忘れていたこと
佐伯くんと出かけてから二日後の月曜日。
あの日はネックレスを買った後、佐伯くんがお礼にとケーキを奢ってくれて、二人で食べてから別れた。
家に帰ると携帯に佐伯くんから「ありがとう。」とメールがあって。
私も「ケーキご馳走様でした。」と返事をした。
ネックレス喜んでもらえるといいね、とは、書けなかった。
「ねえ、橘。」
放課後で、帰ろうと鞄の中に教科書を詰めていたら名前を呼ばれた。
顔をあげると、ほとんど話したことのない近藤さんと、田中くんと、新藤さんが立っていた。
三人とは同じクラスだけど、全くといっていいほど交流がなかった。
近藤さんも新藤さんも派手でとてもお洒落な女の子だったし、田中君も(名前こそ地味だけど)ワックスで立たせた髪とかがお洒落な男の子だったから。
私みたいな地味なのとは住む世界の違う人たちで。
「ちょっと今からいい?」
そんな人たちが、私に何の用なのだろう。
何故か良い予感なんて全くしなくて、本当は断りたかったけれど、私は大人しく三人に着いていった。
連れてこれらた場所は、四階の音楽室の隣の、宗教室とかいうよくわからない教室で(本当に何に使う部屋なんだろ・・・)、全員が入るとドアがぴしゃりと閉められた。
「あ、あの・・・」
「橘、土曜日佐伯くんと二人でいなかった?」
へ?
「偶然見ちゃったんだよね。佐伯くんとあんたが二人で駅前歩いてるとこ」
いきなり開始された会話に私は着いていけない。
土曜日。
うん、佐伯くんといた。
だけど、それが・・・?
「ずっと言おうと思ってたんだけどさ、あんた目障りなの。」
「え・・・」
「佐伯くんと喋ったり、一緒に帰ったり。自分がどういう存在かわかってやってんの?」
「うへー、新藤きっついなー」
近藤さんと新藤さんの会話を聞きながら、立っているだけだった田中くんがくつくつと笑った。
「ど、土曜、日は、佐伯くんに、た、たのま、れて・・・」
「は?聞こえない。」
声のボリュームが上がった近藤さんに思わず目を瞑る。
「あんたは、誰かに好意をもつのは自由とか思ってるのかもしれないけどさ、」
近藤さんより小さな新藤さんの声に、何故か神経が震える気がした。
駄目。
それ以上言わないで。
聞いちゃ、駄目。
「あんたに好意をもたれた佐伯くんが、どんだけ迷惑してるかわかってんの?」
聞きたく、ないのに。
「まあ、佐伯くんは人がいいから正直なところとか言わないと思うけど、あんたと一緒にいるだけで佐伯くんの価値が下がるわけ。わかる?」
佐伯くんの価値が。
私と一緒にいるだけで。
「あんたみたいなブスで根暗なやつは、佐伯くんの汚点にしかならないんだよ。」
「あんたが佐伯くんを汚してんの。」
「あんたは佐伯くんに近づいていい存在じゃないのよ」
「あんたは人を好きになっちゃいけないの」
「あんたに好かれた人は、迷惑としか思わないんだから。」
何かがストンと落ちる音がした。
小さな石のようだけど、何故か酷く重い。
それは、私の心の奥に、昔から徐々に降り積もってきた。
「あんたは・・・」
私は、何も言い返せなくて。
ただ、恐かった。それ以上に何かを言われることが。
前にも、言われたことがあった。
だけど、佐伯くんと一緒にいると楽しくて忘れてしまっていた。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
私はただ謝り続けて。
近藤さんたちは満足したように出て行った。
私は、
私は誰かを好きになっちゃいけない。
ただ迷惑をかけてしまうだけだから。
**********
「おい、橘、お前のことが好きなんだってよ!」
中学二年の、一学期の終業式の日だった。
蝉が鳴き出して、教室の中もクーラーなんてなかったからむわっとしていて。
明日から、夏休みっていう日。
「やっ!か、返してよ!」
中学に入学したときから好きだった男の子に、いつか渡そうと思って書いたラブレターを、たまたま鞄から落としてしまった。
そしたらそれを目敏く拾った他の男子が、ひらひらと掲げながら、手紙の相手の男の子へと呼びかける。
「え?」
言われた男の子はこちらをくるりと振り返った。
手紙を持っていた男子は、その手紙をピリッと開けて便箋を取り出すと、書いてあることを声に出して読み始めて。
「や、やだ!返し、て!」
「『私は、入学したときに、上手く話せなかったけど、』」
「お願、い!や、めて!」
もう泣きたかった。
恥ずかしくて。
消えてなくなりたかった。
「『ずっと、笑顔で明るい姿を、』」
「やめろよ!」
ラブレターの相手の男の子の大きな声で、一瞬でシーンと静まった。
私は、彼が私を助けてくれたのだと。
そう思った。
だけど。
「冗談じゃない。ブスに好かれたって、恥ずかしいだけだし。迷惑なんだよ。」
そう言うと、彼は鞄を肩にかけて教室を出て行ってしまった。
まだ、教室は静まったままで。
手紙をもっていた男子は、小さく「ごめん」と言って手紙を私の机の上に置いた。
その時も、ストンと落ちる音がした。
それが、最初だったのかもしれない。
机に置かれた手紙を私は手に取った。
ぐしゃりと、握り締める。
シールも、封筒も、便箋も。
私の心も。
全部ぐちゃぐちゃにして。
ゴミ箱に捨てた。
何故か涙は出なかった。
**********
あの時から、私はずっと思ってきた。
誰かを好きになっちゃ駄目。
迷惑をかけちゃうからって。
ちゃんと、分っていたはずなのに。
「あ、橘!いた!」
宗教室を出て、教室に戻ると、佐伯くんが駆け寄ってきた。
「あ・・・」
「一緒に帰ろうって思ったんだけどさ、なんか見当たらなくて。・・・橘?」
いつもと代わらない優しい声。
大好きな明るい笑顔。
だけど私は目を合わせることができなくて。
「どうした?何かあった?橘・・・」
「やめてっ!」
私の肩に伸ばしてきた彼の手を、思わず払いのけてしまった。
「あ、ご、ごめ・・・」
「いや、それより、お前のほうが・・・大丈夫か?なんか、」
少し目線を上げると、佐伯くんの心配そうな目とぶつかって。
「辛そうだよ。」
お願い。
優しくしないで。
『あんたと一緒にいるだけで佐伯くんの価値が下がるわけ』
「だ、大丈、夫」
優しく、
『あんたに好かれた人は、迷惑としか思わないんだから』
しないで。
「荷物もつし、駅まで一緒に」
「私、今から職員室にいかなきゃ行けないの。」
「え?あ、そうなんだ。じゃあ待っとくし」
「何時になるかわからないから、先に帰って。」
つま先が、揺れている。
ゆらゆら。
ゆらゆら。
にじんでく。
「ごめんね。」
私は鞄を引っ掴んで教室から飛び出した。
佐伯くんは追いかけてこなかった。
また、接点のない、
人気者と
地味なヤツ
に戻る。
ただ、それだけのこと。
これで、いいんだ。
これが、正しいんだ。
これしか、駄目なんだ。