ハッピーバースデートゥーユー
瞼が重い。
意識が浮上するよりも先に、鼻を突く鉄錆の匂い―血の異臭が脳を支配した。
ゆっくりと目を開ければ、そこには見たくもない現実が横たわっていた。
フェリクス、クララ、そしてリリー。
昨夜から止まったままの彼らの周りを、無情にも数匹のハエが飛び交っている。
記憶が正しければ、私が気絶をする前は夕方だったはず。けれど、今は眩しいほどの朝日が天高く昇り、冷え切った家の中を照らしていた。
「…ハッピーバースデートゥーユー、ハッピーバースデートゥーユー…」
枯れ果てた声で歌いながら、私は無意識に癒しの魔法を編み続けた。
震える拳から溢れる金色の光が、三人を包み込む。いくら魔力を注ぎ込んでも失われた体温は戻ることは無い。そんなのは知っている。けれど、奇跡を願ってずっと編み込んでいる。
「ハッピーバースデーディア…リリー。ハッピーバースデートゥーユー…」
最後まで歌いきる前に、堪えていた大粒の涙が溢れ出し、視界がぐちゃぐちゃに滲んでいく。
もし、私がいち早く帰ってたら。
もし、私が『星降る果実』なんて獲りに行かなかったら。
もし、最初から三人を見守っていられたなら。
リリーは今頃、あのとろけるような笑顔で「ありがとう、ししょー!」って言ってくれたのかな。
ありもしない『もしも』の未来が、呪いのように私の胸を掻き毟る。
私はリリーの冷たい頬を、壊れ物を扱うような手つきでそっと撫でた。
『―こんにちは、お嬢さん』
足音が無い。いつの間にか、私の目の前に一匹の黒猫が凛と佇んでいた。
「…さっき、アーカイアが言ってた猫?」
『ええ、その通りです。ルーネとお呼びください、お嬢さん」
猫の瞳は、あの神達と同じ、透き通った金色の瞳をしている。
「そう。とりあえず、三人を埋葬するよ。手伝ってもらえる?」
感情を押し殺した私の問いに、ルーネは目を細め、優雅に頭を下げた。
『もちろんですとも』
ルーネは尻尾を揺ら揺らと揺らしながら、魔術で私の手伝いをしてくれた。
三人の墓を家の隣に作り、結界を貼り直し、誰も居なくなった家を掃除して。
そうすればあっという間に夜が来てしまった。
私は机にうつ伏せになり、ただ静寂を聞いている。
リリーがはしゃぐ声も、フェリクスと交わした料理の音も、クララと笑い合ったお茶の時間も。
何もかもが消えてしまった、冷たい家。
『生き物は、ご飯を食べなければ死んでしまいますよ』
頭の上から降ってきたルーネの声。
私は、聞こえないフリをして、ただ目を閉じた。
◇
眩しい朝日が、容赦なく私の瞼を透かしてくる。
ちゅん、ちゅんと、昨日と変わらぬ無邪気な小鳥の鳴き声。
世界はこんなにも残酷に、何もなかったかのように動き出している。
重い頭を上げ、窓に映った自分の姿を見て、私は息を呑んだ。
チョコブラウンだった髪は、光を吸い込むような漆黒へ。蜂蜜色だった瞳は、凝固した血を思わせる禍々しい赤へと変わっていた。
―フォーレンエルフ。
絶望と復讐心、神の信仰心の薄さに心を焼かれた個体のみが辿り着く、エルフの成れの果て。一度堕ちれば二度と戻れず、故郷を踏むことさえ許されない、歩く禁忌。
「…あぁ、もう、二度とあそこには戻れない」
声を出すと、喉に焼けた鉄を流し込まれたような激痛が走った。
『おはようございます、お嬢さん。まずはこれを。どうぞ、こちらのポーションと果実を口にしてください』
ルーネが差し出してきたのは、魔力回復のポーションと、青紫色の苺に似た果実だった。
ポーションの苦味さえ、今の私には酷く遠い。果実を一口齧れば「ぷちっ」とイクラのような心地よい食感と共に果汁が溢れる。けれど、甘みも酸味も、私の舌は一切受け付けなかった。ただ、生きるための「作業」として咀嚼を繰り返す。
…もう、いい。皆の元に逝った方が楽…。
私はふらふらと、酔っ払ったような足取りでキッチンに向かった。
無機質に光るナイフを手に取り、その冷たい刃を自分の首筋に当てる。
少し、力を込める。
じわり、と熱い血が伝う感覚がした、その時だった。
『お嬢さんはその末路を選ぶのですか?ワタシだったら御免です』
いつの間にか、ルーネが目の前に佇んでいた。その金の瞳が、私の魂を見透かすように輝く。
『復讐は、したくないですか?アナタの家族を無残に殺した奴らを、その手で懲らしめたくないですか?』
復讐。
その言葉が、死にたがっていた私の脳内に火をつけた。
首筋の痛みなど、どうでもよく思えてきた。そうだ、私は、私の家族同然の命を奪った奴らを、この世から消し去るために生きてるんだ。
…何をしてるんだ、私は。
「…絶対に殺してやるよ。私の大事な人達を奪った報いを」
ナイフを床に落とす。カラン、と乾いた音が静かな家に響いた。
『決意が籠った、いい表情です』
ルーネは目を細め、どこか懐かしむような、慈しむような表情で私を見つめていた。
私の心臓に灯った赤い炎は、もはや悲しみでは消えない。そこには「復讐」という二文字が、消えない呪いのように刻まれていた。




