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妖しい紅  作者: 月猫百歩
籠の鳥
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第十一怪 灰梅に染まる

 自分の足元を紅い鬼火が囲み、円を作る。

 円の中には私。円の外には青い砂時計を持った紅い鬼。


「よし、じゃあ始めるゾ」


 鬼がクルリと砂時計をひっくり返す。

 細かい真っ青な砂が上から下へとこぼれ始めるのと比例して、私の心臓の脈も次第に早足になる。


 円の近くに砂時計を置き、鬼が二、三歩後退して小さく手をなぎ払う。まるで墨汁が水に零れたみたいに闇が広がり、辺りは真っ暗になった。


 紅い鬼も襖も天井も闇に溶け込み、見えなくなる。足元の鬼火だけが目の端でぼんやりと光っているのが見えるだけだ。

 両脇に下げた手でギュッと着物を握り締める。

 これさえ耐えれば籠の自由を獲得できるんだ。がんばらないと。


 闇の向こうで何かか動くのが見えた。目を凝らしてよく見るとチラチラと光る、鶏のようなものが見える。首を前後に動かしてこちらへくる。


 なんだかおかしい。輪郭がぼやけているせいかと思ったが、全体がハッキリ分かる頃に、ようやく違和感の原因が分かった。


鶏はこちらに近づくにつれてどんどん大きくなり、目の前にきた時にはダチョウほどの大きさになっていた。

トサカはかすんだ赤で、目は人の目玉みたいにギョロギョロ動く。くすんだ茶色の羽を盛んに羽ばたかせて、紫色の長い尾羽が畳の上を引きずっていた。


 もうこれは巨大な鶏というよりも怪鳥にしか見えない。


 見たこともない恐ろしい怪鳥を前に、足が震えるのを我慢しながら息を呑む。

 鶏が目と鼻の先まで顔を寄せ、私をひと睨みした後、つんざくような鳴き声をあげた。

老婆が断末魔の叫び声を挙げるような金切り声が辺りに響く。耳を塞ぎたいのを我慢してぐっと耐える。しかし頭の芯が叩かれた鐘のように震え、お腹の中が滅茶苦茶に掻き回されたような変な感覚を覚える。


 き、気持悪い!頭が痛い!


 普段の自分ならすぐさま降参しているところだ。だけれども、今は自由が掛かっているのだ。すぐさま音を上げる訳にはいかなかった。


 やっと鶏が叫ぶのをやめると、突然何の前触れもなく、鶏が紅く燃え出した。そしてグルグルと私の周りを旋回してひと鳴きし、顔すれすれのところを横切っていく。熱いものが耳を掠めて声を上げそうになるが、それもなんとか我慢した。


 通り過ぎた鶏は後ろからもう一度叫び声をあげながら横切ると、闇に消えていった。辺りは先ほどまでの騒音がまるで嘘のように静かになる。


 ちらっと足元の砂時計を盗み見る。砂はさらさらと下へ零れて、上の砂は中心に穴をあけるほどになっていた。


 あともう少し。あともう少しだ!


 思いのほか早く終わりそうだと気を抜いたその時。視線を目の前に戻すと紅い鬼が不敵に笑って目の前に立っていた。


「ほう、なかなかやるナァ。意外と耐えるじゃナイカ」


 嬉しそうに目を細める鬼を目にして身構える。


 今度はなにがくるのかな。砂時計を見た感じ、あと十数秒。本当にあと少し! 


 興奮のあまり酸欠状態になる。頭がくらくらして、全身が脈打っているのを感じる。


 きっと今、自分の顔は興奮しているせいでトマトみたいに赤くなっているんだろう。頬が火照っているのがよく分かる。


 突然何の前触れもなく鬼がガシリと顎を掴んできた。

 一気に身体が強張る。乱暴はしないんじゃ!? と口の代わりに心の中で悲鳴をあげる。


 妖しい紅がまた三日月のように細くなると、赤銅色の顔を近づけてきた。口の端から見える牙に『食べられる!』と恐怖し、ギュッと目をかたく閉じた。


 口が何かでふさがれた。


 一瞬、窒息すると慌てたが、鼻で息をすることを思い出し自分を落ち着かせる。


 次に唇の間になにか生暖かいぬめりとした物が強引に入り込んできた。両手で拳を作って暫く耐えたが、それが歯列を舐めたのでたまらず目を開けた。


 目の前には鳶色とその上を走る朱色の線があるだけ。

 他には何も映らず呆然とする。


 この光景は一体何? 真っ白な一瞬の後、唇の裏に何かが食い込んだ。


 そこで初めて自分の身に何が起こったのか分かった。


 そう、鬼に口付けされただけでなく、唇を噛まれたのである。



 過去今まで出したことも無いような大絶叫を上げる。

 反射的に挙げた手を、鬼は「おっと」と言ってヒラリ避けた。


 私は肩で息をしながら口を手で押さえた。

 何か言いたいのだけれど言葉にならない。何が起きたかもよく分からない。


 ただひどく、ショックなことが起こったのは確かだ。その場にヘタリと座り込み、円からはみ出る。

 鬼はそんな私を見てどこか小馬鹿にした口調で言った。


「大げさだナァ~。甘噛みしたダケじゃぁナイカ。痛くなかったろう?」


『そういう問題じゃありませんっ!』と、叫びたかったが、やはり口元が震えて声にはならない。心臓がばくばくいってあまりの激しさに吐き気まで覚える。


「惜しかったナァ。あと少しばかり時間が残っていたみたいだ。百歩譲って円から出なければ良い事にしようとしたんだが、それもダメみたいだな。残念デシタ」


 紅い手が砂時計を拾い上げ懐に閉まった。

 ようやく呼吸の乱れが治まり始めた時、鬼の馬鹿にした物言いにカチンときて睨みつけると『手を出さないって言ったじゃない!』と、非難の声を上げる。

 鬼はそんな私にひょいと肩をすくめて


「いやいや。『手をあげない』とは言ったが『手を出さない』とは言っていないゾ。ま、どっちもあんまり違わないガナ。それに乱暴はしていないだろう?」


「噛んだじゃない! 嘘つき! 鬼! 悪魔!」


「そりゃ、光栄カナ」


 今思いつく限りの悪口をありったけ言ったつもりが、紅い鬼はどこ吹く風。いつものニヤニヤした笑みを浮かべながら腕組する。


「大体なんでそんなに騒ぐ? 喰われるよりかはマシだろうに。なんだ? もしかして口付けが初めてだったカナ? なら、今度の飯は赤飯ダナ」


「なっ……なっ……!」


 今の言葉に完全に恐怖と怒りの数値が逆転した。

 すっくと立ち上がり、鬼のほうへとツカツカ近寄る。そして思い切り平手で鬼の頬を打とうと手を振り上げたが、いとも簡単にその手を掴まれる。


「よしとけ。逆にまた怪我をするゾ」


「放してっ」


 紅い手から逃れようと、掴まれていないほうの手で、鬼のゴツゴツした手を引き剥がそうとする。鬼はかまわず私の腕を引っ張り自分のほうへ引き寄せると、空いている手で顎をつかみ、顔を上げさせる。


「お前は本当に、活きの良い雛鳥カナ」


 深紅の瞳が妖しく光る。目を細め、獲物でも見るかのような残酷な眼を向けてくる。

 私は一瞬にしてその場に縫い付けられた。

 恐怖に駆られたのではなく、鬼の目に魅せられ、視線を外せなくなったのだ。


鮮やかな妖しくも美しい鬼の瞳。炎のように揺らめく紅。鳶色の肌を朱色の幾何学模様が広がっている。その光景がまた目の前に迫ってくる。


「いい子ダ」


 ただ呆然と眺め、目と鼻の先まで来た時、紅の瞳が閉じた。

 その瞬間私は我に返ったと同時に、自由が利く手で鬼の頬を打った。

 辺りに小気味良い音が響く。


「い、痛っ!」


 と言ったのは私だった。

 相手の頬に平手を打ち付けた時に、鬼の牙で指を切ったのだ。


 薬指から鮮血がこぼれる。綺麗にスッパリ切れたみたいで、ずきずき痛む。涙目になりながら指を押さえていると、はぁと呆れた溜め息がすぐそばで聞こえた。キッと溜め息がした方へ目を向ける。


 あれだけ思い切り引っ叩いたのにケロリとしている。うぅ、なんだか悔しい。


「だから言ったろう。どれ、見せてみろ」


「いいですっ」


 伸ばされた手から隠すように指を引っ込める。

 また何かされたんじゃ、堪らない。


「おぉ、そうかい。鬼の牙でつけた傷はそこらのとは違ってなかなか塞がらない。甘く見るなヨ。小さな傷でも放って置けば、どんどこ血が流れ続ける。失血死しても俺は知らんゾ」


 し、失血死する?


 確かに言われてみれば出血量が多い気もする。でも今までこんなに深く切った事がないので、多いのか少ないのか見当がつかない。


「おい、濡れるぞ」


 肘まで血が垂れてきたのを見て、鬼が袖をまくった。そして何かに気がついたように眉をピクッと動かす。不思議に思って鬼の表情を読み取ろうとした時、紅い目には私の灰がかった色をした左腕が映っていた。私は見せてはいけないものを見せてしまった気がして、慌てて袖を下げようとした。


「よせ。血がつく」


 鬼は私の腕をひっぱり、肘まで垂れた血を舐めあげ、切れた指を口に含んだ。その光景に嫌悪感を感じて目を背ける。そして痛みが引いた頃、鬼は指を放した。


 しげしげと放された薬指を眺める。まだ指が湿っている気がして無意識に渋い顔をしてしまう。


 後で手を洗わないと……。


 感謝そっちの気で心の中でかたく誓う私。ふと、鬼が左腕をじっと見ているのに気がつき、疑問を思い出して腕をかざして訊いた。


「あの、これは一体なんですか? 病気なの?」


「……いや。ここに来た人間がよくなる変化ダ。この世界いるに限っては特に問題はナイ。肌の色が変わるだけ」


 一瞬何か考えたように見えたが、すぐにいつもの軽い口調で言った。特に問題がないのなら別にいいけれど、でも、あまり良い色とは言えない。血色が悪すぎて気持悪い。


 鬼が手を三回鳴らすと部屋から闇が波のように引いて、元の明るさに戻っていく。気がつけば足元にあった鬼火も消えていた。


「さて、鈴音。そろそろ籠に戻ろうか。飯の用意もするからナ」


「……」


 私は口をへの字にして、顔いっぱいに不満を表した。

 まったく、鬼に口付けされるわ、籠には出れないわで散々だ。まだ怒りの虫が治まらない! 良い事と言えばご飯にありつけたくらいだ!


「あっ、そうだ」と、ご飯という単語で思い出して声を出す。


「ん? 何カナ?」


「ご飯は、絶対絶対お赤飯は勘弁して下さい」






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