第十三怪 呂色
食べ終えた食事を子鬼が下げ部屋からそそくさと出ていく。紅い鬼から、みっちゃんの事を今から聞けるかと思うと緊張する。無意味と分かっていながら、落ち着きなく両手をもじもじとさせてしまう。
「コッチに来い」
上体を起こしあぐらをかいた隣の畳を、何度か紅い手が叩いた。
……もしかしてまた抱きつく気? それはもう心から勘弁してほしい。無意識にそこに向けられた顔が渋いものへと変わる。
「どうした? 話を聞きたくないのカナ?」
もちろん聞きたいんだけれども。だけれども……。
不安に唇を真一文字にして目を左右に動かす。でも迷っている場合じゃない。食べられるわけじゃないんだし、真相を聞くこれ以上ないチャンスだもん。よしっ。
自分に活を入れると同時にお腹に力を入れて立ち上がる。そして紅い鬼の手前まで行き、そこから鬼の横に静かに座った。
「さぁて、何から話そうカ」
鬼が片膝をついてそこに腕をおくと、部屋の向こうに視線を投げる。私はすかさず鬼に顔を向けた。
「友達は、みっちゃんは今どうしているんですか?」
「あぁ。あの娘は愚痴の奴のところにいるサ。あいつがわざわざ人間を飼いたがるとは思わなかったがナァ~」
「私が鬼さんに連れ戻されたとき、みっちゃんは扉の向こうにいたのに、なんで今ここにいるんでしょうか?」
片眉を吊り上げ、鬼はうーんと唸った。
「憶測だガァ、扉が完全に閉まる前に愚痴の奴が引っこ抜いたんだろ。もしくは娘が閉まりかけた扉を開けたカ」
「そんな……」
せっかく一度は確かに帰れたのに。なんでこんなことに。
私は一度うつむいた後、身を乗り出して鬼に訪ねた。
「でも、でも帰れるんですよね? 大丈夫ですよね?」
藁にもすがる思いで鬼に聞く。
「もちろん大丈夫カナ。しかも常闇と同じぐらい心の広い俺は、帰す前にお前等を会わせてやる。感謝しろヨ?」
「そうですか……」
鬼のきっぱりとした口調に私は大人しく素直に頷いた。だって疑ったらキリがないし、鬼さんだって契約が完全に結ばれるんだから、嘘をつく必要だってないだろう。
ほっとして肩の力が抜ける。
「他に聞きたいことはあるカナ?」
「えっと」
他に何聞こうかな。白い愚痴の鬼のことをもっと詳しく聞いておいた方がいいのかも。それに紅い目と肌の灰色の事も聞きたい。今後どうなるのか見当も付かないのだから。
……でも。だけど。
最優先にすべきではないんだけれど。
隣の鬼を見上げるように盗み見て様子を伺う。さっきまで飲んでいたお酒のせいか、まどろんだ顔をしている。
どうしようかな。
しばらく悩んだあげく、色々聞きたいことがある中で、常にひっかかていた事を私は尋ねた。
「鬼さん。みんなは何が、私には分からないと言っていたんですか?」
鬼に聞いても分かるのかどうか分からない。けれど他に手掛かりになる事もないし、なにか知るヒントにでもなればと思って私は口を開いた。
「そうだナ。前にこの常闇がどこまで広いカ、という話をしただろう?」
「はい。人の闇がどうとかって」
「その闇をお前には理解できないと、皆言ったんだろうよ」
「みんなは分かるんですか?」
「ここにいる奴は大抵分かる。分からない奴はここにいないだろうしナァ~」
「……」
人の闇。確かに私にはそれだけではよく分からない。けど、とりあえず人が持つ悪い感情ってことだよね。うーん。でもやっぱりどうもピンとこない。
もちろん私だって落ち込んだり悩んだりすることはある。人を羨ましく思ったり、嫌だなって思ったこともある。
けれど誰だって持っている感情だから特別だとは思えない。だから私には分からないってことは、無いはずなのに。
「でもまぁ、分からないお前だからこそ、手元に置きたいんだがナァ~」
「わっ」
眉間にしわを寄せて悩んでいたが、いきなり肩を強く抱かれて飛び上がる。
口の端を吊り上げて笑う鬼の口は、まるで獰猛な獣のように鋭く、紅の瞳もいつもよりまた一段と妖しく爛々と煌めいていた。
な、なに? あっもしかして……。
血の気が引くのを感じながら私は身の危険を直感し、慌てふためいた。
「ま、待って下さい。私は食べても美味しくないです」
「食ってみなけりゃ分からんサ」
え! 食べる気なの?
ほほ本気で今から食べようとしているの?!
「ダメですよ! 契約はまだ結んでいないんですから! 断じて食べちゃダメです!」
「お前はさっきこの場で結んでも良い、と言っていたじゃあないカ」
「それはちゃんとみっちゃんが帰れるという約束を守ってくれるということが前提で……その……」
「うん?」
「ですから……」
「ナンダ?」
鬼が面白そうに笑みを浮かべながら、ギラギラした目で鼻先まで顔を近づけてくる。その下から鋭利な八重歯が見えて硬直してしまう。
ちらりと自分の肌を簡単に引き裂く光景が頭の隅によぎる。あぁ、なんでわざわざ嫌なことを想像しちゃったんだろう! ついに我慢できなくなった私は、目と口をぎゅ~っと強く閉じた。
……。
…………ん?
いくら待っても何も起きない。
クッと喉がなる音が聞こえ、恐る恐る目を開ける。私の両目が全開になったところで鬼が堰を切ったように突然笑った。そしてその声は次第に大きくなり、私を拘束していた腕をゆっくり解いた。
「安心しろ鈴音。可愛いお前を食べるわけないカナ」
肩から離れた腕が今度は私の頭の後ろを掴み、そのまま下へ下へと押してきた。
「なんですか、何するんですかっ」
嫌がる私を無視して鬼は強引に押さえ続ける。そのまま自らの膝の上に私の頭を乗せた。ちょうど小さい頃に、お母さんに耳掃除をしてもらった時と同じ格好に私はなった。
「い~ぃ子にしてろよ鈴音」
頭を預けたまま硬直している私を、頭から肩に掛けて紅い大きな手が撫でる。首筋に長く無骨な指が這う度にぞくぞくしてしまう。気持ち悪いっ。
「お前は俺のモノだ。誰にもやらん」
呪いをかけるように耳元に囁かれる。
「ずっとずっと離さなイ」
甘く優しく、しかしどこか鋭い刃のように心に突き刺すような鬼の言葉。
私はどうしてだろう。それを聞いているうちに目を閉じて子守歌でも聴いているかのように、鬼の紅い言葉に聞き入った。
「どこにいようと逃がしはシナイ」
熱い指が、首から襟に入り肩を露わにする。
「お前は俺のモノだ、鈴音」
灰がかったそこを鬼が丁寧に舐めあげていく。ゆっくり、吸い上げるように。灰梅に沿って。
熱が……引いていく……。
ぼんやりとそんなことを思いながら目を閉じ続ける。なぜだか開ける気にもならなかった。
「鈴音」
名を呼ばれて目を開くと、鬼が私の顎を持ち上げ両目にそれぞれ口付けた。
「やめて……下さい」
重く感じる腕を持ち上げて鬼の顔を押そうとするが、上手く動かずただ紅い頬を撫でただけだった。鬼はその手を掴むと、そっと手の甲にまた口付けた。
なんでこんな気色悪いことするの? 腕を引っ込めようにもすでに力が入らない。なんで? それに、すごく、眠い……。
睡魔に必死に対抗するがそれも無駄な努力に終わり、私は背筋にぞくぞくとした異様な感覚の中、ついに意識を手放してしまった。