて、悲しげに微笑んだ。


「私ね、あの時紗枝ちゃんがそこの紅い鬼に連れ去られた時、閉まりかけた扉をすり抜けて、またここに戻ったの」


 いきなり鬼女は話し出した。あの時、みんなで扉をくぐり抜けた大きな扉。なぜこの鬼が知っているの?

 不信感いっぱいの私に、構わず彼女は言葉を続けた。


「でも暗闇ばかりで、何も見えなくて途方に暮れていたの。だけど――」


 一度俯き、恍惚したように静かに目を閉じると、空を仰いだ。


「そこにあの愚痴の鬼様がいらっしゃたの」


 愚痴の鬼。あの夜叉みたいな白髪の鬼。

 あの時みっちゃんを連れて行った、恐ろしい白い鬼が頭を過ぎる。


「鬼様は紗枝ちゃんを連れ戻してくれるのを、手伝ってくれるって言ったわ。それだけじゃなく、私の持っている力で紗枝ちゃんを守ったり、助けたりできる術も教えてくれると言ってくれたの」


「持っている力?」


「小学校のとき、そんなに紗枝ちゃんとお話できなかったから知らないかもしれないけれど。私、霊感が強くて。……お母さんは気味悪がっていたから、そんなに人に話したり出来なかったけどね」


 みっちゃんの霊感の強さは小学校の時に流行った怪談話で一時期有名だった。信じる人、信じない人それぞれいたけれど、隣のクラスにまで話題になったほどだった。


「私、紗枝ちゃんになんとか助けたくて、灯火を送ったり、他の呪いを遠ざけるおまじないをしたり、色々教わっては実践していたの」


 あの黄色い人魂のことを言っているの? それに紅い鬼に呪いをかけられた時に、何度も得体の知れない何かに助けられていた。

 本当にこの鬼女は……。ううん、信じちゃダメだ!


「ねぇ待って。もし、あなたがみっちゃんだとしたら、どうして私を襲ったの? みっちゃんはそんな乱暴な子じゃない!」


 私は許しかけた気をもう一度張り直し、きつい視線で鬼女に睨み返した。


「ごめんね紗枝ちゃん。私はそんなにいい子じゃないよ」


 寂しげに、鬼女は微笑んだ。


「え?」


「私、この世界にきて気づいたの。紗枝ちゃんが妬ましいって」


「妬……ましい?」


 私の言葉に、彼女は小さく頷いた。


「この世界にいるとすごく怖いし、嫌な思念みたいなものがうようよしているの。でもその気持ち私分かる……」


 一度俯き、押し殺すような声で呟いた。


「私、紗枝ちゃんが羨ましかった。優しくて可愛くて明るくて……家族も仲が良くて、友達もたくさんいて……」


 口に含んだようにボソボソと話す。

 深く俯いているせいか、長い髪で表情が隠れて、艶やかな口元しか見えない。


「一緒にいて楽しかった。だけれど、否定してたけれど、ここに来てからハッキリと気づいたの。私、私、紗枝ちゃんが嫉ましくて、妬ましくて、仕方ないの! あんなに……あんなに助けてくれたのに」


 ぎゅっと感情を抑えるように、綺麗な口が一度強く結ばれる。そして意を決したように、再度口を開いた。


「私、たくさん気がついたの。お母さんも学校の男の子達も、みんな憎いって自分が思ってる事!」


「みっちゃん……」


「でもそんな恐ろしい考えは、だめだって何度も何度も否定した。私を育ててくれるお母さんに、そんな事を思うなんていけない。男子だって私が鈍いから、イライラしちゃってるんだって。それに紗枝ちゃんはいつも私のこと守ってくれてるのに、妬ましいだなんて」


 最低だよね。と彼女が呟く。


「でも愚痴の鬼様は、そんな私を悪くないよって言ってくれたの。ありのままで良いって。怨んで良いって。妬ましく思って良いって」


 救われたと、嬉しげな彼女の表情が言っている。

 でもまた、強い口調に変わり、興奮気味に吐き捨てた。


「だけど、私はあの人達みたいに……人の皮をかぶった鬼になんかなりたくない! だから黒鬼様にお願いしたの」


「やめて……みっちゃん」


「私を本物の鬼にしてくださいって」


 顔をあげた彼女の顔はあの般若の顔だった。悲しい、寂しい顔をした、鬼の顔だった。

 私は悲しくて仕方がなくて、自分の中で音も無く何かが崩れていくのが分かった。


「みっちゃん……」


 私は目を閉じた。彼女をみていると痛い。つらい。

 ひどく胸が痛い。


「でもごめんね紗枝ちゃん。私鬼になるって決めた時、ある魚の人に紗枝ちゃんに会わせて欲しいってお願いしたの」


 魚さんのことを言ってるの? 両手で顔を覆いつつも、彼女の言葉に声にしないで聞き返す。


「最初は紗枝ちゃんに逃げて欲しくて、助けに行ったつもりだったんだけれど、その魚の人と話しているうちに、どんどん、どんどん嫉妬の感情が溢れだしてしまって。気づいたら」


「そんなこと、もういいよ!」


 私は顔を上げ、彼女の口を遮って叫んだ。

 もうそれ以上言って欲しくない。もう聞きたくない。

 それ以上悲しい顔をしないで……。


「ありがとう。紗枝ちゃんはやっぱり優しいね。でもごめんね。その優しさすら、妬ましいの」


「そんなの……」


 私は全然気にしないのに。

 どうしてそんなに自分を責めたりするの? どうして謝るの?


「ねえ見て紗枝ちゃん」


 両手を広げる。青緑の爽やかな清々しいほどの嵐の色が月明かりに照らされる。伸ばした腕に垂れるのは長い綺麗な髪。


「髪も、顔も、声も。とても綺麗でしょう?」


 綺麗な口元が、透明な声を奏でている。

 あの般若顔はすでにない。


「みっちゃん……」


「これが新しい私なんだよ」


 彼女の声はどこまでも嬉しそうで、顔はどこまでも幸せそうだった。

 たぶんそれと同じくらい、私は悲しかった。

 もう取り返しが付かないんだと。もう、どうにもならないんだと。

 彼女は決めてしまったんだ。

 人間をやめることを。

 鬼になることを。


 その場で泣き崩れる。

 私の友達は元の世界に帰ることなく、鬼になってしまったんだ。


 開放された、自分の意思で。

 



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