魔術の国の宮殿
サラナームの宮殿に伝令が届いた。
トーカル公国から親善大使を乗せた馬車が先ほど検問所を通ってサラナームに入ったという。
サラナームは数年前に統治者が代替わりした。
それに伴い長年続けていた鎖国政策を解いてまだ日が浅い。
親善大使が今日やって来ると言われて慣れない対応に追われていた。
これまで国交の無かったトーカル公国から近く大使の来訪があることは前もって連絡を受けていた。
しかし不手際があったのか、具体的な日程についてサラナーム側は情報を得ていなかった。
「トーカル公国の大使御一行は馬車何台で来られるのだ?
なぜ、それを誰も把握していない?
伝令は入っていないのか?」
「ガトゥール、今更それ言ってても遅いから。
とりあえず山羊を多めに連れて迎えに行った方が良くないか?」
サラナームは切り立った山が周囲に広がり国土内もほぼ山岳地帯。
加えて鎖国中は他国との交わりも最低限に抑えられていた。
こんな険しい閉ざされた国でも人々が生きてこられたのは、この国が魔術を持つ国だからに他ならない。
がやがやと右往左往する官吏や護衛を見ながら君主が言う。
「ガトゥールもエレンも、とりあえず落ち着いてくれ。
エレンは一行をお迎えするのだ。
……そうだ、この前どっかの国がくれた酒、アレを誰か持ってきてくれ」
ありがちな話だが、この赤毛の君主が一番ソワソワしている。
彼が落ち付いていない証拠に手のひらに小さな炎をパチパチ起こしては消してを繰り返している。
四十を超えたばかりのこの君主、火の魔術の使い手だ。
君主は人目を惹く鮮やかな赤髪と座していても分かる体躯の良さを持っている。
しかし割と整った優し気な風貌の持ち主でもある。
親善大使としてトーカル公国から公女が直々に訪れるという話は聞いていたのだ。
だから慌てることはない。
ないのだが、君主としてはこの日を待っていたとも言える。
トーカル公国は小さいとは言え農業が盛んだ。
サラナームのような山間の国とは異なるだろうトーカルの農産物は大変興味深い。
何より、かの国は美しい碧色の貴石の産出でも名高い。
ちょうど貴石については是非話を聞きたいと思っていたので、親善大使を歓迎したいと公国に伝えてある。
しかも……どうやら公女は「夜空の全ての星を集めたよりも光り輝く美姫」だという。
言ってる意味がちょっと分からないが、とにかくすごいらしい。
君主の宮で待つ妻には申し訳ないが、とりあえず興味を持つぐらいは許してほしい。
サラナームで魔術を扱うための魔力は生まれつき持つものだ。
そして魔術を重んじるサラナームでは魔力量の高さが地位の高さにも繋がる。
君主は次世代の中で魔力量の高い者たちの中から後継者を選ぶ。世襲制ではない。
現在の火魔術使いの君主もそのように選ばれた。
今日は鼻の下を若干伸ばしたおじさんだが当代切っての火魔術使いだ。
エレンと呼ばれた男は君主の侍従長だ。
今の君主が後継者に選ばれた時点で侍従も選出されている。
エレンは現君主より十歳も若いが彼も同じく君主の後継者候補の一人だった。
細身で長身。長い銀の髪と切れ長の目を持つ水魔術の使い手だ。
女性関係の噂話を色々振りまいているモテる男だが、決まった相手はまだいない。
ガトゥールはエレンよりも更に五歳若い。
まじめで無骨を絵に描いたような男だ。土魔術を使う。
サラナームに咲くリンドウの花に例えられた可憐な母君の血を受け継いだのは、その黒い髪の色だけだったようだ。
ガトゥールは君主の護衛を務めている。
ガトゥールが宮殿の広間にわらわらと集まってきた者の中に自分の妹も来ているのを見つけた。
ガトゥールは断りを入れて護衛の列を少し離れた。
「どうした?、おまえも大使様の美貌を拝みに来たのか?」
「……あにうえ、いや、そうだけど、碧の石も見られるって聞いたから……」
「そんなあやふやな話を信じたのか?」
「……」
「公女殿下は親善のために来られるのだぞ?
いきなり貴石の商談みたいな話になるとも思えんが」
「家に帰る……べき……かな……」
「おまえが大丈夫ならいいんだが……今日は宮殿に人が多いぞ。もし……」
「……」
妹は心配になってきた。
確かに宮殿にはトーカル公国の美姫を一目見ようと人がどんどん集まってきている。
宮殿にはサラナームに敵意のある者は入れない。
宮殿を守る魔術によって「サラナームに害を加えよう」とする輩は弾かれる仕組みが作られている。
なので、うっかり刺客が忍び込む、ということはあまり心配されていない。
なので、なので、よく分からない人間まで広間に集まってきている気がする。
そんな雑然とした場で、もし自分の「発作」が起きてしまったら……。
「や、やっぱり……帰ろう……かな……」
ガトゥールの方はこの妹が可愛そうになってきた。
十八歳になるというのに人前にはめったに出てこない。
亡くなった母に似た妹は本当はもっと「可憐」だとか「可愛い」だとか言われて暮らしていけるはずなのに。
それなのに、この内向的な妹には大変不似合な二つ名が付いてしまっている。
「いいさ、今日ぐらい。遠くから見るくらい。
おれも傍にいるから。
もし、ちょっとでも心配なことがあれば、言うんだぞ」
「っ!……あり…がとう、あにうえ」
妹は日頃、感情の振幅を抑えている。
妹の笑った顔の記憶が兄にも思い出せないくらいだ。
でも今、妹は頬を微かに染めて喜んでいる。
「あにうえ、大好きっ」
「おおー」
今度はちょっと兄の頬が染まった。
ガトゥールの妹は思う。
いつまでも引き籠っていてはいられないもの。
今日は噂の美姫様を見て勇気をもらうのよ。
感情をコントロールして大きく揺らがないように。
魔力が揺らがないように。
碧の貴石は心を落ち着かせてくれるらしいから、それが見られたら尚のこと良いんだけど。
こちらも母譲りの黒髪を揺らし気合を込めた。




