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妖しい紅  作者: 月猫百歩
籠の鳥
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第十七怪 真っ赤な嘘

 鬼にはっきりと指摘された。

 自分が今まで目をそらし、否定してきたことを。


 籠の中で布団も敷かず、四肢を投げ出す。

 蝋燭の火を消されたようになんとも虚しい雰囲気が自分を包んでいた。


 友を思っている振りをして

 本当は自分が逃げる道を探していたんだろう

 契約を破って家に帰りたかったんだろう


 呪いが掛かったかのように、何度も何度も鬼の言葉がこだまする。

 目頭が熱い。

 泣きすぎたせいかな。頭がガンガンする。

 頭も視界もぼやけ、疲れきった心に普段払い退けていたものが忍び足でやってきて、耳元で囁く。


 鬼の言うことは腹立たしいくらい当たっている。

 私は逃げたかった。

 紅い鬼との約束を破って。

 後悔なんてしていないと、何度も自分に言い聞かせて、自分の本心を黙らせようと必死になっていた。

 でも本当は後悔していたんだ。

 自分で決めたくせに、なんでこんな目に遭わなくちゃいけないんだろうって、思っている自分が居たんだ。


 そう、自分を支えていたものは真っ赤な嘘。

 友達に何かあっただなんて心配する振り。

 後悔なんてしていないと英雄気取りの振り。

 保身のために鬼と仲良くする振り。 


 目尻から熱いものが零れる。

 重い両手で顔を覆うと、関を切ったように、またとめどなく涙が溢れてきた。

 きつく結んだ口からは途切れ途切れに、嗚咽が漏れる。


 私は最低だ。

 最低の人間だ。

 妖怪よりも浅ましい。


 卑劣な存在なんだ。



「おーい」


 天井裏から声をかけられた。

 意識は鈍く反応したが、視線をそちらに移す事はしなかった。なんだか、それすら気力の要る作業に感じて、億劫に思えた。

 乾いた音を立てて子鬼が籠の向こうに降り立つ気配がする。交差した腕の隙間から見える視界の端に、小さな緑が映る。


「おい、大丈夫か?」


籠に触れる音と同時に子鬼の声が向けられる。


「なぁなぁ。お前もさ、元気出せよ。

良かったじゃないか。紅い鬼様に気に入られたみたいで」


 私は黙っていた。

 今は何も話したくない。

 

「だってよ、あの『鬼食い』の異名を持つ鬼様に御執心されているんだぜ? 名誉なことじゃないか」


 名誉?

 一体何が?


「邪な考えなんて誰しも持ち合わせているもんだ。

なんでそんなに塞ぎ込んじまうのか俺には理解できん」


「お願い……一人にして」


 喉の奥から声を絞り出す。

 カラカラに乾いて掠れた声。

 その自分の声すらも頭に響いて痛みが広がる。

 

「なんだってそんなに気落ちしてんだ?

逃げられないことにか? それとも」


「やめてっ!」


 叫んだ。

 もう何も聞きたくない。

 誰の言葉も耳に入れたくない。


「怒鳴ってごめん……でもお願い。今は一人にして欲しいの」


 籠の外で小さく息を吐いた音が聞こえた。

 それからしばらくすると、また部屋は静寂に包まれた。

 

 今まで張り詰めていたものがあっけなく切られてしまったみたい。私はその後も起き上がることが出来なかった。 籠で息を詰めていたときとは比べ物にならない虚ろが私を蝕んでいる。


 私はこれからどうなるんだろう。

 どうするんだろう。


 それすらも、今となってはどうでもよく思えた。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 私はずっとふせっていた。

 なにをする気も起こらず、ひたすら横になり続けた。

 時折、子鬼や淡藤局が来て声をかけてくれたこともあったけれど、どうしても話をする気になれなかった。

 頭の中は深い霧がたちこみ霞んでいて何も考えられない。ただ、ふとした時に鬼の言葉がしつこく私を責め続けた。

 まるで言葉の拷問。

 意識がはっきりする間もなく、紅い言葉が私を蝕む。

 それが終われば、今度は自責の言葉が容赦なく襲い掛かる。

 

 ヤクソクヲヤブッテ

 嘘吐き


 トモヲオモウフリヲ

 偽善者

  

 ホントウハニゲタイ

 卑怯者


 ずっとそれの繰り返し。

 食事をする時も、寝る時も、体を洗う時も、ずっと幽霊のように付きまとう。

 いつの間にか、少し前に何かをしていたという事すら、もう覚えられなくなっていた。今この瞬間ですら、すぐに煙のように消えてしまっている。

 記憶の変わりに残るのは自身を呪う言葉だけ。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「鈴音」


 籠の外から声をかけられる。


「今日も飯を抜かす気か?」


 食事?

 そんな事いつしてた?

 それとも、いつからしていなかったんだっけ?

 

 籠がしなる音が聞こえる。

鬼が籠の中に入ってきたようで、すぐそばで畳を踏む音が聞こえた。


「おい。いい加減食べたらどうだ?」


 私は返事をしなかった。

 なんだかどうでもよかった。

 鬼の『喰ってやる』という脅しを聞いてもなにも感じなかったし、鋭い牙も爪も、全くと言っていいほど恐怖心を呼び起こさなかった。

 自分の心になにが起こったのか知る事さえ、今の私には面倒に思えた。


 何もかもどうでもいいの。

 ひどく気だるくて、仕方がない。

 食べるなら勝手にして欲しい。


「お前ナァ、意地を張ってたって仕方ないと思うゾ?

そんなに己の醜さに落胆したのカ?」


 分からない。

 声に出さず、心の中で呟く。

 今の私は空っぽだ。

 悲しくも嬉しくもない。

 心が凍ったみたいに動かない。

 一体どうしたって言うんだろう。

 でもそんなことはどうでも良い。

 どうでも良いのだ。


 紅い腕が私に伸びる。

 まるでテレビ画面をみているような、他人事みたいに映る視界。鮮やかな鬼の大きな手も、今は白黒。無抵抗な身体はそれに掴まれ、ゆるりと起こされる。

 熱が出たようにぐったりとする身体。

 今の私は、頭も心もお腹も空っぽ。

 振ればからころと音が鳴るんじゃないのかな。

 そんな考えに笑みが零れた気がしたけれども、生憎私の顔の筋肉は反応しなかった。

 

 ゆらゆらと揺り篭のように揺れる私。

 どうやら紅い鬼が赤ん坊を抱くように、私を抱きかかえて、揺らしているみたいだ。それにどんな意味があるのか分からないし、やはり興味は沸かなかった。


 紅い鬼は怒っても笑っても居ないけれど、どこか寂しげに見える。

 きっとそれは空っぽな私の気のせいだろう。

 空っぽだから、そう見えるんだ。



「鈴音。どうだ取り引きしないか?」


 のぞき込むように紅い視線を私に落とし

 おもむろに鬼は言った。


「お前の本当の名前。それを俺によこせ」


 ……名前を?

 私の紗枝という名前を鬼に?

 でも、どうして?


「名前を名乗り、俺に渡すと告げろ」

 

 名前を渡す?

 私の声にならなかった言葉に、二つの紅がゆらりと動き、頷いた。


「そしたらお前を守ってやろう。

 外にも連れ出してやろう。俺の創り上げた街だ。

 欲望と快楽を満たすこの上ない街カナ」


 潜めて、耳元で囁かれる。

 自分のカラカラに乾いた喉が動くのを感じる。

 しかし声は出ない。

 鬼は紅い声でまた私に囁く。


「名を名乗れ」

 

 楽になりたい。

 楽になりたい。

 辛いのはもう嫌だ。

 

 でも、だけど……。


「どうした? 楽になりたいんだロウ?」


 ボヤケる視界に細い深紅の瞳。

 炎のように揺らめく妖しい紅。


「鈴音。俺は――」

 

「きぃっ!!」


 そのとき、激しく襖を叩く音と同時に子鬼の叫ぶような鳴き声が部屋に飛び込んできた。

 紅い鬼が睨みつけたんだろう。一瞬息を呑んだような音がしたが、すぐに持ち直してしきりに何かを叫んでいる。


「あぁ、来たか」


 すっと紅い陰が動いた。

 そして何か子鬼に指示をだしている。

 何を言っているか分からない。しかし例え聞こえたとしても、私は聞く気にならなかっただろう。

 鬼は私を畳まれた布団に頭を預けるように寝かし、額を撫でる。

 ふと、鬼が籠を出るときに少し立ち止まった。視線を感じちょっとした沈黙が流れたが、紅い鬼はそのまま何も言わず部屋を出ていった。



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