冒険者ギルド
彼女に着いて行くと、王都の一等地に建つ白亜の屋敷の前で足が止まった。
フィオナが門に手を翳すと、魔力認証の淡い光と共に、重厚な鉄格子の門が無音で滑るように開く。
「…ねぇ。貴女、本当に何者…?」
思わず呟くと、彼女は耳まで真っ赤にして、指先を弄りながら言った。
「私は…、その、ただの冒険者…です」
私は更に困惑した。
この規模の屋敷は、五百年前は男爵から子爵の間の貴族で、一級だとしてもこのような立派な建物は維持できないはずだ。
『お嬢さん。アナタの常識をアップグレードしてください。現代のSSランクの冒険者は、一回の依頼で小さい王都の土地が買えるんですよ』
ルーネがぼそっと『まぁ、命の危険性が高い依頼だったとしすればですね』と言い、この世の発展に感心する。
重厚なマホガニーの扉が開くと、外の喧噪が嘘のように消え去った。
辺り一帯には、朝霧に濡れたローズのような、甘みと爽やかさが絶妙に混ざり合った香りが満ちている。
内装は一見すると「質素」だ。
だが、壁一面を飾るのは金銀の装飾ではなく、魔力を帯びたどこか懐かしい白の壁に、美しい風景画。
廊下に敷かれた絨毯は、踏みしめる度に足首まで沈み込むほど毛足が長く、魔獣の毛を贅沢に編み込んだ一級品となっている。
通された客間には、無駄な調度品が一切なかった。
しかし、中央に鎮座する長椅子の脚は繊細な彫刻が施されてた銀製で、天井から吊るされたシャンデリアには、火も使わずに柔らかな光を放つ魔導結晶が惜しげも無く埋め込まれている。
…趣味が良すぎる。派手さで誤魔化さない、本当の『贅沢』を知っている人の部屋だ。
五百年以上前にエルフ国は屋敷が派手なほうが上級階級という謎の大ブームが流行り、国家ギリギリになったことを思い出した。
「どうぞ、座ってください。今、お茶を入れますね」
フィオナが、棚に置かれた細かな彫金が施された銀のポットを手に取った。
注がれた琥珀色の液体が、光を透かせるほど薄く繊細な磁器のカップに満たされていく。湯気と共に立ち上がったには、マスカットのような爽やかさと、深みもある芳醇な香りだ。
「その…、この度はありがとうございました」
彼女はカップを私の前に置くと、座ったまま深く、絞り出すような声でお辞儀をした。
「別にいいよ、たまたま通りかかっただけだから。…それより、まずは飲みなよ。まだ顔色が悪い」
『お嬢さんが人を気遣うとは!?ワタシ、お嬢さんの成長に感動の涙で止まりません』
…この駄猫、後で絶対に叩く。
『お嬢さん、アナタの考えてること少しは分かりますよ…。叩くと動物虐待ですよ』
そもそも、こいつを「動物」という括りに入れていいのかも怪しいのだ。
私は売られた喧嘩は買う主義だと知っていてなお、わざわざ煽ってくるルーネが悪い。
私は冷ややかな魔力を一滴だけ混ぜて、念話を叩きつける。
『——ルーネ。少し、精神的な「再教育」が必要みたいだね?』
私の瞳がスッと細まったのを感じたのか、ルーネはそれ以上何も言わなくなり、気配を消して私のバッグの中に入り、中で置のようにお行儀よく丸まっていた。
私は優雅に紅茶を一口含む。
そしたら、心地よい渋みと共に、鼻に抜けるフルーティーな甘みが口の中に広がった。喉を通り過ぎた後も、驚くほどスッキリとした余韻が残る。
…美味しい。これ、ダージリンのセカンドフラッシュ…?
まただ。自分の思考から零れ落ちた、聞き馴染みのない、けれど懐かしい響き。
この世界には『茶葉』の種類はあっても、そんな名前のブランドは存在しない筈なのに。
私は動揺を悟られないよう、琥珀色の水面を見つめて思考を巡らせた。
「…お口に、合いませんでしたか?」
私の沈黙を不安に思ったのか、フィオナが上目遣いで尋ねてくる。
「ううん、凄く美味しい。…フィオナは聖女か何か?」
核心を突く問いに、フィオナは困ったように眉を下げ、ティーカップを見つめた。
「…いえ。私はただのヒーラーなんです」
「…同じじゃないの?」
私が首を傾げると、彼女は苦笑いを浮かべて説明してくれた。
彼女の話をまとめると、この国において『聖女』とは教会が幼少期から英才教育を施した、身分も誉れも高いエリート職。対して『ヒーラー』は、単に治癒魔法の適性があるだけの存在―いわば専門職と日雇い労働者ほどの壁があるらしい。
「ヒーラーは魔獣の浄化や傷の手当をしますが、聖者様のように『国の結界』を維持したり、大規模な儀式を執り行うことはできません。…私はただ、人より少しだけ、聖魔法が得意なだけです」
謙遜するように言う彼女だが、私は先ほど感じたあの『神に近い魔力』を思い出していた。
…断言はできないけど、この神の魔力に近いのは聖魔法が得意な人の特権かな?
だが、今まで見てきたどのヒーラーからも、このような魔力を感じたことはない。
バッグの中で拗ねて固まっている駄猫は教えてくれそうにないので、私は考えるのをやめ、本題を切り出した。
「そうだ。王都に来たばかりで、冒険者ギルドに行きたいんだけど…場所、分かるかな?地図は高いし、そもそもあれを読むの苦手なんだよ」
五百年前の地図とは街の形も規格も違いすぎる。今は大分マシにはなっているが、いちいち読むのが面倒くさいので、それを「苦手」の一言で片付ける私に、フィオナは少し驚いたような顔をしてから、ふわりと微笑んだ。
「ふふっ、いいですよ。お礼も兼ねて、私が案内します。…ちょうど私も、ギルドに行かなきゃいけませんし」
◇
冒険者ギルドは、年季の入った巨木を贅沢に使った三階建ての堅牢な建物だった。
周囲には、怪しげな薬草の香りを漂わせる魔導具店や、絶え間なく槌音が響く鍛冶工房、そして旅人を手ぐすね引いて待つ宿屋がひしめき合い、この雰囲気だけで「戦場への玄関口」としての熱を帯びている。
真鍮の重厚な取っ手を押し込み、中へ入る。
その瞬間、暴力的なまでの活気が肌に刺した。
「ガハハ!今日はオークの群れを掃除してやったぜ!」
「おい、こっちの酒がたりねぇぞ!」
吹き抜けになった広いホールは、幾多の死線を潜り抜けたであろう荒くれ者達の怒号と笑い声が反響している。
エルフ国のギルドはもっと殺伐として、辺り一面、血と泥の匂いが染みついたこと、静寂は暗黙のルールとしてあるが、ここは違う。魔石を用いた淡い照明が店内を隅々まで照らし、酒の匂いに混じって、現代的な「魔導インク」の独特な香りが鼻をくすぐった。
私達が一歩踏み込むと、それまで騒がしかった入り口付近の冒険者達が、ふと動きを止める。
正確には、私の隣を歩くフィオナの姿を見つめ、波が引くように道が開いて行った。
私達はその道を歩いて、カウンターに向かった。




