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小さな日常

 ごろり、と寝返りを打つと、顔に柔らかくて生暖かい感触が当たった。

 ゆっくり瞼を持ち上げると―そこには、フィオナの豊かな胸が至近距離に鎮座していた。


…大きい…。


 無意識に自分の平坦な胸元を手のひらで確認し、羨ましさと敗北感が混ざった視線を彼女に送る。すると、その視線に気づいたのか、フィオナがゆっくりと目を開けた。

 彼女は私と目が合うと、年相応の…いや、聖母のような優しい微笑みを浮かべる。


「…ん。おはよう、リリアーナさん」


 言うが早いか、彼女は私の小さな体を腕の中に閉じ込め、ぎゅぅぅぅ!と力一杯抱きしめてきた。


「や、やめてよフィオナ!苦しい、息できないよ…っ」


 藻掻く私の頭を、彼女は愛おしそうに撫でる。

 最強の魔法使いだの、千歳の復讐者だのといった肩書きが、この柔らかい抱擁の前では何の役にも立たないことを私は痛感した。


 ようやくフィオナが腕を解き、私が肺いっぱいに空気を吸い込もうとした、その時だった。


―ドクン。


 心臓が冷たい楔で打ち抜かれたような、焼けるような激痛。

 視界がチカチカと火花が散らし、私は咄嗟に唇を噛んで、悲鳴を喉の奥へ押し込めた。


…あのクソ悪魔め…。契約破棄してもこれか。


 指先が微かに震えるのを悟られないよう、私はシーツを強く握りしめた。

 それに気づいたのか、日当たりのいい机で寝転がっていたルーネは起き上がり、しれっと回復魔法をかけてくれた。


「ど、どうしたの?リリアーナさん、顔色が真っ白…」


 さっきまでの穏やかな微笑みを消し、フィオナが焦った様子で私の顔を覗き込んできた。


「だ、大丈夫だよ…」


 言い訳が見当たらず、そんな子供騙しの言葉を絞り出すのが精一杯だった。


『お嬢さん、無理は禁物ですよ。その心臓はもう正常に作動はし…いえ、今はやめておきましょう』


 珍しくルーネが真剣な声で念話を送ってくる。

 その言葉を遮るように、私は無理やり言葉を発した。


「…本当に大丈夫だよ。それより、お腹が空いちゃったな」


 痛みが引くのを待ち、私はいつもの不遜でマイペースな私を演じきってみせる。

 フィオナはまだ、私の青白い顔を心配そうに覗き込んでいたが、空腹を訴える私を少しだけ毒気を抜かれたようだった。


「…あ、うん。分かった。なら、着替えて下に降りようか」


 私は頷くと、フィオナから借りてたナイトドレスを丁寧に畳んで、動きやすいワンピースドレスへと着替えた。


 彼女と共に下へ降りると、広々とした食堂には、既にメンバー全員が揃っていた。


 昨日私を嵌めた、食えないリーダーのアルベルト。

 その隣には、岩塊を思わせるようなガタイの良さに黒髪と鋭い灰色の瞳を持つ男性、オスカー。一目で腕利きのタンクだと分かる威圧感がある。

 そして、フィオナと同じ桃色の髪に、同じ色の緑の瞳をした青年、ユリウス。フィオナの兄らしい。腰に剣を差しつつもその剣は魔剣と見える、所謂魔法戦士だ。


…よく思うけど、このメンツでよくパーティなんて組めたね。


 並んだ彼らを見て、私は内心で呆れ混じりの溜息を吐いた。

 攻撃魔法はあるとはいえ、バフなどをかける魔法使いが不在の、あまりに偏った編成。

 でも、これでSSランクなのは、恐ろしいほどの実力だ。


…なるほど。だから私を、あんな強引な手を使ってまで引き込もうとしたわけだ。


「おはよう、リリアーナ。…顔色が悪いようだが、よく眠れなかったのか?」


 アルベルトの問いかけは、どこまでも穏やかで、それでいて私の内側を暴こうとする鋭さを含んでいた。


「寝れたよ、ただ…」


 そこから先の言葉が、喉の奥に引っかかって出てこない。

 かつての戦場なら、魔法の詠唱一つで数千の敵を焼き払えた。けれど、今の私には、朝の挨拶に続く「適切な言葉」さて見当たらない。


 何を言えば、彼らの不審を招かず済むのか。

 何を言えば、さっきの胸の痛みで顔色が悪くなったことを悟られない「正解」なのか。

 五百年前には、こんなことを考える必要なんてなかった。私を案じる者など、誰も居なかったのだから。


「ただ…少し、部屋が広すぎて落ち着かなかっただけ」


 迷った末に絞り出したのは、そんな子供じみた言い訳だった。


「…そうなんだね。朝食の準備はもうできてるから皆で食べよう」


 食卓には、香ばしく焼けた食パンと、見たこともない赤い果実のジャムが並んでいた。

 目玉焼きにベーコン、瑞々しいミニトマトとレタス、そしてオレンジ。銀の皿に美しく盛り付けられたそれは、芸術作品のようだった。


 皆が席に着き、銀のナイフのナイフを

 黄身が割れ、とろっとした黄身が流れ出す。

 目玉焼きは濃厚で、さすがSSランクの朝食だと思った。


「…美味しい」


 思わず本音が漏れる。

 最近までは野営続きで、喉を通らないほど硬い干し肉と、酸っぱい野苺を齧るだけの日々。まともな食事を摂るのは一週間に一度あれば良い方だった。

 昨夜も頂いたけれど、毒見や警戒で味わう余裕なんて全くなかった。温かくて柔らかい食事がこんなにも喉を滑らかに通るなんて、いつ以来だろう。


「ありがとうございます」


 料理を褒められ、照れくさそうに微笑んだのはユリウスだった。


「昨日もそうだったけど、この料理はユリウスさんが作ったものなの?」


「ええ。昨日の夕食はフィオナも手伝ってくれました。お口に合って良かったです」


 見た目も味も一級品。この桃髪の兄妹は、揃って料理の才能があるらしい。


「そうなんだね。…ご馳走様」


 ふと視線を感じて顔を上げると、アルベルトがなぜか「うちの自慢の仲間だろ?」と言わんばかりのドヤ顔で見つめ返してきた。



「あ、そうだ。リリアーナ、一つ手伝って欲しいことがあるんだ」


 朝食を終えた後、アルベルトがそう切り出した。

 そのままギルドへ立ち寄り、トントン拍子に手続きを済ませると、私たちは街の外にある森の深部へと足を踏み入れた。


「…貴方達のようなSSランクが、ゴブリン退治なんて依頼を受けるのは意外だよ」


 手渡された依頼書には、お世辞にも高ランク向けとは言えない内容が記されていた。


「これは、俺達のためじゃないよ」


 そう言う彼に私は首を傾げる。


…どういうこと?


 私が首を傾げた、その時だった。


「この依頼は、君一人のためだよ」


 涼しげな顔で告げられた言葉に、背筋を嫌な予感が走る。


―ドシッ、ドシッ。


 森の奥から、重厚で下卑た足音が響いてきた。

 何本もの大木がなぎ倒され、私たちの目の前に、オークゴブリンと無数のゴブリンの群れが姿を現した。


「さぁ、ここで俺達に君の実力を見せてくれないかな?無理そうなら、君の価値はそれまでってことだよ」


 アルベルトの浮かべた薄ら寒い笑み。それは、かつて私を駒としてしか見ていなかった傲慢な貴族達の目と同じだった。

 勝手に見定め、見縊り、底を測ろうとするその視線。―私の、最も嫌いなもとだ。


「分かった。…貴方の期待以上に、殺らせてもらうよ」


 腹の底から、どろりとした熱い感情がせり上がってくる。自分でも驚くほど、今の私は怒っていた。


 一息、深く呼吸を吐き出す。

 それだけで、周囲の木々が震え、騒ついていたゴブリン達が本能的な恐怖に動きを止めた。

 私はゴブリンの群れに向け、静かに手を翳した。


 詠唱など不要。ただ、腹の底にある魔力をほんの僅か、引き摺り出すだけでいい。

 私の足元から滲み出した影が、意思を持つ真っ黒な液体となって地を這い、瞬く間にゴブリン達を覆い尽くした。


 悲鳴さえ上がらない。

 影に触れた端から、ゴブリンも、屈強なオークも、泥のように溶けて影の中で跡形もなく消えていく。


 数秒後。そこには、何事もなかったかのように静まり返った森の景色だけが残っていた。


「…さて。これで私の『価値』は、貴方達の物差しで測れたかな?」


 私は手を下ろし、冷え切った視線をアルベルトへと向けた。

 背後には、SSランクの者達が息を呑む気配がする。先程までの「試してやろう」という傲慢な空気は、跡形もなく消え去った。

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