第十四怪 濡れたねずみ色
……うーん。
なんだろう、すごく頭が重い。それにだるい。
うめき声をあげながらうっすらと私は目を開いた。
未だぼやける視界に白い棒が何本も映り、やや間があってから籠の中だと気がついた。いつの間にか眠ってしまったみたいで、薄い肌着姿の私は布団に丁寧に寝かされていた。
「私いつ布団に入ったんだっけ」
いったいどれくらい眠っていたんだろう。
風邪で長く横になって、起きあがった時のように体全体がだるい。
ゆっくりと布団から這い出て立ち上がり、格子に近づくと両手で格子を握り籠の外を見回した。
「ここはどこ?」
無駄に広いのは同じなんだけど、金の屏風に派手な襖、紅い柱、細かい鮮やかな絵が描かれている天井。私が今までいた籠の部屋ではないみたいだけど。
ふと籠のすぐ横にある分厚い畳にまで流れる紫の帳が目に入った。
あれはなんだろう。
籠の中を歩いてそこに近づく。籠から手を伸ばせばなんとか帳を掴めそうな距離だ。
誰か寝ているの?
耳を澄ますと微かに寝息のようなものが聞こえる。
「鬼さん?」
声をかけてみるが返事がない。
寝ているのかな? だったらわざわざ起こす必要もないよね。振り返り布団の上に戻って腰を下ろした。
鬼も寝るんだ。ちょっと意外。
特にすることもなく、かと言って今起きたばかりなのに寝るのは気が引けた。それに頭がなんだか重くてだるい。こういう時って横になっても寝れそうにないんだよね。
ふぅっとため息をついて膝を抱えた。何気なしに横を見やる。見た先には鏡台があり、漆塗りのそれは丸い鏡ごと朱色の布で覆われていた。
私は腕を伸ばしてそれをとると鏡をのぞき込んだ。
「あ、れ?」
食い入るように鏡に顔を近づけて嫌と言うほど鏡に映る自分の瞳をのぞき込んだ。
「目が紅くない」
次の瞬間はっとして肌着の裾を掴み、肩を眺める。
そこにあったはずの灰色がかった肌はどこを探しても見えなくなっていた。
「どうして? これって治ったの? でも、どうして」
言いかけて何かが記憶を舞い戻らせる。が、ハッキリしない。一瞬何かを聞いた気がしたけれど思い出せない。
紅い鬼さんならなにか知っているのかな。
ちらっと暖簾の方へ視線を向ける。相変わらず規則正しい寝息が聞こえてくるだけで特に変化はないみたい。いつ起きるのかな。
「それにしても……」
立ち上がりながら格子のそばへ寄り、部屋を見渡す。豪華絢爛って言葉と悪趣味っていう言葉が見事にマッチしている部屋だ。飾ってある屏風や燭台は見事だし、畳も綺麗な緑色でへりは黒っぽい緑に銀色の刺繍が施されていて細かい。
しかし壁や天井に描かれている絵の派手さや色使いが、それらの良さをダメにしている気がしてならない。
「無駄に派手な部屋ね」
「そうカ?」
「えっ」
思わず出た言葉に応えた紅い声。紫の帳に目をやると、そこから細くも逞しい腕が見えてゆっくりと赤褐色の頭を見せた。
「まぁそう言ってくれるナ。赤鬼の時から使っている部屋だ。悪趣味なのは仕方がないカナ」
がしがしと鋭い角の根本を掻きながら言った。
「変えたりとかしないんですか?」
「面倒カナ」
ゆったりとした足取りで籠の前まで歩く鬼。暗い赤紫の浴衣は胸のところがはだけていて、厚い胸板が直に見える。なんだか作りものの体みたい。
「ナンダ、俺の体が気になるカ?」
視線を感じたのか、鬼がにやにやしながら言ってくる。
「いえ、全然」
じろじろ見たのに気を悪くしたのかも。あわててすぐに視線を逸らす。鬼はそんな私に対して不機嫌そうにふんと鼻を鳴らして籠の鍵を開けた。
「出ろ鈴音。散歩に連れていってやろう」
「今からですか?」
「嫌カ?」
「嫌ではないですけど」
正直外に出るのは懲りていた。もうじっとしてみっちゃんに会える時がくるまで待っていたい。
「安心しろ鈴音。今度は俺もいる。それに――」
籠の中をきょろりと眺め、顎で鏡台の横を指した。
「そこの箱に入っている物を着ろ。ソレなら動きやすいだろう」
「箱?」
鬼が指した先を見ると、鏡台の陰に隠れるように長方形のベッコウの箱が置かれていた。
「さぁ~て、俺も着替えるとするか」
「あの」
部屋を出ようとした鬼を呼び止めようと声をかける。
「うん?」
「なんで私、ここにいるんですか?」
「ここなら寝ている間でも様子が分かる。いちいち様子を見に部屋を移動するのも面倒だしナ」
「なるほど……。あ、それとですね、実は肌が」
「あぁ~後ダ、後。さっさと着替えナ」
くあっと大あくびをしながら部屋から鬼は出ていった。
聞きそびれてしまった。後でって言ってたから後で聞くしかないか。とりあえず着替えないと。気を取り直して布団を畳み、べっこうの箱を籠の中央に持ってくると蓋を開けた。
「え……」
しばらく信じられなかった。もう捨てられたと思っていたのに。諦めていたのに。また目にすることはないと思っていたのに。
箱の中には丁寧に、懐かしい学校の制服が入っていた。
白いブラウスもグレーのスカートとブレザーも。ここに来た時に着ていたものが、きちんと綺麗な状態で入っていたのだ。
「どうして」
戸惑いながら手に取る。校章のボタンとピンもきちんとついている。靴下も茶色のリボンタイも。一つ一つ手にして眺めていると自然と涙が溢れてきた。皺になったらいけないと思いながらも、制服に顔を埋めて握りしめた。
「お母さん、お父さん……みんな……」
学校や家族の思い出が次から次へと涙に負けないぐらいの勢いで溢れ出てくる。嫌なことも良いことも、今では陽の光のように温かく明るく感じる。
でも今更、泣いたらいけない。
これで良いんだから。これでやっと済むんだから。
必死に自分にそう言い聞かせた。これで完全に終わると私は改めて感じていた。
でも胸が苦しい。これで人としての人生は終わりだと突きつけられたみたい。
鬼はこれを狙って制服を差し出したの? 最後の最後にこんなことするなんて。
私は鬼の思惑通り、心に揺さぶりをかけられて自分が未だに元の世界に未練がある事が、悔しくて情けなくて仕方なかった。
涙でグレーの制服が曇り空のようにしっとりと濡れ、暗く染まった。私はそれを見下ろして、そこを意味もなく指でなぞった。そして大きく息を吐いて天井を見上げた。
私は帰れない。
でもみっちゃんを助けられる。
中学に入って新しくできた親友の彼女。それからずっと本当の妹みたいに仲良く学校生活を過ごしてきた。みっちゃんも私のことをお姉ちゃんみたいだって言ってくれてすごく嬉しかった。
たとえ後悔しても途方に暮れても、私は絶対に前を向こう。
決して鬼になんかならない。
みっちゃんに会ったなら笑って送り出そう。
ありがとうって言ってお別れしよう。
私は涙を拭って、制服を広げた。
今回まで目を通して頂いてありがとうございます。
そろそろ終わりに近づいてきておりますが、ここまでこれたのも皆様のおかげです。
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もう少し続きますが、もし宜しければ最後までお付き合いくださいませ。