第十八怪 白昼夢
何の音も届かない耳。
目を閉じて視界に映るものも拒絶する。
心の闇が広がり、意識もそこに呑まれていく。
深く、深く。
「ふぜけんなよ! 全部お前のせいだぞ!」
「やめなよ! これは事故でしょ!」
闇の中、怒鳴りあう陽炎が五つ。
どこかで見た光景。
そっと目を見開き、また目を閉じる。
開けても閉じても同じ光景が見える。
「でも、一体どうなっているの? ここどこ?」
「分からない」
鈍い光が人の形になって闇の中でうずくまっている。
次々に輪郭がハッキリしてくる。
見覚えのある顔、顔、顔。
「これからどうなるのかな……」
「ごめんね、紗枝ちゃん」
「ううん。大丈夫だよ。かならず一緒に帰ろうね!」
五つの光が揺らめき、煙に変わる。混ざって一つになり、今度は大小二つの影を作ると、鬼と少女の形をなしていく。
「ずいぶんお前は威勢がいいナァ。
どうだ? 俺と取引をしないか?」
「と、取引?」
「あぁ。お前がここに一人残るんなら、ほかの奴らを帰してやっても良いゾ」
「私を? 私一人残れば、みんなを帰してくれるの?」
「そうだ」
「わ、私一人で良ければ。うん。分かった。こ、ここに残ります」
「そうカ。分かった」
ふっと風に吹かれたように流される光。
くるくると、つむじ風のように回って、また五つの人影を作り上げていく。
「なぁ、鍵。開いているぞ」
「なんで? 閉め忘れ?」
「罠かもしれないわ」
「でも今しかないよ! 今のうちに逃げよう!」
あぁ、なんだ。
座敷牢から逃げ出してきた時の場面だ。
そう、そこからみんなで逃げ出したんだよね。
「ねぇ、ばれちゃうよ」
「そこ、その扉に入ろう!」
「鍵かかってる!」
「どうしよう!?」
「あ! もしかして、それ鍵じゃない?」
「でも、なんでこんなところに落ちてるの?」
「なんでもいいよ! それ使え!」
「あ……。開いた」
「馬鹿だなぁ、扉の前で鍵落とすなんてよ」
思わず鼻で笑ってしまう。
馬鹿は私たちなのに。
紅い鬼がみてるなんて知らずに。
「誰もいないね」
「大広間で宴会やっているみたい。さっきあの子鬼が言ってた」
「え! みっちゃん鬼の言葉が分かるの?」
「紗枝ちゃんは分からなかったの?」
そういえばみっちゃんは、音無しの時間帯でもないのに、鬼の言葉が分かっていたみたいだった。霊感があるようなことも、小学校の時に話してくれてたけれど、あまりそれについては話したがらなかったから、ずっと忘れていた。
もしかして、だから鬼を呼び出すことができたのかな。
五つの光が氷の上を滑るように流れる。
必死で駆け抜ける人影たち。
「ねぇ、あそこ」
「門番のくせに寝てやがる」
「静かに。起こさないようにね」
闇の中からまた別の光が湧き出ると、瞬時に大きな扉を形作る。私たちが吸い込まれた扉。ここへ連れて行かれたときに通った大きな扉。
「やった! この岩の扉だ! 帰れるぞ!」
「さ、追っ手が来る前に行こう!」
岩の扉のむこうには、ここにくる前の薄暗い木々が広がっていた。
我先にと駆け込む男子。そのあとを追いかける他のクラスの女の子。
「さ、みっちゃん行こう」
「うん……」
「どうしたの?」
「……紗枝ちゃん、ごめんね」
「もう、気にしないでったら。悪い夢だったと思って帰ろうよ」
「……うん」
私の影が彼女の影を押す。
そして彼女が扉の向こうへ足を踏み入れ、私も扉へと近づいた。
「どこへ行くつもりカナ?」
扉に手をかけた私の影が凍った表情で振り返る。大きな紅い目をした影がニヤリと笑い、振り返った私を包み込み、闇の向こうへと消えた。
気持ちほど開いた扉。そこから小さな顔が覗いている。
「みっちゃん……」
彼女の凍った顔が見える。
光は惜しむように、徐々に徐々に暗闇に溶けていく。
最後に怖い思いをさせちゃっていたんだね。
ごめんね……みっちゃん。
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真っ暗闇の中に、幽霊のように人魂が浮かび上がる。
黄色い、淡い光が私を照らしている。
これは夢なのかな。
それとも幻なのかな。
さっきの光景もこの人魂が見せたのかな。
でも、これを今更私に見せて、どうしろというの?
もうあの頃みたいに、動く気力も生きる気力も、今の私にはないというのに。