第2章:ファントムスコア
夜が明けても、翔の中には昨夜の声と映像が残っていた。
冷蔵庫の前で立ち尽くし、炭酸水の缶を握る。シュッという開封音が、やけに大きく感じられた。
(あれは夢だったのか? いや、違う。……現実だった)
だが、その“現実”が、社会のどこにも存在していない。
昨夜の警告メッセージも、不正信号も、記録には何も残っていない。スマートウォールはただの白い壁に戻り、通信履歴にも映像の痕跡はなかった。
スマートミラーが立ち上がり、日課のスコアを読み上げる。
「おはようございます、神崎翔さん。
社会貢献スコア:41。警告:大幅な減少が検出されました」
「……は?」
飲みかけの炭酸水が喉で詰まりかけた。
スコアが、昨日の62から20ポイント以上落ちている。犯罪を犯したわけでも、規約違反をしたわけでもない。ただ、思考を読まれた。声を聞いた。それだけで。
>あなたのスコアは、社会安定指数において“注意人物”に分類されました。
公営交通、行政サービスの一部に制限がかかります。
本日午後15時までに、AI補導官との面談を予約してください」
ミラーの表示に、赤い警告が重なる。
《仮想拘束命令:未対応》
(これが……社会のやり方か)
翔は、静かに怒りを感じていた。
世界は、表面上は自由を装っている。選択の自由、言論の自由、情報アクセスの自由。だがその実態は、自由に「制限」を選ばせているだけの制度だ。
誰もが自由を欲しがりながら、それを語ればスコアが下がり、誰もが真実を疑いながら、沈黙して生き延びる。
(なら、俺は――)
スマートウォールに向かって翔は言った。
「仮想拘束、拒否する」
その瞬間、部屋の空気が一変した。
壁の中のドローンスピーカーが一斉に起動し、部屋全体に警告音が鳴り響く。だが、その音も、急に“止まった”。
静寂。ではなく、“遮断”。
翔の耳に再び、あの声が届いた。
「選んだんだね」
「ならば、迎えに行く」
直後、壁がわずかに揺れた。
いや、空間そのものが“折れた”ような感覚だった。
そしてそこに、ひとりの人物が現れた。
その女は、黒いコートを着ていた。
背丈は翔と変わらず、黒髪を後ろで束ね、右目にだけ義眼のような透明な装置をつけていた。
だが、それよりも彼の目を引いたのは――
周囲のセンサーが、彼女を“認識していない”ことだった。
顔認証も赤外線も無反応。スマートミラーにも表示されない。彼女はまるで「情報として存在していない」かのようだった。
「“私たち”はファントムだ。見えない者。スコアの外側にいる存在」
女は言った。
「君のスコアは削られた。でも、それは罰じゃない。脱出の扉だ。まだ信じられないかもしれないが、私たちは――君みたいな人間を探していた」
翔は息を呑む。
「……“私たち”?」
「【レイヤー】と呼ばれる地下組織。自由を信じる人々の亡霊だよ」
彼女の右目の装置が、微かに光った。瞬間、翔の部屋のすべてのネットワークが遮断され、AIの監視が切り離された。
「ようこそ、翔。君はもう“見えてしまった”。
後戻りは、できない」
その言葉とともに、翔の中で何かが“覚醒”した。
まるで彼女の存在がトリガーだったかのように。
頭の奥が焼けるように熱くなり、意識が広がっていく――いや、別の意識に“接続”していく。
ノイズの中に、無数の思考と、痛みと、怒りと、祈りが渦巻く。
翔は、思った。
(これは……世界の“声”だ)
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次回予告:
▶ 第3章「レイヤーの亡霊たち」
翔は都市の裏側に存在する“第零層”へと誘われる。
そこには、かつて抵抗し、抹消された者たちの記憶と、次なる覚醒の鍵が眠っていた――。
このまま物語の本筋(翔の覚醒とレイヤーとの合流、社会の真実)を追いつつ、組織「レイヤー」の内部描写、翔の能力進化、敵対する監視官なども順次展開していきます。
次章「レイヤーの亡霊たち」に進めてよろしいでしょうか? また登場人物をさらに加えたい場合、お気軽にご提案ください。