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不信とクララの気持ち

 彼女に着いて行くと、深い緑の隙間から、古びた木材建ての家が見えてきた。

 軒先には色とりどりの薬草が干され、煙突から細い煙が立ち上っている。


「あれが貴女の家?」


「そうよ。私には三つ年上の旦那が居るから“私達”の家だね」


 私はほぇーと生返事をしながら、その家を凝視する。

 一見するとただの質素な家だが、その周囲には薄い膜が展開しており、その膜に無数の文字が並んでいる。


…へぇ、細かいところまで書いてるね。人間にしては高密度の『魔獣除け』の結界か。


 私からすれば、濡れた薄紙のような強度しかない。

 だが、この国において、これほど丁寧に術式を組める人材は片手で数えるほどしかいないはず。


「旦那さんは、魔法師か何か?」


 立ち止まった彼女の背中が、一瞬ピクリと跳ねた。

 振り返ったクララの瞳には、先ほどまでの優しさとは違う、私を品定めするような鋭さが混じっている。


「…鋭いね」


「伊達に五百年以上生きているエルフだよ。それで、私が変な気を起こしたら旦那さんに倒してもらおうと?」


 彼女は図星を突かれたらしく、観念したように肩を竦めた。


「…自衛のためよ。国外追放されているようなエルフや亜人、人などを、丸腰で家に招くほど私はお人好しじゃないわ。今のところ、貴女から殺気は感じられないから信じているけど」


「ねぇ、殺気が無くても生き物ってすぐ死ぬんだよ?本当に手慣れた奴はわざと殺気を消して近づいてくる」


 私はお人好しではない。…はずだけど、何故かこの無知な人間に、最低限の生存戦略を伝えたくなった。


…なんだろ、この感じ。懐かしいな。


 胸の奥を、正体不明な懐かしさが通り過ぎていく。

 魔法団に入ってからの訓練でも、この事を教わらなかったはずなのに。

 心の深い場所に、沈没船のように沈んでいた「何か」が冷たく寂しい音を立てて揺れていた気がした。


「…まぁ、私は無駄な殺生は嫌いだから何もしないけど。クララ、悪い事は言わないから、『フォーレンエルフ』にだけは気を付けてね」


 私の言葉に、クララは息を呑む。

 その名は本来、エルフのみが秘匿しているもの。亜人、ましてや人間には決して漏らしてはならない名前だ。


…私、何言ってるんだろ。追放されたからって気が緩み過ぎじゃない?


 自分の口から出た禁忌の単語に、自分自身で戸惑う。

 彼女が問い返そうと口を開きかけた時、私は人差し指を自分の唇に当てて、悪戯っぽく、けれど突き放すような笑みを浮かべた。


「この事は、誰にも言っちゃダメだよ?…もし言っちゃったら、どうなるんだろうね?」


 僅かに黄金色の帯びた瞳を細め、獲物の喉元を爪を立てるように囁く。

 恐怖に固まるクララは数秒だけ楽しんでから、私はパッと指を離して花が咲くように笑った。


「ふふっ、冗談じゃないけど冗談だよ」


…案外、人間ってからかい甲斐があるなぁ。


 呆気にとられて立ち尽くす彼女を置いて、ふと顔を上げる。

 空は濃いオレンジから藍色へと、溶け合うように移り変わっていた。五百年も生きてきたけれど、こんなにも綺麗な夕焼けを眺めたのは、もしかしたら初めてかもしれない。


「ねぇ、もう暗くなっちゃうし。…今夜はここに泊まってもいい?」


「え、ええ…。そうね、家に入ろうか」


 毒気が抜かれたようなクララの返事に満足して、私は彼女に続いて結界の内側へと足を踏み入れた。


「これ、貴女達が育てているの?」


 そこには小さな野菜畑と薬草畑があった。

 薬草の大抵は見慣れた草花だが、野菜は見慣れないものの方が多い。


「そうよ。森の中で暮らしていると、栄養バランスがどうしても崩れてしまうからね」


 なるほど、と納得しつつ彼女達の家に向かう。

 白い壁に灰色の木材の屋根。数人が住めば窮屈になってしまいそうな、本当に小さな家だ。


…私の国でもこんなに小さい家は初めてだ。


 王都に住んでる―私が王女なのも原因かもしれないが、王城の馬小屋でさえこんなにも小さくはなかった。


 ギィ、と古びた木材の扉が軋んだ音を立てた。


「お帰りなさい、クララ。…そちらの方は?」


 部屋の奥から声がした。

 金髪に、サファイアのような深い青の瞳。整った顔立ちの男性が、優雅にコーヒーを飲みながら、こちらの瞳をじっと見つめている。


「どうも、リリアーナと言う。暗いからここで泊まらせてくれないかな?」


…この気品、どう見ても上級位の貴族なんだけどなぁ。


「ええ、かまいませんよ。俺はフェリクスと言います。クララの夫です」


 フェリクスと名乗る男性の微笑は一見、優しそうで好感が持てるが、その奥には射抜くような冷徹な光がある。


…警戒されているのは当たり前か…。


「はい、よろしくお願いします」



 チョコレートのような濃い茶色に蜂蜜のような甘い瞳のリリアーナと名乗っていた少女。

 外見は十二歳くらいの小柄な体型だが、その奥に秘められた知識と魔力は、私達が知っている「子供」のそれとは到底かけ離れていた。


『ねぇ、殺気が無くても生き物ってすぐ死ぬんだよ?』


 皿を洗いながら、クララはその言葉を反芻する。

 あの時のリリアーナの瞳は、多数の死線を潜り抜けてきた者にしか宿らない、静かな拒絶の色を帯びていた。


「クララ、大丈夫?」


 背後から声をかけたのは、夫のフェリクスだ。

 金髪にサファイヤの瞳を持つ彼は、かつて公爵家の嫡男として将来を嘱望されていた。今はこうして、クララと共に森の隅で静かに暮らしているけれど。


「ええ、あの子の食べっぷりが凄かったから、少しびっくりしただけよ」


 リリアーナは三人前以上を何気なく食べており、正直驚いた。


「確かにね、凄い量を食べていたよね」


 フェリクスがクスリと笑い、クララもそれにつられて笑ってしまった。


「あの子の事、これからどうしようね」


 クララは手を止めて、夜の静寂に溶けるような声で呟く。


「クララのしたいようにすればいいよ」


…私がしたように。


 リリアーナを見て、私は反射的に彼女を家に招きたいと思ってしまった。

 何故だか分からない。けれど、小さく笑うリリアーナは、不慮の事故で亡くした娘のリファーに重なって見えたのだった。

 髪も瞳も色も、何もかもが違うはずなのに。


…きっと、フェリクスも同じことを思ったんだろうな。


 フェリクスの穏やかな、けれどどこか寂しげな眼差しを見て、確信する。


「ありがとう。明日、あの子を交えて話し合いをしましょう」


「そうだね」

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