第十九怪 金色の来訪者
灯籠とは違う明かりがまぶたを照らす。
うっすらと目を開くと籠の向こうに黄色い人魂。
優しげな光を放っているのにどこか儚げだった。
人魂は籠のそばに近寄り、しばらく宙に浮いたまま微動だにしなかったが、私が上体を起こすと襖へとゆっくり移動した。私を誘っているんだろうか。
籠の入り口に近づく。
紅い鬼が鍵をかけ忘れたんだろうか。出入り口は空いていた。
白い格子を潜り、籠から出ると、陽炎のように揺らめいている人魂に近づいた。
それは音も立てず、吸い込まれるように襖の向こうへと消えていく。
私は襖の取っ手に手をかけ、横へと襖を開けた。
一切の光も射さない闇がそこには広がっていた。
その中をユラユラ黄色い灯が私を誘うように、足下を照らしながら闇の中を進んでいく。私は空っぽの心持ちでその後をついていった。
長い長い廊下を黄色の人魂と進んでいく。
いくつかの角を曲がり、まっすぐ進んだかと思ったら、また右へ左へと曲がり角を歩いていく。
どこに連れて行く気なんだろう。
漠然としつつも小首を傾げる。
しばらく進むと、狭い廊下に差し掛かり、膝丈の観音開きの扉の前で人魂は止まった。そしてまた、その奥へと消えていく。私はしゃがみ込み、両手でその扉を開いた。
湿気を含んだ空気が頬を掠め、鼻を突いた。目を細めて凝視すれば、そこはひどく狭い物置のようだった。大小様々な箱が置かれてあり、人魂の光に照らされて幾つもの陰が私を囲んでいた。
「一体どういうおつもりか」
小さな部屋に響く声。どこから聞こえているのか分からず、目を閉じて耳を澄ます。
まぶたに人魂の黄色い光を感じる。誰かが話をしている声が聞こえてくる。聞き入るうちに、だんだん覚醒してくる感覚。夢から覚めていくような、自分に憑いていた何かが波のように引いていく。
ずっと私を照らしていた人魂は、何かを悟ったように大きく揺らめくと、私がはっきり意識を呼び覚ましたときには、その花のように黄色い火を小さくさせて萎んで消えてしまった。
今のは一体何だったんだろう。
「少しは落ち着け。土蜘蛛」
はっとして身を手近な置物に潜める。
人魂のことも気になるけれど、今はそれどころじゃない。どこから声が聞こえるのか分からない。
キョロキョロと見回すと、ふと、暗闇に一筋の光が床に小さな円を作っていた。辺りを警戒しながらその落とされている光に近寄る。その光の筋をたどると、壁に小さな穴があいていた。
のぞき穴かな?どこの部屋なんだろう。
片目を閉じ、息を潜めてのぞき込んだ。
「何故、そのようにゆるりとされているのか。紅い鬼殿が飼われている人の子が襲われたのですぞ! これでは矜持に関わる事ではないのか?」
広い豪華な部屋に寝そべる紅い鬼と、隅に控える緑の子鬼たち。そして、もう一人。部屋の中央に見慣れない人影があった。
黒い胸当てに虎の腰巻き。金色の獣の耳が左右に設えてある兜を被って、厳めしい顔を紅い鬼に向け、仁王立ちしている。
「ずいぶんと耳にするのが早いなぁ。群から追い出されているクセに」
「ふん、それが我ら蜘蛛の強みよ。そんなことより襲った輩は分かっているはず! 何故、討伐に向かわれない?」
「討伐……と?」
私を襲った蜘蛛のことかな?
狭い視界から二人の物の怪の顔を交互に見比べる。どうやらあの虎の腰巻きをしている妖怪と思わしき人物は私を襲った蜘蛛のことを知っているみたい。
紅い鬼の態度にイライラしているのか、蜘蛛の人が声を荒げた。
「そうだ! その輩は人の子を飼って間もなく紅い鬼殿に会っている。そう、女郎蜘蛛の奴よ!」
あ……あの時の女の人?
この世界に残ると決めた日。私を見て美味しそうだと笑った遊女。今思い出してもあの黄色くくすんだ目を思い出しただけで身震いする。あの女の人が私を襲ったっていうの?
「女郎蜘蛛ねぇ」
「間違いなどない。紅い鬼殿も知っていただろう! 女郎蜘蛛が風呂でうたた寝していた人の子に手を掛けようとしたことは、烏天狗からも知らせが届いているはず」
嘘……。
その時から、ずっと、狙われていたの?
力が抜けて壁にぶつかりそうになり、慌てて体制を立て直す。今気づかれたら逃げられない。なるべく静かにしておかないと。
気を取り直し、また小さな穴をのぞき込んだ。
「なるほどナァ」
「いまこそ女郎蜘蛛共を根絶やしにすべき。貪欲の鬼にまでこのような無礼千万を起こすなど狂気の沙汰ぞ!」
「まぁまぁ、そう熱くなるナ」
紅い手がヒラヒラと蝶が羽ばたくように踊る。
それを見て蜘蛛の人が一歩鬼に近寄り
「何故動かぬ! それでも『鬼喰い』と云われた鬼ではないのか! 虚仮にされたのだぞ!」
そう怒鳴り散らした。
ちらっと紅い鬼へ視線を移す。
鬼は相変わらず寝そべったままニヤニヤしていた。一体何を考えているんだろう。
「何故動かないって?」
ゆったりと体を起こし、顎に手を当て目を細める。
「そりゃあ、知ってるからさ」
すっと長い指を目の前の金色に向け、口の端を釣り上げた。
「お前があれを襲った当人だからヨ」
長い沈黙が流れた。
誰も微動だにせず、ただただ時が流れた。
そんな重苦しい空気を破ったのは蜘蛛の笑い声だった。
「なにを馬鹿げた事を! 腹が痛くなるではないか!」
「ほう、そうかい」
「あぁ、まったくだ。一体なぜ私が襲わねばならない。私が人の子を襲うのにいったい何の利益があるというのだ。しかも貪欲の鬼の物を」
「もちろん、ただ闇雲に言ってはないサ。おい」
「……何のつもりだ?」
紅い鬼のそばの襖が開かれ、髪の長い、女の子がしずしずと入ってきた。綺麗な朱色の着物に包まれた彼女は紅い鬼のそばに座り、ニコリと微笑んだ。
あの子は誰だろう?
見たところ私と同い年みたいだけれど。
「襲われた時、鈴音がお前を見たというんだが。なぁ、鈴音」
思わず『えっ』と声を漏らしてしまう。
鬼の言葉に、彼女は呼ばれた名前通りの鈴の音のような可愛らしい声で『はい』と応えた。
「何を馬鹿な。嘘を申すな」
「いえ。私は確かに見ました。あの恐ろしい出来事を鮮明に覚えております。あの思い出すのもおぞましい光景の中、土蜘蛛様の姿を捉えました」
きっぱりと蜘蛛へ言う。
「紅い鬼殿、何を考えておる?こんな偽者を使うとは」
「偽だと?」
「あぁ。鈴音殿は死んだハズ。こいつは偽だ!」
紅い鬼はこれ以上内ほど笑みを深くして大笑いした。
「なぜお前がこいつを偽者だと知っているのだ?」
「そ、それは子鬼共が死んだと噂していたのを耳にしたまでで……」
「ほほう」
「それにだ。私には襲う必要がないと先ほど言ったハズだろう! 何故紅い鬼殿を敵に回すようなことをせねばならんのだ」
「はん。ど~せ、女郎蜘蛛とのいざこざを俺に尻拭いさせるつもりで、女郎の子蜘蛛をけしかけたんだろう。そうすれバ、あいつを直接襲った子蜘蛛をみて、女郎蜘蛛が襲わせたと思うはずだからナ」
ぎりりと歯を食いしばる蜘蛛。白目の部分がかすんだ黄色に変わり、紅い鬼を見る目は危険な炎が燃えている。
「馬鹿なことを!」
「それに、女郎蜘蛛が来たと言ったが、あれはお前だろ」
「……なんだと?」
「女郎蜘蛛に化けて、これから襲うと匂わせる。そんな魂胆だったんだろ? 風呂場の件もわざと他の奴等に見えるようにして」
「……」
「だが、間抜けだナァ。気付かなかったのか?
女郎蜘蛛は白目は黄色にならんのだよ。お前は自分の習性も知らんのか?それにお前は子鬼共が噂してるなんて言ったが、子鬼がそれを言うのは可笑しな話ダ。あいつは死んでいない」
紅い鬼はこれ以上ないほど意地の悪い笑みを浮かべてニヤリ笑った。背筋が凍るような、狂喜の光がその妖しい紅の中に溢れていた。蜘蛛のほうはというと、紅い鬼にと同じように黄色い目を爛々と燃やし始めていた。
「お前の思惑は外れカナ」