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第7話 季節は巡る

 窓辺に座り、夕暮れの空を見上げながらルカシオンの無事を祈るのが日課になった。 


 噂は、いろいろなところから入ってくる。

 魔物との戦いで激戦を繰り広げた彼が負傷したということも。怪我が治るか治らないかのうちに、今度は南部戦線に向かったということも。


 まるで何かに追い立てられるように戦地を転々とするルカシオンの無事を確認するため、毎朝朝刊に目を通すことも欠かせない。

 

 記事の隅々にまで目を通し、戦死者リストに彼の名前が載っていないことを確かめるたびに胸をなでおろした。


 とある友人はそんなリナリアを見て、「もう諦めたほうがいい」と言った。わざわざ家を出た男が戻ってくることは少ないし、たとえ戻ってきたとしても、元の生活に戻るのは難しいと。

 だけど、リナリアは首を振る。「彼は必ず戻ってくる」と友人に、そして自分自身に、言い聞かせた。


(きっと、全部が落ち着いたら、彼は帰ってくる。そしたらまた、一緒に暮らせるはずだから……帰ってきたら、彼の口から直接、話を聞こう)


 それだけを考えながら、窓辺に座り、彼の帰りを待ち続ける日々。


 二人で購入した家は一人で住むには広くて、時折どうしようもないほど寂しくなるときもあったけれど、ルカシオンの顔や声を思い出せば耐えられた。




 そうやって、一年が過ぎ、二年が過ぎた。

 すでにリナリアと同年代の友人たちはほとんど結婚してしまっていて、中には子どもが生まれている子もいた。

 かつて、「諦めたほうがいい」と言ったあの友人は、腕に生まれたばかりの可愛らしい赤子を抱きながら、リナリアを見つめて、ただ、困ったよう笑った。


 その頃になると、リナリアも段々と気づき始めていた。

 もしルカシオンが戻ってきたとしても、もう、かつてのような関係に戻ることは難しいだろうということに。


 彼は義理堅くて、誠実な人だった。

 言葉でも態度でも、わかりやすいほどに、リナリアのことを大事にしてくれる人だった。

 だけどそんな彼が。……そんな彼だからこそ、家を出たまま一度も連絡してこないことの意味を、考えてしまうのだ。


 だてに十年以上、一緒にいたわけではない。

 一緒に過ごした時間が全部嘘だったとも思えない。

 

 彼がリナリアに与えてくれたものが全て本物だったとしたら。

 今、彼が隣にいないことの意味は。つまり。


 ――リナリアよりも優先したいものができた。


 ただそれだけのことだろう。

 そしてそれは()()ではなく、()なのかもしれない。


 あの雪の日、お姫様を見つめていた彼の翡翠色の瞳が。

 ずっと、瞼の裏から離れないのだ。


 ルカシオンとの関係が変わってしまったのは、彼の中で、リナリアよりも優先したい人ができたからだと。

 ただそれだけを理解するのに、とても、長い時間がかかってしまった。




 ――――そして、そんな風にいくつかの季節が巡った頃のこと。


 突如、国に激震が走った。


 戦地に長らく身をおき、自ら軍を率いていた王妃が戦死されたのだ。女性でありながら武勇に優れ、敵国にまで恐れられていた方だったが、敵に基地を急襲された際、混戦状態の中で流れ矢に心臓を一突きされ、馬上でそのまま絶命していたという。


 そしてそれから一ヶ月も経たないうちに、今度は国王陛下が突然身罷られた。

 詳しい死因は公表されていなかったが、元々胃を悪くされていたので、その病状が悪化したのだろうとのことだった。

 

 最も高貴な二人が立て続けに亡くなるというあまりの出来事に、リナリア含めたこの国の国民は皆、暗く沈んだ。

 

 しかし、悲しんでばかりいられないのも事実だ。

 隣国との抗争状態が続く中で国の中枢が揺らげば、それはこの国の崩壊へと繋がる。

 

 両陛下が亡くなられた今、唯一の直系の王族となったアイリーンの即位式が急務として、王宮ではその準備が厳かに進められているという。


 これからの国のこと。間もなく女王となるアイリーンのこと。

 その日も、噂好きの常連客の語るそんなとりとめもない話をどこか遠いことのように聞いてから、帰路につく。

 

 そして自分の家が見えてきたとき、その扉の前で立ち尽くすように佇む男の後ろ姿に気づいて、思わず立ち止まった。

 

 まさか、と思った。

 そんなはずがない、とも。


 だって、彼とはもう、二年以上会っていない。

 きっと、何よりも優先すべきものができた彼は、もう自分とは会うつもりすらないのかもしれないと、そう思い始めた矢先だったのだ。


 息をのんだままその場で固まるリナリアの気配に気づいたのか、目の前の男が振り返る。

 その人形のように整った顔は、紛れもなく……ルカシオン、だった。


 もし彼に会えたら、自分はどうするのだろうと、何度か自問自答したことがある。

 戸惑うのか、悲しむのか。もしくは、大声で自分を置いていったことを詰ってしまうかもしれない。

 そんなことを考えていたけれど。

 

 今、こうやって実際に対峙してみると、何よりも一番に湧き上がってくるのは、誤魔化しようがないほどの喜びだった。

 

「おかえりなさいっ……! ……ルカ?」


 戸惑いや不安、そしてそれ以上の嬉しさがないまぜになったリナリアの声は、言葉尻になるにつれてすぼんでいく。

 久しぶりに会ったルカシオンは、うまくは言えないが、何かが確実に変わった、と思った。


 軍という過酷な環境で削ぎ落されたのか、彼の柔和な部分はすっかり鳴りを潜め、よく研ぎ澄まさえた刃物のような鋭い緊張感を身に纏っていた。


 闇に紛れるような全身黒ずくめの軍服に身を包んだ彼は、無表情のままたリナリアのことをじっと見つめると、「話がある」とだけ言ってリナリアが扉を開けるのを待つ。

 

 そして二人で家に入ると、リナリアがお茶を用意している間も、彼はただ黙然と椅子に腰掛けていた。


 ちらちらと彼のほうを気にしながらお茶を入れ、向かいに座ったリナリアは、彼が口を開くのを待った。なのに一向に、彼は声を発しない。膝の上に置いた両手を固く握りしめ、何かを堪えるような固い表情のまま押し黙った。


「話って、何? どうしたの?」


 しびれを切らしてそう尋ねると、やっと、ルカシオンは口を開いた。



「今日俺がここへ来たのは……、……お前に別れを言うためだ」



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