眩しい夢
夢を見た。
それは、どんな内容のものだったか忘れてしまったけれど。
眩しい夢だった気がする。
眩しくて、
眩しくて、
寂しい夢だった気がする。
**********
「あーやーこ。」
音楽の授業が終わって、まわりはがやがやと教室へと戻っていく。
「あ、佳世。」
「何ぼおっとしてんのよ。」
「あ、ご、ごめん。」
音楽の用意を抱えた幼馴染の佳世が傍に立っていて、私は慌てて教科書やノートをまとめた。
今日はなんだか変だった。
何故か何事にも集中でない。
お昼ごはんの時も、なかなか箸が進まない私に、佳世は加減なしにデコピンを食らわせてきたし。
ふと、夜に見た夢のことを思い出してしまう。
どんな内容だったかなんて覚えていないけれど、そのことが頭を過ぎると、さっきのようにぼおっとしてしまうのだ。
廊下に出ると、もう日が傾いてきていた。
十月に入ると、夏休みの長い昼が嘘のように一日が短くなっていく。
「もうすぐ中間テストだねー」
窓の外を見ながら佳世が言う。
「あ、う、うん。」
「勉強してる?」
「し、して、ない・・・」
中間テストのことは忘れていたわけではないけれど。
まだ何も手を付けられていなかった。
「綾子、数学苦手じゃん。大丈夫なの?」
「・・・わ、わかん、な、い」
別に、文系科目が得意というわけでもないけど、数学は本当に駄目だった。
なんというか、数字と文字の羅列が、生理的に受け付けない。
私の返答に、佳世はため息を一つ吐き出して、私の方を向いた。
「仕方ないなあー。今日スタバ寄ってから帰ろっか。」
「え?」
「抹茶フラペで数学教えてあげる。」
二っとわらった佳世の顔は、逆光でよく見えなかったけれど、
「う、うん!」
私は久しぶりに佳世と行くスタバに少し嬉しくなって、首を勢い良く縦に振った。
**********
駅前ということもあって、スタバはいつもお客さんでいっぱいだ。
今日ももちろん例外ではなく、入ったときは満席で、少し待ってやっと二人分のカウンター席が空いた。
私と佳世はすぐにその席に荷物を置いて、私はお財布をもってレジへ行き、自分の分と佳世の分の抹茶フラペを買ってきた。
「ん。ありがと。」
二人で並んで、座ると、そのスペースは少し狭かった。
「よし、じゃあ勉強しますかー。」
「う、うん。」
佳世は抹茶フラペを少し端へよけると、カウンターに数学のノートと問題集を広げた。
「はい、今から分りやすく説明してあげるからよく聞いてよ。数列の基本は綾子も・・・」
佳世がすらすらと説明していくのを、私は一生懸命聞こうとする。
「この問題は、」とか「このxに三を代入して、」とか。
確かに、分りやすい説明で、私でもなんとか理解していけたけれど。
カララン。
入り口の扉に付いた小さな鐘が鳴った。
その音はそんなに大きくないから、今までは全く聞こえなかったのに。
何故かその時だけは入り口の方を反射的に向いてしまった。
あ・・・。
そこには、違うクラスの男子二人と話しながら入ってきた佐伯くんがいて。
私の注意はもはや佳世の説明からは完璧に切り離されてしまった。
佐伯くんは私たちに気が付くことなく、カウンターとはレジを挟んで反対側のテーブル席の方へと行ってしまった。
話かけたかったな・・・。
「綾子!」
「は、はいっ!」
名前を呼ばれて慌てて佳世のほうを見ると、佳世はしかめっ面をしていて。
「あんた、私の説明をスルーするなんていい度胸してるじゃないの。」
「ご、ごめ、」
「・・・佐伯?」
「え・・・」
予想外の発言に、私は思わず固まった。
「今、入ってきたでしょ。最近、綾子、佐伯と仲良いみたいだし。」
「な、仲良く、なんか・・・」
「話しかけにいかなくていいの?」
佳世は一旦ノートと問題集を閉じると、端にあった抹茶フラペを手に取りちゅーっと飲んだ。
「うえ。結構溶けてる。」
「あ、あの、」
「はい、一旦休憩中なんだから。挨拶くらいしておいで。」
そう言われてもなかなか席を立とうとしない私の背を、佳世は「ほら」と押した。
しぶしぶ歩き出す。
テーブル席はカウンター席よりも賑やかで、思わず足が竦んだ。
ぐるりと見渡すと、一番奥のほうの四人掛けのテーブルに佐伯くんを発見して。
おそるおそる近づく。
「ぎゃはははは!まじかよ!」
「ウケるんですけど!松田!」
いきなり佐伯くんと一緒にいた二人が大声で笑い出して、びくりとする。
私の苦手な、派手な男子。
私の足は、完全に止まってしまった。
「ちょ、お前ら、声デカいって・・・」
佐伯くんの慌てたような声が聞こえる。
あと少しなのに。
やっぱり私の足は前に進んでくれなくて。
「あっれー?秀介じゃん!?」
高い声と同時にドンっと身体を押される。
見ると、同じ制服を着た、知らない女の子が佐伯くんのほうに歩いていっていて。
「お、萌子じゃーん。今帰り?」
佐伯くんじゃない男子が応えた。
その女の子は少しお化粧をしていて、ストレートの髪がさらりと綺麗で。
佐伯くんたちのグループに入っていくのは、本当にごく自然で。
それは、なんだかとても眩しかった。
もう、戻ろう。
私は、今は場違いだから。
そう思って、くるりと方向を変えた。
一歩、一歩、佐伯くんたちから離れていく。
眩しかった。
すごく。
あの女の子も。
佐伯くんたち男の子も。
私には、遠い光のようで。
入って行ってはいけない。
そんな、違う世界のようで。
私も、もっと可愛かったらよかったのに。
そしたら、きっと今だって。
今だって・・・
「橘?」
呼ばれた名前に、びくりと止まる。
「橘、だよな?」
ゆっくりと後ろを振り返る。
うそ。
まさかね。
「やっぱり橘だ!」
嬉しそうに目を細めた佐伯くんが、こちらに歩いてきていた。
「あ・・・わた、し」
私を見つけて、佐伯くんから話しかけてきてくれて。
あの可愛い女の子もいるのに。
それが少し信じられなかった。
他の三人からはなんとも言えない視線を向けられ、私は慌てて下を向いた。
「どうしたの?」
「さ、佐伯くん、が、入ってくるの、見て、」
「うん。」
「その、あ、挨拶、した、くて、」
私の言葉を聞いて、佐伯くんは更に嬉しそうに笑った。
「まじで!わざわざ来てくれたんだ?」
「う、うん。」
迷惑、だったかな。
少し不安になったけど。
「ありがとう!」
佐伯くんがすごく嬉しそうで、私はここまで来て良かったと思った。
カウンターに戻ると、佳世に「遅い」と怒られ、私の分の抹茶フラペまで無くなっていたのは、今からあと少し後の話。