第十六怪 紫煙漂う
「お前知っているか?」
子鬼が淡藤局に問いかけた。
「人間んところには、遠く離れたやつとでも話が出来る板があってな。念波を使って話せるらしい」
「おや。まだ神通力を使える人間が沢山残っているのね。
それは知らなかったわ」
「それ、念波じゃなくて……電波だよ」
「……。じゃあ、真夜中だろうが真昼だろうが開いている店を知っているか? なんでも揃っていてな。その名も『根気に』って言うらしいぞ」
「なんとまぁ。なぜそのような風変わりな名をしているのかしら」
「そりゃ、根気に商売しているからだろ」
「こ、『根気に』じゃなくて、コンビニ……」
あぁ、もう、だめ!!
私は今までこらえていたものを、ぶはっと噴出した。
あーおかしい! 子鬼の持っている人の世界の情報が、いちいちおかしくて仕方がない! おかしすぎる!
笑い転げる私に子鬼が憤慨の声を上げる。
「やかましい! 俺は他の奴等から聞いたまでだ!」
「あはは、そう、そうなんだ」
ふ、腹筋が痛い!
こんなに笑ったのは本当に久しぶり。
ここしばらく音無しの時間に起きて、子鬼と淡藤局さんとの三人でずっと雑談していた。もっぱら話題になるのはこの物の怪の世界と、人の世界についてだった。とは言っても、私は紅い鬼から人の世界の話をすることを禁止されているし、この世界を知らないので聞き役にしかならないのだけれど。
子鬼達の話では、私が今いる世界は常闇と呼ばれる闇の空間。とても広くて限りが無いのだけれど、住む場所には限りがあるらしい。
そこで妖怪やら物の怪が集まり、住みやすい土地を作りあげたらしい。
「でも驚いた。まだ妖怪とかが私達の世界に来てたりするんだね」
「昔と違ってお上からの許しが出ないと基本的に行けなくなったみたいだがな」
「なんで?」
「住処や戻る場所がなくなった奴等がこの常闇に来て、均等が崩れたのさ」
「きんとう?」
「えーっと『ばらんす』ってやつだ。ま、それで今までなかった常闇の勢力争いや縄張り、小競り合いなんかの問題が増えたんだ。それで人間の世界じゃ今まで睨みを利かせていた妖怪なんかがいないせいで、そこでいがみ合っている奴とばったり遭遇。そして大揉め。下手すりゃ殺し合いだ」
うわ、なんだかすごいことになっているんだ。
戦国時代の話みたい。
でもなんだかややこしいなぁ。
「えっと、ようするに、常闇でケンカしている相手がいて、その相手と仲裁者のいなくなった人の世界で、思いがけず出会ってしまうと、そこで最悪大喧嘩してしまうから、偉い人の許可が必要。こういうこと?」
いまいち分からなかったので、自分なりの解釈を子鬼に話してみる。子鬼が頷いて『俺の説明が良かった』と一人満足げだ。
ほんと、自惚れ屋さんなんだから。
「あっ」
突然、淡藤局さんが声を上げた。
そして子鬼も素早く顔を上げ、あたりを注意深く見回すと顔をひきつらせた。
「な、なに?」
二人のただならぬ様子に、びくびくする。
「紅い鬼様だ」
さっと顔が青ざめる。
顎がわなわなと震え始め、鼓動も早くなる。
なんで?
なんでこの時間帯にあの鬼が来てるの?
「今日はここまでのようね。私たちがいては邪魔だわ」
淡藤局さんが小さく言うと、子鬼もそれを合図に彼女を手に取った。
「待って!」
子鬼の小さな肩を掴み、引き止める。
「一人にしないで……」
さっきまで大きな声で笑っていたのが嘘のような、情けない声で子鬼達に懇願する。
子鬼は左右の目をきょろきょろと動かしたが、するりと私の手を離れ、『すまん』と呟き、天井へと逃げるように行ってしまった。
一人取り残され、しばらく緊張の糸を張っていると、むせる様な香りに鼻腔をくすぐられ、くしゃみが出た。
なんだろう?煙草のようなにおいがする。
鼻をすすりながら匂いの元を捜すと、それは襖の向こうから漂ってきているみたい。小さな隙間から奇妙な帯が空中を漂い、薄暗い部屋の中をさ迷っている。
「具合はどうだ? 鈴音」
紫煙の元から紅い声が掛かる。
私はびくりと一切の動きを止めた。口を真一文字に結んで恐る恐る紫煙が漏れている隙間を凝視する。
蜘蛛に襲われた一件からというもの、私は鬼と関わるのがより嫌になっていた。そしてそれと同時に、より恐ろしく、理解しがたい存在だと感じていた。
「まだ、良くないです」
私は蚊の鳴くような声で嘘を吐いた。
掛け布団を引っ掴んで頭までかぶり、膝を抱えてぎゅっと目を瞑る。
とにかく今は鬼に会いたくなかった。
間もなく静かに襖が開く音が聞こえる。
私は身体を小さくしながら、自分のいやに響く心臓の音を聞いていた。その音が緊張の糸をさらに張り詰めさせる。
だんだん畳を踏む音が近くなり、私の真横まで来ると、布が擦れる音と静かに座る様子が耳に聞こえて来た。
「どうした? なんで布団など被っているのカナ?」
布団を通してくぐもった紅い声が聞こえる。
こちらの返答を待たずに鬼はかまわず明るい口調で私に声をかけてきた。
「安心しろ鈴音。お前が良い子にしているんなら、とって喰いやしないし、死なせたりもせん」
「……」
「約束は守ってやろうカナ」
ふぅーっと息を吐く音が耳に入る。
やっぱり鬼の考えている事はよく分からない。そんなふうに言うのなら、何故あんな酷い目に遭わせたんだろう。外に出したくないにしても、もっと他にやり方があったんじゃないのかな? あれじゃ、トラウマになっちゃうよ。
お互い黙ったまま刻々と時間が過ぎた頃、おもむろに鬼は声をかけてきた。
「なぁ、鈴音」
耳をそばだてて次の言葉に構えた。しかし声をかけたきり鬼は何も話さない。
暫く間があったので、思わず布団から覗こうかと思ったとき『いや、やはり良い』と投げやりな言葉が耳に入ってきた。
鬼が躊躇うなんて珍しい。
「なんですか?」
好奇心も後押しして思わず訊いてしまう。
するとちょっと間を空けてから鬼は口を開いた。
「お前の人の名の事なんだがナァ。鈴音は覚えているんだろう?」
人の名前? 私の『紗枝』という本名のことだろうか。
とりあえず『はい』と返事をする。
「ここに来る前の記憶もカ?」
「……? はい、覚えてます」
なんでまた、そんなことを聞くんだろう。まるで私が記憶喪失にでもなったか確かめているようだ。
とりあえずまた『はい』と返事をすると鬼は再度黙り込み、なんどか紫煙を溜め息のように深く吐いて、何かにトントンと指を鳴らしている音が響いた。
鬼の反応に目を瞬かせて黙ってしまう。
なんだかもやもやする。言いたいことがあるならハッキリ言って欲しい。気になるじゃない。
私は焦れてしまい、我慢できなくなって鬼にたずねた。
「あの、なんで名前にこだわるんですか?」
「……」
返事はなかった。何の音も返ってこない。
聞こえなかったのかな。
「友達は……無事帰ったんでしょうか」
話題を変えて、ちょっと大きめの声で訊いてみる。
やはり返事はない。もしかして聞いてない、というより無視してる?
気持少しだけ布団をめくり、鬼の様子を伺う。
すると突然、母親がなかなか起きない子供の布団を『早く起きなさい!』とでもやるかのように思い切り引き剥がされた。
突如露になった身体を反射的に丸めて顔を赤くする。
なんで急に掛け布団をはがされると恥ずかしいんだろう。そう思うのは私だけかな。
まぁ、そんなことはどうでも良くて、慌てて身体を起こして素早く身構えた。
「なんだ。ずいぶん元気そうじゃないカ」
「な、何をするんですかっ」
布団を片手に、鬼は笑みを浮かべながら、すぐ脇であぐらをかいていた。そして鬼が面白そうにこちらを呼び指したので、それが乱れている浴衣を指していることに気がつき、慌てて整える。
「それだけ動けるなら、もう大丈夫だろう」
布団が畳の上に無造作に投げられ、紅い手は私の腕を掴んだ。
ゆったりとしだ動作だが有無を言わせない力に引っ張られる。
「さぁ、鈴音。籠にもどれ。
さっき部屋が片付いたんだ。もうここに居なくて良い」
「ちょっと待って下さい!」
足を突っ張って踏みとどまった。あんなところに戻るなんてもう嫌。逃げることも歩くことも出来い場所になんて二度と行きたくない! なんとかして時間を引き伸ばさないと。
「鬼さんは何か、隠しているんじゃないですか!?」
「は?」
しまった!
こんな単刀直入に切り出すつもりじゃなかったのに言ってしまった。
馬鹿だ。私は大馬鹿だぁ!
紅い鬼は二つの紅を見開き何度か瞬かせたが、すぐに笑い出した。私の腕を放し、腹を抱えて笑っている。
ワケが分からず立ち尽くしている私に鬼は目を細めた。
それはどこか嘲ったような残虐性のある眼差し。
「何を言い出すのかと思えバ。俺が隠し事をしているって?」
「いえ、その……」
もごもごと濁して私は俯き、淡藤局さん達の話を出すわけにもいかないし、なんて言いワケすればいいのか分からず焦った。
しかし鬼から発せられた次の言葉は意外なものだった。
「まぁ確かに隠してはいる」
今度は私が目を見開く番だった。
あっさりと言った鬼を信じられないと驚いて顔を上げ、『じゃあそれって』と言いかける。
「が、お前さんが望んでいるようなものじゃないカナ」
「え?」
名前の話じゃないの? と訝しい顔をする私に、鬼は開けていた紅い口を閉じるとにぃっと両端を吊り上げた。
「鈴音。お前、本当は約束を破って逃げたいんだろう?」
思わぬ言葉に心臓が強く鳴った。
予想していなかったことに頭が真っ白になる。
意味が分からないと鬼の顔を探るように見つめ、うろたえた。
「みなまで言わなければ分からないのカナ?」
鬼はクッと喉で笑い、目をさらに細める。
「自分が犠牲になって契約をしたことを本当は後悔しているんだろう?」
言葉が詰まった。
そして自分のそんな反応に驚く。
腕組をして鬼が一歩踏み出し、私も反射的に一歩後退する。
やだ、なんで動揺しているんだろう私。
言い返そうと口を開くが、言葉が出てこない。
「だから俺の隠している事を知りたいんだろ?」
無意識にぎゅっと胸の前で拳を作る。そこで自分が肩で息をしていることに初めて気がつき、心臓はひどく早鐘を打ち鳴らしていた。
「俺の隠している事こそが帰る為の唯一の逃げ道だと。そう思っているんだロウ?」
逃げ道。その言葉をきいて微かに頭を左右に振り、否定する。
一瞬頭の中を、また嫌なものが霞めて血の気が引いた。
鬼は片方の眉を吊り上げて嘲るように鼻で笑った。
「なんだ。自分で分かっていないみたいだナァ。なら教えてやろうカ?」
その先は聞きたくない。
私の制止の動作を無視して、鬼は早口にまくし立てた。
「お前は友を返せたと喜んでいるがそれは一瞬で、もうすでに後悔している。
しかし、それを受け入れられないお前は、俺が隠し事をしていると気が付つくと、すぐさまそれを逃がした奴等と関係があると思い込んだ。だが、本当に思い込んでいるのは、自分が逃げるための何かだったんじゃないのか?」
「――っ」
「もっと分かりやすく言ってやろうカ?」
必死で首を横に振る私を面白そうに眺め、鬼は腕組を解いて、まるで勝利宣言でもしているように、高らかに言い放った。
「お前は後悔していないと思っているが、いやいや……それは嘘カナ。お前は本当は後悔している。自分が犠牲になったことをナァ!」
違う。
「友を思うふりをして、本当は自分が逃げる道を探している」
やめて。
「その浅ましさに目を背けて自分を騙しているんだろう」
やめて。
「図星か?鈴音ぇ」
「やめてっ!」
両手で耳を塞いで絶叫した。
その場にうずくまり、膝に顔をうずめて涙を落とす。
やめて……
やめて……
何度も頭を掠めた考え。
そのたびに振り払ってきたけれど、まさか鬼に言われるだなんて。こんな形でまた突きつけられるだなんて。
「可哀想にナァ鈴音。苦しいだろう?」
もう聞きたくない。
これ以上聞きたくない。
なのに紅い声は塞いだ耳に直接響いてくる。
「俺がその苦しさから助けてやろうカ?」
耳を塞いだ手の上に鬼の大きな手が重なる。
ゆっくりと顔を向けさせられると、そこには残酷な優しい紅い笑み。
「お前に帰り道なんざ、無い。
俺との契約は破れない。
苦しむだけ無駄カナ」