表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
妖しい紅  作者: 月猫百歩
常闇の庭
26/40

第五怪 山吹の牙

 

「ごちそう様でした」


 両手を合わせて頭を下げる。今日のメニューは鰻の蒲焼きと白いご飯に豆腐のお味噌汁。最近はご飯が贅沢になるときもしばしばあった。相変わらず籠の中ではあるが、今のところ鬼の反感を買うことなく穏やかに過ごしている。

 鬼が私の声を合図にごろ寝をやめて起きあがる。鬼の大きな紅い足に朱色の着物を踏まれないよう、ちょっとだけ裾を引き寄せる。


「俺は今から出掛ける」

 

 言いながらかけ盤を片手で持ち上げ、鬼はぽんぽんと私の頭を軽く叩く。それを不愉快に感じてその手を払いのけたかったが、そんなことが出来るわけもなく、ぐっと我慢してなされるがままになる。


「暇かもしれんが、まぁ、のんびりしていれば良いカナ」


 言うだけ言って鬼は籠の出入り口へと向かう。慌てて私はその背中へと口を開いた。


「待って下さい。あの、子鬼を呼んでも良いですか?」


「ダメだ」


 鬼は首を横に振り片手で籠に鍵を掛ける。

 私は肩を落とした。テレビも本もパソコンもないのに。一人では何も出来ないじゃない。まだ子鬼がいれば色々話を聞けるし、淡藤局さんも呼んでもらえるのに。そしたらあの人魂のことも何かしら分かるかもしれないというのに。

ふぅと息を吐いて、手元の朱に視線を落した。


「帰ったら構ってやろう。それまでい~ぃ子にしているように」


 肩越しにニヤリ笑んで襖を足で開けると、向こうの闇に紅い鬼は消えていった。

 正座していた足を崩して膝を寄せる。今日も耳を澄ませば遠くの方で喧噪が聞こえた。最初耳にしたときは、聞こえてくる声や音に怯えていたが、今はもうすっかり慣れてしまった。私は結構図太い神経しているのかな? それとも人間ってそんなもの? 

 特に意味もなく着物の模様を眺める。朱の空に金の雲と雀が刺繍されていて、どこか可愛らしかった。籠の隅に目をやれば、鬼がくれた漆塗りの化粧箱が目に入る。中にはシンプルだけど豪華なかんざしや、細工が素晴らしい帯留めに小さな手鏡が入っていた。

 はっきり言って興味がなかった。もちろん全くないと言ったら嘘になるけど、ずっと眺めていられるほど魅力的に思えなかった。もしかしたら専門家の人が見たら泣いて喜ぶくらいの逸品かもしれないけど、私にはその価値が分かりそうもない。

 

 ふと異変を感じた。相変わらず遠くから喧噪が聞こえるけれども、なんだかいつもと様子が違っておかしい。立ち上がって木目調の天井を見上げて耳を澄ませる。上の方でまるで運動会でもしているかのように、足音や物音が騒がしく聞こえる。と思ったら途端に静かになりまた騒ぎだす。なんだっていうんだろう。

 気になって天井に声を掛けるが、返事はない。何かあったのかな? 

 また静かになったので、首が痛くなる前に視線を天井から外し、ふいに格子の向こうに目をやったその時。襖から見慣れない瞳がこれでもかというぐらい、見開かれた目でこちらを覗いていた。ぎょっとして立ち上がり身構える。

 細い闇から襖にそろり掛けられたのは、長い褐色の爪。それが襖を大きく開き濃い黄色の角が見えたかと思うと、のそりと何かが部屋に入ってきた。

 何? 誰なの? 一気に全身の毛が逆立つような感覚に襲われ心拍数も急激に上がり、喉からドクドクという音が鳴る。手足が震えて汗が至るところからにじみ出てきた。

 子鬼が騒いでいたけれど、この妖怪と関係があるの?額から鋭く伸びる二本の角を見て、すぐに鬼だと分かった。ただ真っ黒な長い髪が畳を引きずり、猫背でこちらを見つめている様は、今までみた妖怪とは比べ物にならないほど異様で危険な感じがした。


「だ、誰?」


 籠の格子から離れて声をかける。その鬼が灯籠のすぐ脇に来たとき、その姿がより鮮明に浮かび上がった。自分と似たような格好の、緑と青の単衣を羽織り、真っ黒な長い髪が畳の上に垂れている。顔はまるで般若のような顔をしていて、下から恨めしげにこちらを睨んでいた。


「あの……」


「恨めしい」


 低い掠れた声でもう一度恨めしいと鬼は言った。なにが、誰が恨めしいんだろう。

 混乱する頭をなんとか押さえつけて、なるべく丁寧に私は目の前の鬼に言った。


「あの、紅い鬼さんは今いないんですけど」


 途端にぎろりと睨まれ思わず口を閉じる。どうしたら良いんだろう? 話が通じそうもない相手にどうして良いか分からず、がたがた震える手で顎の汗を拭う。


「欲しい……」


「え?」


 私が聞き返したと同時に鬼は格子に飛びついた。そして激しく狂ったように格子を揺さぶり、それに対して私は反射的に跳び退いて、強く背中に格子をぶつけた。


「欲しい! 欲しい! お前を喰わせろ! 全てよこせぇえ!」


 顔に幾つもの皺を刻ませ、黄ばんだ八重歯をみせつけるように、口を大きく開いて鬼は私に怒鳴った。格子がみしみしと嫌な音を立てているが、鬼はそれでも構わず白い格子を激しく揺さぶっている。まさか……入ってくる気!?

 そう思ったが早いか、格子がプラスチックのボトルのようにひしゃげ、鬼が私の首に手を伸ばした。獣の爪のように鋭い爪先が襟元を掴んだ瞬間、突然鬼が悲鳴を上げた。


「きぃっ!」


 聞こえた叫びに目を向けると、久しぶりに見る緑の子鬼の姿がそこにあった。子鬼は鬼の足下に槍を突き刺し、顎をしゃくって私に何かを訴えている。


「邪魔だぁ!」


 青い着物の裾が舞うと同時、緑の影が宙を舞う。子鬼が蹴られる。明るい緑の上に、深い緑が鈍い音を立てて何度か転がり、少し滑った後やっと止まった。


「子鬼っ」


 駆け寄ろうと一歩踏み出すが、目の前の鬼がそれを阻む。長い爪が鼻先に迫り、何かを考えるより先に、すぐさま体を伏せた。頭の上を勢いよく何かが通り過ぎて頭の髪を何かが掠める。

 気づくと私の体はすでに籠から出ていて、すぐ横に子鬼がよろよろと立ち上がっていた。後ろを振り返れば鬼が手前の格子と同じように、奥の格子をぐにゃりと曲げていた。


「大丈夫!?」


 子鬼に手を貸そうと腕を伸ばすが、いらんと払いのけられ伸ばしたものを引っ込める。子鬼は息を大きく吸い込むと槍を構えた。しばらく微動だにせず、籠からおもむろに出てくる鬼を睨みつけていたが、突然畳に足を激しく打ち鳴らした。

 天井全体がガタンと揺れる。そしてまた、先ほど聞こえたドタバタという騒音が遠くから次第に強くなると、天井からいくつもの四角い蓋が外れ、緑の影がいくつも降ってきて、部屋はあっという間に緑の頭で覆われてしまう。

 降りてきた子鬼の手にはそれぞれ一本槍や三つ叉の槍が握られており、大勢の子鬼が髪を振り乱している鬼を囲んでいた。


「きぃっ」


 裾を引っ張られ後ろを振り向く。見慣れた子鬼が開け放たれた襖を指さし、顎で行けと訴えた。


「逃がすかぁ!」


 鬼の叫び声を合図に子鬼たちがそれに飛びかかる。顔をめがけ飛び上がり、別の子鬼が動きを止めるために着物の裾を引っ張るが、捕まれては宙に投げ出され蹴りとばされ、鋭い爪で小さな体に痛々しい線を刻まれる。子鬼の攻撃に鬼はこれでもかと地団太を踏み、言葉ではない雄叫びを上げながら髪を掻きむしる。

 

 狂ってる……。


 髪を振り乱し、奇声を上げながら子鬼たちを一心不乱に払いのける姿を目にして、私は立ち尽くした。

 この鬼はいったいどうしてこんなことをするのだろう? いったい何故怒り狂っているのだろう? 私はなぜだか、その姿に哀愁のようなものを感じた。

 ドンと重い衝撃を覚えた。足を子鬼が槍の柄で強くつついたらしく、イライラした様子で襖の闇を再度指さした。

 そうだ。これ以上私がここにいたら子鬼たちの邪魔になる。私は頷いて、真っ暗な闇の中へと飛び込んでいった。



 しかし勢いよく飛び込んだものの、廊下は真っ暗で何も見えない。手探りで前に壁があるかどうか、確かめながら籠の部屋から遠ざかる。

 それにしてもどこへ行けと言うんだろう。いつも子鬼に連れられていたので道が分かるわけでもなく、とにかくひたすら足を進めた。途中後ろの方で、叫び声や鈍い音が今いる場所まで聞こえて来ることもあったが、ここに鬼がくる気配はなさそうだ。

 しかし、早いところ明るい場所に行き着かないと、このままではどうする事も出来ない。万が一、こんなところでまたあの鬼に襲われたらひとたまりもない。

 襖から漏れる光を見逃さないように、慎重にあたりを伺いながら闇の中を進む。



 時折聞こえる奇声に怯えながらしばらく廊下を進んだ頃、ようやく青白い光が漏れている襖に行き着く。ほっとしつつも、どこか緊張しながら探りあてた取っ手を手に掛けて、掠れた音を立てる襖をゆっくり横に滑らせた。

 私は目を少しばかり見開いた。旅館の宴会場みたいな横にだだっ広い部屋。そして襖が全て取り払われた景色から見える、今にも消えそうな、まるで線で書かれたような三日月が暗い空に浮かんでいた。

 部屋に入って襖を閉め、三日月の見える手すりに近寄り闇のパノラマを見渡す。暗闇のせいか建物らしい建物は見えず、あの沼の光景と同じように闇の中で様々な輪郭が見え隠れしていた。視線を下へやってみるが、より暗くて何も見えない。


 そのまま身を乗り出した状態で、私は何の用意もなく手すりに強くお腹を打ちつけた。声のない、息だけの悲鳴が口から漏れて、背中に激痛が電撃のように走る。手すりが軋みを上げて私を支えたまま崩れていき、一度何かの角にわき腹をぶつけ、視界が暗い天井、赤褐色の屋根、そして真っ暗な空と赤い月を順々に映していった。

 最後に目の端であの般若顔を捉えた時には、すでに自分の黒髪が視界を覆い、髪の毛が全て逆立っていた。そして次の瞬間、下っ腹がひんやりとしたかと思うと、般若顔と紅い月が上へ遠ざかり小さくなっていく。


 私はなす術なく、両者が見下ろす中落ちていった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ