一人
朝のSHRがもうすぐ始まる。
あと三分くらい?
当然ほとんどの生徒が教室にいて、先生が来るのを待っている。
「橘。おはよ。」
ぎりぎりの時間に、佐伯くんは友達と話しながら教室に入ってきた。
席に座っている私の肩をぽんと叩いてから自分の席へと歩いていく。
佐伯くんに話しかけてもらえたのはすごく嬉しいんだけど・・・。
斜め前の席を見る。
まだ、その席の主は来ていない。
白石佳世。
その席の主の名前。
小学校から仲の良い、私の幼馴染。
チャイムが鳴るのと同時に、私の携帯電話が制服のポケットの中で震えた。
こっそりと開いてみると、それはやっぱり佳世からのメールで。
【ごめん。熱が出て、今日は一日休みます。】
そう、あっさりと書かれていた。
私は空いたままの佳世の席をみる。
いつも一緒にいる佳世が休みなんて初めてで。
佳世は何をするにも一緒で。
というか、人見知りの激しい私は佳世くらいしか話せる友達がいなくて(佐伯くんは別)。
今日一日、どんよりとした不安を抱えて過ごさなきゃいけないみたいだ。
**********
「はーい!集まって!」
先生の声で、クラスの女子がぞろぞろと固まる。
今は体育の時間で、前には臙脂色のジャージを着た先生が立っている。
「今日からハンドボールをします。」
先生が言うと、皆が口々に不平を言い出した。
テニスがいい、とか。
バスケがいい、とか。
・・・私はもともと体育が苦手だから、どの競技も嫌なんだけど。
「静かに。まずはボールのパスから練習してもらいます。適当に二人ペアになって。」
適当にペアを作る。
その言葉に私はなんだか身体がギュッと固まってしまった。
周りはすぐにペアをつくっていく。
本当に一瞬でペアが出来上がっていく。
どうしよう。
今日は佳世がいない。
私、誰と組めばいいの。
「はい、ペアは組めましたか?」
先生がぐるりと見渡す。
その視線から逃れるように、私は体育座りした膝に顔を埋めて、更に小さくなった。
「余ってる人、いない?」
先生の質問に、私はおそるおそる手をあげた。
ゆっくりと。
「あ、橘さん一人なのね。」
その言葉に、一斉に周りの視線が私に飛んでくるのが分った。
見ないで。
お願い、見ないで。
もう、どこかに穴を掘って逃げてしまいたかった。
「先生ー!あたしたち三人でやっちゃ駄目ですかー?」
「え?そこ三人なの?」
私とは少し離れたところから声がして、先生がそれに反応する。
「うん。ねえ、三人じゃ駄目?」
「丁度いいじゃない。橘さん一人だし、そこの一人が橘さんと組んで。」
え。
顔をあげて声のほうを見ると、あまり話したこともない近藤さんたちが三人立っていて。目が合うと、思い切り嫌な顔をされてしまった。
近藤さんは後ろを向くと、あとの二人に何かをコソコソと話し出して。
なんとなく、私のことを話しているんだろうなと思って、
不安で唇をぎゅって噛んだ。
「はい、もう近藤さんと橘さん組んで。じゃあ適当に散らばって始めて。」
私が近藤さんに駆け寄ると、彼女はまだ文句を言っていた。
私に気が付くと、また嫌そうに顔を歪めたので、私は小さく「ご、ごめんね」と謝った。
ボールは近藤さんが持っていて、ボールがこちらに投げられた。
私はそれを目で追い、走る。
「あ・・・あ・・・」
ボールは私の横を擦り抜けて、一度バウンドすると、後ろへと転がっていった。
「ご、ごめ・・・」
私が謝ると、近藤さんは苛ついたように眉を寄せて、ふいと顔を逸らした。
私は慌ててボールをとりに走る。
ボールを捕まえたとき、たまたま近くでパスをやっていた子がこちらを見ていた。
私は「ごめんね」と言って戻ろうとしたら、その子は、
「優子(近藤さんの名前)も災難だね。」
と、鼻で笑った。
私、また迷惑ばかりかけてる。
何も言い返せずに元の場所へと戻った。
もう、泣きたかった。
**********
チャイムが鳴る。
先生が出て行く。教室内が一気に騒がしくなった。
体育で疲れて帰ってきてから四時間目を受けて、やっとお昼休み。
皆が賑やかにご飯を食べ始める。
私は、今日は佳世が休みだから。
自分の席で一人でお弁当を広げた。
一人で食べるのは初めてで。
誰も私のことなんて見ていないのに、一緒に食べる人がいないということが、何故かとても惨めなことに思えて、顔を上げられなかった。
一口目を食べようとしたとき。
「あれ、橘って弁当派だったんだ?」
箸が止まる。
顔を上げると、楽しそうに笑う佐伯くんと目が合った。
「あ、う、うん・・・」
一人でお弁当食べるところなんて見られたくなかったのに。
私は恥ずかしさから、再び下を向いた。
「俺も今日弁当なんだ。一緒に食っていい?」
「え?」
「他のやつみんな学食でさ、俺、一緒に食べるやついなくて。駄目?」
佐伯くんが、お願い、と手を合わせてきて。
一緒に食べる人がいないなんて、そんなことありえないのに。
私に気を使って言ってくれてるなんて、分りきったことなのに。
私は、「い、いいよ」としか、答えることができなかった。
「まじで!ありがと。」
そういうと、佐伯くんはコンビニのお弁当を席から持ってきて、私の前に座った。
お弁当って・・・。手作りじゃなかったんだ・・・。
「今日体育で何やった?」
ぱかりとプラスチックの蓋をあけながら佐伯くんが話し出した。
「は、ハンドボー、ル」
「いいなー。男子は短距離でさ。俺は球技のほうが好きなのに」
「そ、そうなんだ・・・」
「橘はさ、球技と陸上、どっちのが好き?」
「え、えっと・・・陸、上」
「まじかー。じゃあ今日入れ替わりたかったし」
「え、」
話すのは佐伯くんばかりで。
私は短く答えたり相槌を打つだけで、話を展開していくということができない。
お弁当も食べなくちゃいけないし。
口数が少ない私にも、佐伯くんは楽しそうに話し続けてくれた。
「ハンドボール、嫌い?」
「う、うん。」
「なんで?」
「え・・・あの、」
「あ、ボールが怖いとか?」
「う、うん」
「ボール怖いんだ?かわいー」
か、かわいい!?
予想外のその言葉に、勿論免疫なんてあるはずもなく、私の顔がみるみる熱くなって行く。
「あれ、顔赤くない?橘?」
「あ、その、こ、これは、」
私は何もいえなくて、思わず下を向いてしまった。
そしたら、その頭にぽんと佐伯くんの手が置かれて。
「ボール怖いならさ、今度一緒にパスとか練習しような」
そう佐伯くんが言うのを聞くと、顔はますます熱くなって。
嬉しくて。
そっと顔を上げた。
「あ、ありが、とう」
一緒に食べてくれて。
楽しい話をしてくれて。
私なんかに笑顔を向けてくれて。
優しくしてくれて。
嬉しくて嬉しくて嬉しくて。
うっすらとはった涙の膜が、もうすぐで破れそうになった。