第十四怪 緑の子鬼の紙芝居
目の前の子鬼が手振り身振りで
時折拳をふるってひたすら熱弁している。
けれども、どう聞いても『きぃきぃ』という古いドアが鳴るような鳴き声しか聞こえなくて、ただただ苦笑いするしかない。
「きぃ!」
真面目に聞け!と言っているのだろう。
か細い緑の指をむけられ、やれやれと姿勢を正す。
あのぉ、そろそろ足痺れてきたんですけれど。
紅い鬼に命じられて小さな一本角の緑の子鬼がやってきたのは大体今から一時間くらい前。
暇だろうからと、何かを仕切りに話してくれているみたいなんだけれど、何を言っているのかさっぱり分からない。
もう良いよ、ありがとう。
そう言っても帰ってはくれず、子鬼が所狭しと跳ね回ったり、一人ちゃんばらを演じて見せたり、落語のような真似をしたりと忙しくしている。
ため息をして視線を逸らす様なら盛大に金切り声で責められる。
ちょっと前には『よよよ』と泣き崩れて掛け布団の隅っこで涙を拭いたかと思ったら、突然大音量で泣き出したのだ。
慌てふためいて『ごめん』と謝ったが声は大きくなる一方。
しまいには他の子鬼まで何事だと天井から降ってきて、なぜか私が怒られたのだった。
「あ、あのね」
高いトーンで歌を歌いだした子鬼は、私が声をかけた途端に低い声に変え、両肩を落として睨んできた。
今が良いところだったのに! 足を鳴らして抗議するその様子に、まぁまぁと両手を振ってなだめる。
「あのね、さっきから言おうと思っていたんだけれど、私、あなた達の言葉が分からないの。だから、無理してお話したりして付き合ってくれなくて大丈夫だよ」
本当はもっと早く言いたかったのだが、なかなかタイミングが合わず言いそびれていた。ということも付け足しておく。
子鬼は腕組し小首をひねる。そして一人ちゃんばらで使っていた細い棒を私に投げ、自分は小さな両手を熊みたいに構えて唸った。小さい子が戦いごっこをやろう! と誘っているように見えて思わず噴出しそうになる。
そんな私を見て怪訝な顔を向ける子鬼に笑いをかみ殺しながら言った。
「ねぇ、それよりもこの世界のことが分かる本とかないかな?今いるこの世界のことを、もっと良く知りたいの」
あの紅い鬼は何か隠している。
私には知られたくないことを。
外に出したくないのも、元の世界の話を禁止するのもきっとそれが絡んでいるんだと思う。
もちろん紅い鬼の単なる嫌がらせかもしれないし、全然別の事情でそうするのかもしれないけれど。
それでも何も知らないでいるよりも、知っておいたほうがいざというときに役に立つはず。
今のところ分かっているのは『名前』が重要ってこと。
他の鬼達の様子を見たところ、名前がきっと鍵になっているに違いない。
とにかくまずはこの世界のことをもっと知らないと、何も分からない気がする。
「別に本でなくてもいいんだけれど。あ、本って分かる? 巻物とか、こう、紙に書いているものなんだけれど」
この物の怪の世界では時代劇のような物ばかりで、近代的なものは何も見ていなかった。なので『本』という言葉が通用するのかどうかも分からない。
そういえば、紅い鬼に『トイレ』といった時もきょとんとしてたよね。
まぁ、ただ呆れていたっていうこともあるんだろうけれど。
私の言葉に鬼が顎に手を当てて、唸る。
しばし考え込んでコクリと頷いた。
善は急げと言わんばかりに、ちゃんばら棒や扇子や、その他色々な小道具を灰色の風呂敷にせっせと仕舞い込み、何かを私に言って天井裏へと戻ってしまった。
分かってくれたのかな。
布団の上で膝を抱えて子鬼を待つことにする。
それにしても、あの紅い鬼は何を考えているんだろう。
傷を治してくれたかと思ったら、襲われるのを知ってて黙ってるとか。でも最終的には助けてくれるとか。意味が分かんないよ。
なに? 飴と鞭っていうことなの?
これからも何か気に触るようなことがあったら、またあんな怖い目に遭わされるのかな。
「――っ」
別に寒くもないのに無意識に腕をさする。
なんだか怖い。
今回のことで改めてあの紅い鬼の異常性を知った気がして、消えかかっていた恐怖と不安がよみがえって来る。
結局、籠の中にいようといまいと、鬼に囚われる『籠の鳥』ということには変わりはないのだ。
鬼の機嫌を損ねないように、ひたすらさえずるしかないんだろう。
でも、だとしたら先程子鬼に頼んだことは意味がないんだよね。
鬼の隠していることを突き止めるより、鬼の機嫌を損なわない為にはどうしたらいいのかを考えなくちゃいけない。
第一なんで私は鬼が何か隠していると決め付けているんだろう。
さっき思いついたように、本当に嫌がらせしているだけかもしれないのに。
だんだん自分が何をしたいのか分からなくなってきた。
私はどうしたいんだろう。
何を考えているんだろう。
大人しく従順に飼われて身の安全を確保したいのか。
それとも鬼の考えている事をハッキリ突き止めたいのか。
両手で頭を抱え込む。
こんなに悩んだこと今までなかったから、どうしたら良いのか分からない。
ううん違う。自分が何をしたいのか分からないんだ。
「……っ」
必死で頭を左右に振る。
チラリと頭の中を通り過ぎたモノに対して嫌悪し振り払う。
考えたくない。
そんなふうに思うなんて最低だ!
大勢の前で閻魔様に断罪された気分になり、罪悪感にさいなまれる。
「違う。そんなふうに考えてなんていないっ」
一人必死で掠めたものを否定した。
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何の音も聞こえなる時間帯。
「なぁ、なぁ」と自分に呼びかける声と揺さぶられる身体。
目をうっすら開けると灯篭の明かりは小さく、部屋は暗かった。
どうやらいつの間にか眠ってしまったらしい。
寝ぼけ眼で身体を起こすと、先ほどの子鬼が目の前にいた。
「なぁに?」
子鬼はしっと口の前に指を立てて
「音無しの時間は音がよく響く。静かに話せ」
「え?」
思わず大きな声をだして直ぐに慌てて口をつぐむ。
子鬼が話した!
その事実に目を丸くしてしまう。
「俺達の声は小さいから、この時間帯でなければ人間には聞こえまい」
「もしかして、たまに聞こえるひそひそ声は君たちなの?」
「そうさ」
なぜか誇らしげに言って胸を張る。
「俺様がここに来たのはお前が殊勝なことをいうから、わざわざ絵までこしらえてきたのだ」
「絵?」
「あぁ」
風呂敷から厚紙を数枚取り出して私の前にかざした。
どうやらお手製の紙芝居のようだ。
「今から紅い鬼様の話をする。この世界を知るにはまず紅い鬼様の事から始めなければ話にならない。黙って聞いているんだぞ」
うんうんと頷いて布団の上で正座する。
ちょっと眠いけれど、わくわくして仕方なかった。
「よし。じゃあ、始めよう。ごほん」
子鬼は小さく咳払いをすると語りだした。
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広い暗闇の中、人間の世界から帰ってきた百鬼夜行の鬼達が宝を抱えて帰ってきた。
金銀財宝に、刀に着物。
沢山の宝を煌かせながら広い広い常闇を歩いていた。
先頭には山ほど大きな赤い鬼が牛車に乗って、今回の自分の手柄を周りの鬼達に自慢していた。
真っ赤なその鬼はとても乱暴で、なんでも自分の物にしたがるが直ぐに飽きてしまい、なんでも壊してしまった。
他の鬼達は赤鬼を好いていなかったが、強さは鬼の中でも指折りに数えられる鬼だったので、誰も逆らわないでいた。
今日も部下の宝を根こそぎ奪おうと目を光らせていると、一匹の鬼が目に入った。
その逞しくも華奢な鬼は、他の鬼と比べて紅葉のように鮮やかな色をした鬼だった。
その鬼の手には美しい緋色の反物が握られていた。
「おい、そこのやせっぽっち。お前のその反物をよこせ」
「いえいえ、赤鬼さま。これは俺の物です。こんな反物より貴方様の持っている反物のほうが美しいではないですか」
「当たり前だ。俺様のものだからな。さぁ、それをよこせ」
「いえいえ。こんな薄汚れた反物を献上するわけには参りません」
「汚れていても構わん。よこせ」
赤鬼はのらりくらりと話す紅い鬼にだんだん腹が立ち、ついに財宝の中にあった刀を取り出して紅い鬼に切りかかった。
紅い鬼は力はなかったが素早く、赤鬼の刃を何度も見事に交わした。
「赤鬼さま、分かりました。反物を差し出すので刀を納めてください」
「最初からそうすれば良いのだ」
「無礼を働いたお詫びに、このお酒でもいかがでしょう。
なかなかの銘酒です」
「おぉ、そうか。それならすぐ飲むとしよう」
赤鬼は紅い鬼が差し出したお酒をたらふく飲んで、いつしか寝てしまった。
そのスキに紅い鬼は赤鬼の刀を奪って、赤鬼を細かくバラバラになるまで切り刻んだ。それを見た他の鬼は、紅い鬼に慌てて言った。
「お前はなんて馬鹿なんだ! 赤鬼様は身体を切られても死なないし、人間の陰陽師すら怖がる呪いを持っているんだぞ! 目を覚ましたらもう一度術で身体をくっつけて、お前を殺してしまうぞ!」
「そうだ! 地獄の業火ですら燃えないといわれる赤鬼さまの身体だぞ! だから今まで誰も逆らわなかったんじゃないか!」
口々に喚く鬼達を見渡し、紅葉の鬼はにやりと笑った。
「そうかそうか。切っても繋がるし焼いても燃えないか。ならこうしてしまえば良い」
そう言うと紅い鬼は、切られてもなお、未だに生きている赤鬼の身体を次から次へと口の中へ運びむしゃむしゃと食べていった。
これには他の鬼達も目を見張り、赤鬼を食べてしまった紅い鬼を畏れの眼で皆見つめた。
「どうだ。これなら貪欲の赤鬼様とて、もう生き返れまい」
紅い鬼が胸を張ると、突然身体が褐色に変わり始めた。
それは紅い鬼の美しい紅の肌を侵食し、どんどん広がっていった。
「赤鬼様の呪いか!」
「やはり、ただでは済まないんだ!」
もうだめだと他の鬼達は口にしたが、紅い鬼は涼しい顔しながら鋭い爪で自分の身体に様々な模様を書くと、次第に肌は赤銅色になり、爪の傷で描かれた模様は美しい朱色となって輝いた。
不敵に笑った妖しい紅の瞳を持った鬼を見て、周りの鬼達は「新しい貪欲の鬼様だ!」と口々に叫んだのだった。
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「どうだ! よく出来ているだろう。俺様が作ったんだ」
緑の子鬼が得意げになりながら
紙芝居の後ろからひょっこり覗いて笑った。
「うん。良く出来ているけれど、君が作ったのは話してくれる前に聞いたよ」
苦笑いして子鬼に遠慮なく言う。
子鬼は少しだけ眉間にしわを寄せたが、すぐに気を取り直した。
「まぁ、とにかく。我らの紅い鬼様は、鬼は勿論、他の妖怪からも『鬼喰い』として恐れられているのだ。しかも前の赤鬼様と違って、どうしても欲しいもの以外はやたら無闇に手を出さないし、変に威張り腐んない。だから皆、前の赤鬼様よりも慕っているのだ」
ちょっと変わっているお方だがな。そう言って子鬼は締めくくるが、私の「なるほどねぇ」の呟きに、本当に分かっているのかと子鬼が眉を寄せる。
「あ、もしかしてあの変な口調は呪いの後遺症?」
「あー……だと思う。以前は普通に話してたみたいだし。ちなみに赤鬼様の持っていた財宝はそのまま紅い鬼様の物になったんだ。誰も怖くて異を唱えなかったし、当然の権利だしな」
絵本とかで見たことのある鬼とは、随分違う鬼だなとは思ったけれど、まさかそんないきさつがあったなんて。
鬼が鬼を食べるという話も聞いたことがなかったし、子鬼が言ったちょっと変わっているという言葉にもうんうんと頷いた。
ふと、ずっと気になっていた事を思い出す。
すぐさま目の前の子鬼に身を乗り出して訊いてみた。
「ねえ、名前のことなんだけれど」
「ば、馬鹿!」
全部言う前に子鬼に怒鳴られる。
子鬼はあたりをすばやく見回し、何も無いと分かると牙をむき出しにして私に詰め寄り、ドンと足を鳴らした。
「名前の話はするな! 誰かに聞かれたらどうする!」
「だから、なんで名前の話をしたらいけないのか知りたいんだって」
「知らんでいいっ!」
これで話は終いだと吐き捨てて、私の制止を無視して天井裏へとさっさか上っていってしまった。
あたりは何の音もなく、しんと静まり返る。
私は一人小首をかしげた。
なんであんなに名前の話を避けたがるんだろう?
不思議に思いつつ、やっぱり名前になにかあるみたいだと、子鬼の反応を見て私は確信した。
なんとかして名前について調べられないかな。でもどうやって?
子鬼の消えた天井を見上げるが、そこをいくら見つめても答えは出てこなかった。