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妖しい紅  作者: 月猫百歩
籠の鳥
10/40

第九怪 赤く染まる


 日の光とは違う明かりに顔を照らされ、目を開ける。

 籠の向こうにある灯篭が、眠る前に小さくした灯を元の明るさ戻したようだ。

 眠い目をこすって上体を起こす。今ので何回目の起床だったかな。一つ二つと指折り数えてだいたい十二回目。


 この部屋には窓も時計も無い。

 なので今が朝か夜かの区別がつかないし、一日経過したのかも分からない。

 でも鬼の話を聞く限りではこの世界は常に夜のようなので、昼か夜かを知るに限っては例え窓があったとしても意味は無いのかもしれない。


 やや小さめの布団一式を籠の隅に片付け、薄い生地の浴衣からもう何度か着たことのある緋色の着物に着替える。未だにもたつくけれど、最初の頃に比べればマシになったものだ。鏡がないので、視点を変えて自分の目で確認する。一応、きちんと着れているみたい。

 ただ下着類を何も身につけていない為、心なしかスースーする。

 この感覚はやっぱりまだ慣れないなぁと一人呟き、手ぐしで髪をといていると子鬼が部屋に入ってきた。

 その小さな両手で抱えている桶には、濡れた手拭いとクシが入っていて、子鬼がそれらを取り出すと、格子の間から私に手渡した。

 私は受け取った冷たい手拭いで顔を拭き、クシで髪をとかす。それを格子の向こうからから眺めてじっと待つ緑の子鬼。その小さな身体なら無理をすれば入って来ることも出来るのだろうけれど、どうやら紅い鬼から籠の中に入るなと言われているみたいだ。


「ありがとう」


 お礼を言って手拭いとクシを返す。子鬼はそれを受け取ると小走りで部屋から出て行った。

 私はそれを見送り紅い鬼を待つ。

 今日はきちんと来てくれるだろうか。本当なら顔を合わせなくてすむのなら大喜びするところなんだけれど、そうもいかない事情が出来たのだ。


 廊下のほうから床がきしむ音がする。

 それが次第に大きくなると襖が開かれ紅い大きな手が見えた。


「起きているカナ?」


 苦手な鬼の瞳とは、やはり目を合わせることが出来ない。とりあえず軽く頭を下げておく。

 部屋に入った鬼の手には懸盤(かけばん)。その上には質素だけれどちゃんとした和食が並んでいる。

 私が鬼に会わないと困る理由はこれ。私の全ての食事はこの鬼が握っているのだ。起きている間に二回。起床してから直ぐと、お酌をした後だ。


 鬼は何度か私の食事を忘れた。

 一昨日もお酌の後に食事を与えられないまま籠の中に戻され、昨日の就寝前になっても紅い鬼は私の前に現れなかった。

 その間私は食事を与えられず、ずっと空腹と不安に襲われていた。動いていないとはいえ、起きている間は多少の緊張状態が続く。その上一食足りないのだから、なおの事お腹の減りが早かった。


「いやいや。すまなかったカナ。すっかり忘れていてナァ」


 鬼が懸盤を下ろし籠の鍵を開ける。

 久しぶりの食事。やっとご飯にありつける。

 すっかり餌付けされている自分に嫌悪感を感じるが、食べなければ飢え死にしてしまう。

 死ぬのは嫌。鬼は怖いし嫌いだけれど、やっぱり酷い目に遭うのも嫌だった。

 ふらつきながら籠から出ると、置かれたた食事の前に座り手を合わせる。懸盤の上には白いご飯に具のないお味噌汁、焼き魚と漬物が並んでいた。

 私が食べ始めると同時に子鬼が天井から降りてきて、手には薄い紫色の巻物を握っており、一度宙返りをすると畳の上に着地した。紅い鬼は私に『構わず食べろ』と合図し、子鬼から巻物を受け取るとするりと広げ、しばらく黙って眺めた。

 私が食事を半分ほど食べ終えた頃、鬼が視線を巻物から外さずに口を開いた。


「ん~……他には? なにか言うことはナイカ?」


 その言葉に子鬼は申し訳なさそうに首を左右に振る。紅い鬼は不機嫌に鼻を鳴らすと子鬼に巻物を投げた。

器用に子鬼がそれを空中で受け取ると、壁を這って天井裏へと戻っていった。

 何かあったんだろうか。ここのところ、頻繁に何かを調べているみたいで子鬼が来るたびに『何かないか』と訊いている。前に見た夢も気になっていたせいで、根拠もないのに『友人達になにか関係があるのでは』と勘ぐってしまう。

しかしすぐに頭を左右に振ってその考えを否定した。

 縁起でもない事を思い浮かべるのはよそう。無事に逃げたんだから。だから私はここにいるんだから。

 そう自分に言い聞かせて黙々とご飯を食べる。


「なぁ、鈴音」


 突然の呼びかけに思わずむせる。口を押さえながら咳き込み、胸を押さえながら汁を飲む。

 鬼は気にせず言葉を続けた。


「まだ元の所へ帰りたいと思っているのカナ?」


 まだ軽く咳き込みながら、どう答えていいのか分からず目を泳がせた。

 正直に『帰りたい』なんて言って良いのだろうか。なにか引っ掛けるつもりなんだろうか。

 答えに悩んで私が黙っていると、鬼は興味が失せた様でごろりと懸盤の向こうに寝そべった。

 この状況にまたもやどうして良いのか分からずしばらく考えていたが、鬼が何も言わないので静かに食事を再開する。


「ごちそうさまでした」


 両手を合わせて軽く頭を下げる。目の前の横たわっている鬼を盗み見るが先ほどから微動だにしない。

寝ているんだろうか。顔が懸盤に隠れてよく分からない。

 確かめようかとも思ったがそんな勇気はなく、正座して鬼が動くのを待った。



「鈴音」


 どれくらい経ったんだろう。

 鬼は相変わらず横たわったままの状態で、突然口を開いた。名前を呼ばれてビクッと肩を震わす。

 鼓動が激しくなるのを感じて胸の辺りを手で強く握った。ゆっくりとした動きで上体を起こすと、鬼は私をまっすぐ見据えた。私は反射的に目を逸らし俯く。


「お前は俺の眼が恐ろしい様だなぁ」


 終えた食事を間に挟んで、向かい合う。

 鬼は腕を伸ばすと手の甲で私の頬を撫でた。


「それで良い。お前は俺を畏れ、怯えていれば良い」


 目を閉じてなされるがままにする。

 鬼はそれを満足したように笑むと立ち上あがった。


「さぁ鈴音、籠の中にお戻り」


 籠の入り口を開けて手招きする。

 今出たばかりなのに。心の中で不満を口にするが鬼に背中を押されて大人しく従う。

 籠に入ると背後で鍵のしまる音が聞こえ、振り返ると格子の向こうに紅い鬼がこちらを向いて手を振った。


「俺はちょいと出かけてくる。お前はそこでい~ぃ子にしてるんダ。帰ったら構ってやるからナ」


 鬼が部屋から出て行くのを絶望にも似たような感覚で見送る。

 私は一体いつまでこんな空虚な日々を続けることになるんだろう。

 鬼の気まぐれで食事を与えられ、籠から出され、お酌をひたすらする。それ以外何もない。

 外にも出られないし、窓もない。自由に飲める水さえない。ひたすらせまい籠の中でずっと過ごす。

 ため息を吐きながら畳まれた布団の上に腰掛け、ひざを抱えた。

 遠くから喧騒が聞こえてくる。子鬼たちが忙しく働いている音なんだろうか。

 自分だけなんだか別の次元にいるみたいで無性に心細くなってまた溜息をつく。灯篭の色が柔らかな桃色から黄色い光へと変わった。部屋も照らしている光が変わったせいか、雰囲気を少し変えた気がする。


「……え!?」


 ぎょっとして目を見張った。

 自分の左手の色がすこしばかり違って見えたのだ。見間違いではないかと目を凝らしてよく見る。

 右手と比べると、左手は灰色がかった桜色になっている。

 どうして?なんで肌の色が……。

 そう思ってを思い切り左の袖をまくり上げる。

 うそ。肩までもが変色している。

 突然の異変に、急に怖くなって立ち上がったが、すぐによろめいて転ぶ。痛みに顔をしかめると、次の瞬間また恐ろしい事実に気がついた。


「まさか……足が……弱ってる?」


 籠に入れられ、お酌をして。今考えればずっと座りっぱなしだ。足が弱っていても無理もない話しだった。

 私は途端に焦った。

 このままこんな生活をしていたらいずれ満足に歩けなくなる。

そしたらどうなる? 動けなくなった私をあの鬼はどう扱う?

 考えるだけでも冷や汗が出た。早く何とかしないと……。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「いやぁ~今日も上酒カナ」


 嬉しそうに笑う紅い鬼。隣にいるのは正反対な面持ちの私。

 あれから色々策を考えたものの、何一ついい案は浮かばなかった。


「どうした鈴音。暗い顔をして」


「いえ、なんでもないです」


 差し出された盃にお酒を注ぐ。

 お酌なんかしている場合じゃないのに。焦りと苛立ちで顔が歪むが鬼に悟られないよう顔を伏せる。


「そうかそうか。それならいいガ」


 上機嫌に酒を飲み干す紅い鬼。

 今日は随分、機嫌がいいようだ。その様子に少しほっとする。

 何度目かのお酌の時、鬼がいささか不機嫌だった事がある。

無表情でお酒のすすみも悪く、こちらをじぃっと探るように見て一言も話さなかった。結局何も無かったのだが、あの時は本当に生きた心地がしなかった。


 ふと、ある考えが浮かぶ。

 考えといっても大変危ない考えなのだが、賭けてみる価値はありそうだと思う。

 鬼は今この上ないくらい機嫌がいい。そのうえ酔っている。今ここで上手く交渉して『外で少し歩きたい』とお願いし、許可が下りれば足腰が弱るのを防げるのではないのだろうか。

 一応、この鬼は酔っていても記憶がとぶことはないみたいだから、後日『記憶に無い』という心配もない。

 ……約束を守るかどうかは別だけれど。

 でも、何もしないでこのまま歩行不能な状態になるまで待つなんて絶対嫌だ。多少の危険を冒してでも動かないと!


 横目で紅い鬼を盗み見ると、ごくりと生唾を飲み込む。

 酒瓶を掴む手に力が入る。急に緊張してきて心臓が激しく鼓動してきた。

 なんだか息苦しい。


「どうした?顔が赤いみたいダガ」


 鬼がへらりと笑いながら盃を差し出す。

 目は焦点が定まっておらず、危険な輝きは見えない。よし、言うのなら今だ!


「あの、お願いが……あるんですが」


「ほう、珍しいカナ。言ってみナ」


 うん、鬼の反応は良い様だ。もう一度唾を飲み込む。

 緊張で顔が火照り、手と顎がガクガクするが、一度息を吸い込んでぐっと震えを抑える。


「あの、そ、とに」


 お酒を注ぎながらさりげなく言うつもりだったのだが、うわずって上手く言葉が出ない。お酒の入れ物と盃が小刻みにぶつかって何度も小さな音を立てる。

 乱れそうな呼吸を悟られないよう、一度息を吐く。

 そして『言うんだ!』と自分を叱咤して鬼に顔を向けた。


「あの――っ」


 言いかけて止まる。

 顔を上げた先には、いつの間にかすぐ目の前に紅い鬼の顔があった。

 口元は笑っているが爛々と輝く妖しい紅は笑っていない。


「あ、の……」


 鬼と目が合った状態で固まる私。

 紅い鬼のほうは特に何も言わずにじっと見返し、溢れそうになる盃で酒瓶をゆっくり起こす。


「あ……の……」


 目を逸らしたいがまるで固定されているかのように動かせない。

 鬼は視線を外さないまま顔を離し、片方の眉を吊り上げ首をかしげる。


「なにカナ? お願いがあるんダロウ?」


「あ、あ……の」


「おう、なんダ」


「えっと……そ、とに……」


「さっさと言わないカナ」



 あぁ、もう!

 言うんだ、わたしっ!!

 ぐっとお腹に力を入れて声を出す。


「あ、あの!外に!そ……と、と、トイレに行ってもっ……えっと……い、イイデショウカ……」


「……」

「……」



 しばらく沈黙が続いた。

 鬼は珍しくきょとんとして目を何度か瞬かせた。一方私はというと隣の紅い鬼も驚くぐらい顔を真っ赤にさせていた。


「あー……っと」


 鬼はしばらく思考をめぐらすと何かを悟ったようで、手を叩いて子鬼を呼んだ。襖から遠慮がちに子鬼が顔を覗かしたのを確認すると


「子鬼について行きナ」


 どこか拍子抜けした感じで私に言い、子鬼を指差した。

 私は耳まで真っ赤になりながら鬼の言葉に黙ってうなずいた。


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